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この国は生活保護世帯の子どもたちの自立をどのように考え、 どのような方法で自立させようとしているのか?

ソーシャルインクルージョン(social inclusion)とは、

「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う」という理念である。


素晴らしい理念である。
弊社のミッションは、この社会的包摂に如何に貢献するかである。
と言い切っても過言ではない。

しかしこれは、本当に容易ではない。

人類の創りあげた理想郷、ユートピアなのではないか…。
それを個人の頑張りだけで、できるはずがない。

つくづく、そして沁々と日々感じている…。

孤立や孤独は、個人だけの問題ではなく世帯にもある。

どんなに個人を包摂的に支援をしても、
その方が帰属する世帯が社会的に排除されていたら、
その支援が実を結ぶことは難しい。

これは僕がずっと感じてきていることで、
だからこそ、世帯を丸ごと引き受けようという、
パーソナル・サポート・サービスという取り組みに、
僕は強く共感した。

世帯というのは、家族がいるから、
孤独ではないわけだけど、
世帯ごと孤立しているという状況は珍しくないし、

孤立した個人がひとつ屋根の下で、
孤立したままバラバラに暮らしていることもまた、
珍しくない。

生活保護を受給していれば、
社会に包摂されているのかといえば、
それは全然違うと思う。

タバコ等の嗜好品を嗜むことができずに、
レジャーを楽しめばチクられたりしている間は、
文化的で健康な生活なんてあり得ない。

お金はあるけど友だちがいない人がるように、
経済的援助は、
社会関係資本を構築する足掛かりにはなるかもしれないけど、
孤独や孤立を解決するわけではないのだ。

保護者が何らかの困難を抱え、孤立し、
その困難さゆえに養育が難しい世帯がある。

そんな地盤がゆるい生活保護世帯の子どもが仮に高校生とした場合、
この若者を社会的包摂しようと思ったら、
どれぐらいの人的措置が必要かを考えてみたい。

まず、公的に関わりを持てるのは、
世帯を支えるケースワーカー(CW)。
しかしCWが世帯の子どもたちと接見し、
何らかの、教育的な役割を担うことはほとんどない。

次に若者が通う高校の教師が考えられる。
しかし、教師は若者が生活保護世帯の子であることを知ることは、
イレギュラーとしてしか知るよしはない。

よしんば知ったとしよう。
しかし生活保護の仕組み自体の知識もない教師に何ができるだろう?
(しっかり勉強されている方もいますが)
学校内でマメな声掛けで若者をエンパワメントし、
なんとか卒業させ、最低限のキャリアパスとして高卒資格を持たせる。
それぐらいだろう。

中退率の高い生保世帯の高校生を、
ちゃんと卒業させただけでも素晴らしい先生であり、高校といえるが、
それだけで社会的包摂が達成するほど、
この社会は甘くはない。

同じく校内で、スクールカウンセラーが、
或いは養護の先生が事情を知り、本人の話を聞き、
担任に伝え、学年会に若者のケースがかけられたとしよう。
それでもどう卒業させるか、という域を出ることはないだろう。

若者の現状を改めて見てみよう。
孤独や孤立、排除や摩擦
という状況には陥っていないようだ。
しかし、健康で文化的な生活の実現は難しそうであり、
社会の構成員として包み支え合う構成員にはまだなっていない。

このまま行って、
この国の構成員のレギュラーメンバーになれるのだろうか?

恐らく、孤独や孤立、排除や摩擦という流れに乗ることは目に見えている。

ここでNPO法人職員をぶつけてみよう。
この職員はサポステの学校連携事業で学校に相談員として派遣されてて、
担任から若者のことを相談され、CWと連絡を取りあうまでになった。

若者から話しを聴くと、
どうやらボトルネックはこの世帯の父親にあることがわかった。
しかし、このサポステ職員が家庭訪問して、
父親に指導的な立場に立つことはないだろう。

CWも若者の置かれている状況をサポステ職員から聞き、
父に指導をするものの、
「わかりました」という父の話を鵜呑みにすることしかできない…。

若者はサポステ職員の勧めで、
アルバイトをはじめてみることにした。
アルバイト先の店長はすぐに、
若者に何かが欠落していることを感じ若者と面談し、
すべてを知った。

人情味に厚い店長は、あの手この手で若者に迫った。
しかし若者が変化することはなく、
若者はクビになる前に来なくなってしまった。

そうこうするうちに、
若者は出席日数が足りず、高校を退学になってしまった…。
NPO職員が「なにかあったらサポステに来いよ」と言ったが、
サポステに現れることはなかった。

そして誰も包摂してくれる人がいなくなった若者は、
自暴自棄になって…。

これはよくある話。

この物語に救世主を登場させるとしたらそれは誰だろう?

これが想像できなければ、
冒頭で引用した社会的包摂は夢物語であり、
人類が想像した理想郷ということになる。

この物語に救世主を登場させるとしたらそれは誰だろう?

僕は誰ではなく、この国がするべきことだと思う。
誰かが何かしたって、24時間蠢く生活という怪物に立ち向かうことはできない。
だから国なんだ。

どうやらこの国は、不正受給の生活保護者を取り締まる方法を考えたらしい。
(それはいいことだと思う)
どうやらこの国は、生活保護世帯の保護費引き下げを決めようとしているらしい。
(それはどうだろうと思う)

では、この国は生活保護世帯の子どもたちの自立をどう考え、
どのような方法で自立させようとしているのか?


内定が取れなければ使えない、普通自動車免許取得費用とか?
就職活動を行うためのスーツを購入するための5万円だとか?

これは実質ノーアイデアなんだと思う。

そもそも高校生が内定を取るためには、
十分なアルバイト経験か専門的な知識が必要とせれているのが、
今の日本の労働市場の現実だ。

それがこの若者が8万稼いだら6万を収入認定で取られ、
残りに2万の内1万は携帯代で、残りの1万は昼飯代となる。
そんなことでバイトなんかするわけがないし、
自分が生まれた世帯(世界)を呪うだろう。

社会的包摂=ソーシャルインクルージョンが、
夢物語で終わらないために、僕は何かがしたいし、
それを成し遂げられそうな、アイデアがある。

どうかバイターンにチャンスを与えてほしい。
そして、何とかしそのチャンスをつかみたい。

そのためには、もう未成年の教育義務は保護者にあるということをやめよう。
養育というものは、人が生まれ持った本能でできると思うのをやめよう。
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