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自分の課題がわかっていないと、自分に適した行政サービスにたどり着くことができない。

本日は、横浜パーソナル・サポートサービス「生活・しごと・わかもの相談室」が、
3月末の閉所に伴うイベント『つながりの明日へ~伴走支援の今とこれから~』
というものがあった。

いろいろ閉所についても書きたいことがあるんだけど、
まだ閉所していないので、ちょっとそれはまた別の機会にして、
今日は、第一部に登壇し、PS連携機関のひとつである、
川崎市田島福祉事務所の一之瀬さん(ケースワーカー)の、
以下の印象に残った発言に付いて考えてみたいと思う。

「(本人が)自分の課題が何かわからず、どのような行政サービスがいいのか、一人では選び出すことが難しい人がいる。それに寄り添って、その人が社会のなかで力を発揮するために課題を整理する。それが横浜PSの意義だった。」



僕は保護者セミナーで、
親だからできないこととして、
「子どもを客観的に評価し見立てることはできない」と話している。
故に、第三者である支援者及び、
支援機関を積極的に活用しようと話している。

では、本人。

本人なんだから自分のことを一番理解しているよね、
ということは全然なくて。

いろいろな挫折経験や、それを穴埋めできるような成功体験もなかったりすると、
自己評価と、他者からの評価がどんどん乖離してしまい、
自分自身のことがさっぱりわからなくなってしまっている、
というような人は多い。

だから、一之瀬CWが言う「本人が自分の課題が何かわかっていない」
というのはまったくその通りなのである。

課題がわからないと、どう困るのかというと、
解決の仕方がわからないのだ。
足すのか引くのか、掛けるのか割るのか、
そのコマンドがわからなければ、単純な計算だって答えを出せない、
そういう状態で孤立し、夢や希望が消えていく…。

だから「どうしたの?」と聴いても、
「何かしたいことはないの?」と聴いても、
何も答えは返ってこない。

ちなみに、ハローワークにこの状態で行くと、
本人も、ハローワークの職員も困ってしまう。

そういう状態では、
自分に適した行政サービスを選び出すことが難しい。
難しいどころか、できっこないのだ。

そして、何がその人の課題なのかを知るには、
強い信頼関係や、地道な傾聴のようなものがあって、
本人でさえ気づいていない課題に向かって、
寄り添いながら時間をかけて歩いて行く。

それが横浜PSの意義だった。

うん、そうなんだよ、
僕らは、そういう人たちとともに歩いてきたんだよな。
そして、これからも歩き続けなければならないんだよな、
そんな思いを再確認させてくれた言葉が、もう一つあった。

最後に、わざわざ沖縄から参加してくれた、
沖縄パーソナルサポートセンターの濱里さんの言葉を紹介しよう。

「私たちは今日若者たちの声を聴いてしまった。
 聴いてしまったということは、そこに責任が生じたということです」


この間のうずくまってたおばあちゃん事件
あの時の重さは、知ってしまい責任が僕に生じた重さだった。
それを翌日、Facebookで話しながら、
「できることをちょこっとずつ、たまにみんなでえいこらしょ」
という、その責任を一人で背負い込むのはあまりにも酷だから、
みんなでちょっとずつ持とうよ、ということを考えた。

やっぱここに行き着くんだな、と。
いろいろな点が、僕の中でつながり、
新たなデカイ宿題を持ち帰った一日だった。
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