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杉浦大蔵で考えるキャリアの本質

杉浦

杉村大蔵には、なんの思いいれもないんだけど、
杉村太蔵氏、“国会議員→タダの人”成功の秘訣を語る
というインタビューのなかで、
これは、キャリアの本質を語る上での名言だな、
と思うものがあった。

「人の評価ってわからないですよね。やりたいことと、周りがやってほしいことって違うものですね」


この間のユースワーカー研究会でも、
ユースワーカーの成長を考えた際に、
スキルは伸ばせるけど、
センスというのは、生まれ持ったもので、
のびしろのないもの、
だから伸ばすではなく、磨くものなのではないか?
という面白い議論があった。

僕はこの仮説を支持する派である。
そして僕も、スキルではなく、
センスで若者たちと付き合うタイプの支援者だと自覚している。

キャリコンの勉強も、
理論やスキルを身に付けようとしたんだけけど、
結果的には、センスを磨くことになったように思っている。

人材育成というのも、
圧倒的にはセンスを磨くものではなく、
スキルを上げるものとして構築されている。

でもこのところの僕、
正確にはユースワーカー研究会の議論後、
それは違うんじゃないかと考えはじめている。

例えば、自分はツッコミだと思ってる支援者がいて。

でも、ツッコミどころがビミョーに的を外すんだ、この人は。

それがコミカルで、周囲を和ますとか。

この人の自己評価はツッコミだけど、
他己評価ではボケだったりする。

こんなことの例えは枚挙にいとまがない。よくあることなのだ。

この時、他己評価であるボケを受け入れられるか、
受け入れられないかで、
この人のスタッフ人生は大きく変わるだろう。

これは、杉村大蔵が、
太田光の言った
「薄口政治評論家」を受け入れられるか、
受け入れられなかったかに通じる。

杉浦大蔵にセンスはあるのか?
間違いなくあるから人気者なのだろう。

でも、彼はそのセンスに無自覚で、
むしろ、はじめはムッとした。

ジョハリの窓的に言えば、
盲点の窓を不意に開けられ、ムッとしたんだろう。

そしてそこには、自分では気づいていないけど、
誰かは気づいているセンスを持った自分が、
ひょっこりと体育座りしている。

このことは、そのままコーリング、
天職とは見つけるものではなく、
呼ばれるものという価値観に通じていく。

ありのままの自分をさらけ出す。

すると、どこかの賢者がこういう。

「君はあれをおやりなさい」。

君はどうするべきか。

「はい」それでいいと思う。

重要なことは何か、
ありのままを賢者の前にさらけ出すという行為だ。

今の就活はここが形式化され過ぎてしまい、
「なんか違う」が大量生産されているのだ。

究極的には、
就活から自己理解は取っ払ってもいいのかもしれない。
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