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「できることをちょこっとずつ、たまにみんなでえいこらしょ」

昨日のブログ「うずくまっていたおばあちゃんを助けてブルーになった話」のことを、
昨夜はずっと考えていた。

朝、眠たい目を擦りながら、
いつものようにコーヒーを飲みながらFacebookを開いたら、
いくつかの温かいコメントが、ブログのリンクついていた。

その中のひとつが、いつも僕を励ましてくれるYさんのコメント。

なんか救われた。いや、とっても救われたコメントだった。
そうだよなあと思い、気持ちが軽くなったので、
皆さんにも勝手に紹介しよう。

そのまま通り過ぎていたら、憂鬱にはならずに、ただ忘れてしまったかもしれないおばあちゃんのこと。

多くの人が、忙しさを理由に関わろうとしないのは、そういう自己嫌悪を、無自覚に予見しているからかもしれません。

石井さんが、おばあちゃんと過ごしたような時間を、何人もが過ごしていく、そういう地域をつくっていくことで、一人だけが自己嫌悪する現実が変わるのでしょうね。


そう、僕には通り過ぎるという選択肢があったし、
いつもならそうしていただろう。

「何もできない無力な自分」を思い知り、自己嫌悪するのが嫌で。

だから、それを予見し、通り過ぎていた。
その通りだと思う。

そして僕は、
「ずっと関わり続けることはできないから、関わらない」
という言い訳を自分にしているんだとも思った。

ずっと関わるというのは、
その方の人生を背負い込むことなので、非常に重たい。
こっちだって必死こいて生きている。
下手すれば、こっちが押し潰されるかもしれない。

ここで、普通は思考が停止し、
目の前の困っている人をスルーしてしまう。

「バカの壁」ではなく「善意の壁」、いや「偽善の壁」か?
この壁をブレイク・スルーするヒントがYさんのコメントにはあった。

僕が、おばあちゃんと過ごしたような時間を、
何人もの地域の人が過ごし、関わっていく。


ずっと関わるんじゃなくて、
みんなでちょっとずつ関わればいい。

チームを組んで、自分はそのちょっとになればいいし、
昨夜の僕はそのちょっとをやった。
これって、当たり前にコミュニティにあったことなのでは?

「できることをちょっとずつ、たまにみんなでえいこらしょ」

こういうことかと、キャッチコピーを考えてみたりして。

なんか、僕はスッキリした気持ちになった。
昨夜のブログはいいね!が100を超えた。
ああ、意味あるの事をしたな、と…。

しかし今夜、あのコーナーに差し掛かったとき、
今夜はいないでくれよ、と強く思った自分が、
はっきりと感じれた。

こんなSNSの交流では、
あの、おばあちゃんの生活は1ミリも変わらないんだよ。
自分の中から声が聞こえた。

これで終わりじゃない。
ここから考え続けること。
まずは挨拶を積極的にするでもいい。
自分にできるアクションを起こそう。
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