守破離 〜「守」のない世界に、 ブレイクスルーである「破」は訪れないのではないか?〜

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落語家林家小さんが、
落語を極めるために必要なことを語る中で、
守破離(しゅはり)という言葉を知った。

師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。(Wikipedia)


僕はギター弾きなので、基礎の大事さを痛感している。
基礎を飛び越えてアドリブなんてできないし、
基礎がプレイヤーに自由度を与えてくれる。
即ち、理論を「守」ったことで、
自分自身の殻を「破」ることができるのが音楽なのだ。

伝統的なジャズができない奴に、
きっとフリージャズはできないと思う。
フリーというのは伝統からの飛翔なのだ。

守破離の考え方は、どんなジャンルにも対応可能な
日本の伝統的な発想法ではないだろうか。

まったく偶然なんだけど、
Facebookで志村けんのこんな名言を読んだ。

非常識なことをするためには、まず常識を知らなきゃいけないんだよ。お笑いみたいなものでも、常識を知らないと本当のツボというものがわからない。常識は基本線で、お笑いはその常識をひっくり返すところで、コントとして成り立っている。だから笑えるワケよ。お笑いに限らず、常識をバカにする奴に、常識を超えたことは絶対にできない


この言葉も守破離の精神に満ち溢れているなと思った。
「守」という常識ががわかってなきゃ、
常識を「破」る非常識なことはできないんだよ、
と、志村けんは、言っている。

翻り、職人的な働き方から遠ざかり、
この間まで最先端だったものが、
技術革新により一気に使いものにならなくなるような、
伝統的なスキルというものがなくなっている現代社会で、
僕らは師匠の型という「守」と言えるものを、
教えこまれているのだろうか?

僕はいない気がする。

昨日の社内会議でも、
ナレッジ・マネージメントは大きな課題となった。
ブランドというのは伝統だ。
「守」ができずにブランディングなんてあり得ないのではないか。

そんなことを考えながら、
そして、もっと大きな課題に僕はぶち当たった。

「守」のない世界に、
ブレイクスルーである「破」は訪れないのではないか?

僕自身、半信半疑で疑いながら書いているんだけど、
小さん師匠、けん師匠の話の説得力に、
僕は守破離の大切さと、
それを現代ビジネスにどう持ち込むのかということを、
真剣に考えたいなと思った。

最後に思い出したけど、
湯浅さんの『ヒーローを待っていても世界は変わらない』は、
民主主義を徹底的に語り、型にはめ込んでいいく「守」をすることで、
この閉塞した社会を「破」ろうとした、
守破離的な試みだったのではないだろうか?

いつかお会いする機会があれば聞いてみよう。
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