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社会的早産である高卒にはインキュベーターとしてバイターンが必要だ。

学校というのは、
どうして社会と敵対関係になりやすいのか?

敵対関係とまではいかないくても、
保護者や行政機関などと、
折り合いの悪い関係になってしまいがちなのだろうか。

その答えが、なんかわかったような気がするのが、
『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』の、
高橋源一郎の以下の言葉。
当然、本書の中で、内田樹は支持しているんだけど。

うん、つまり、そういう(非社会的な)時期を子供の頃に通過することで、社会がよりタフになる。そういうものが教育だと僕は思うんだよね。


これが教師的発想のマイノリティなのかもしれないけど、
僕には納得感あったし、この発言を支持したいと思う。

学校というのは非社会的であるべきだ。

社会から隔離された、非社会的な状況で、
学問を通して己を知り、
社会の在り方を模索する時期が、
人には、いや、強い社会を創るには必要だ。

うん、そうだと思う。
(しかし、ここに教育的カタルシスが入り込むとややこしい…。この話はまた今度。)

これからの時代のポータブル(移動可能)スキルは、
本当の意味での技術ではなく、
学生時代という非社会的な状況下でしか許されないような、
死ぬ気で打ち込んだ、経験という名の物語なのだ。

きっと先生という意思の総体である学校はそう思ってるんだろう。
生徒たちを守るために、社会的なものから抗ってるんだ。
だから、どうしても社会的な人たちと折り合いが悪くなる。

言っとくけど、
体罰やイジメを隠したり黙認する体質を擁護しているんじゃないよ。

高卒就職というのは、高度に成長した文明国家において、
社会的早産なんじゃないか
、と僕は思う。

雇用情勢に照らし合わせてみても、
本当はあと四年(大学四年間)、お腹にいないと社会でサバイバルしていけないのに、
諸事情により、強制的に産み落とされる若者たち。
それが、高卒就職者なんじゃないか?

そう考えると、大卒よりも早期離職する割合が多いのも納得がいかないか?
足腰がガクガクして、まだ目も開けれないまま社会に出てるんだから。

「なんか違った」は当然の成り行きだろう。

主体的に産み落ちる若者も当然いるけど。
商業高校や工業高校は、インキュベーター(孵化器)といえるかもしれない。
専門学校は保育器か…。(大学院をなんて例えよう…)

そんな、社会的早産な生徒を多く抱える課題集中高校が、
もしも非社会的であったら、
就職した生徒たちは面喰らって、それこそショック死してしまうだろう。

ここに、高校生のアルバイト問題があるんじゃないか?

出来るだけ、非社会的なフォーマットに生徒を置いておきたい先生と、
社会的早産という現実を受け入れて、社会性を育むためにはアルバイトも必要だよね、
という先生たちとの二極化。

ここのコンセンサスがなかなか得られない。
変わるべきは学校ではなく社会だ。
そんな葛藤を学校に感じる。

この葛藤を放置するのではなく、
少なくとも、普通科高校というインキュベーターを持たない高校から、
就職を目指す生徒たちには、なんらかの支援があってしかるべきじゃないかな。

そして学校があるべき非社会的なフォーマットであり続けることを尊重しつつ、
社会的なエッセンスを授業として組み込む、このバランス感覚。

バイターンというのは、
普通科高校就職希望生徒たちのインキュベーションになったらいいと思う。
バイターンは、そういうものを目指しているんだ。
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