昨日の“けしからんジャンパー”についての投稿について1日経って感じていること。

おはようございます。昨日のブログの反響が大きくて、誹謗中傷めいたものもあり、朝からなんか疲れています。個人ブログのちょっとしたコメントでこうですから、ヤフー等のメディアで発信されている同業の皆さまの気苦労や勇気に対して改めてエールを送りたい気分です。

冷静にコメントを見てみると、現場感覚のある方と、ない方で随分違うなという感じがします。端的に言うと、現場感覚あり派は、腑に落ち方のスピード感に違いはあれ、ピンと来てくれているようですし、強い共感や感謝もありました。

現場感覚のない派の方々は生活保護世帯の強い味方のようで、ぼくのブログを単なるワーカー擁護として読み、ぼくを差別主義者のように受け取ったようです。

生活困窮者の支援に携わる機会のあるぼくとしては、ぼく自身も生活保護世帯の強い味方でありつつ、不正受給はダメでしょという立場です。そして、(ここがすごい重要だと思うんですが)この立場はきっと「なめんなよジャンパー」の人たちも同じだと想像するわけです。

いや、多分ぼくよりももっと強い気持ちで、生活保護世帯の強い味方だったんじゃないかとも思ったわけです。まあ、実際に会って話を聞いたわけではないので仮説に過ぎませんが。ついでに書くと、ヤンキー的精神というのは共同体意識の強い人たちであり、地元、家族、友だちをこよなく愛する人たちです。逆に言うと、共同体の外側の人たちは「自分らの価値観を理解しない」敵になる可能性があります。

ヤンキーの共同体の内側に入り込んだ人たちと、その外側にいる人たちで、ヤンキーの印象はまったく違うものになることはよくあることですが、このケースワーカーたちにとって、自分たちの受け持つケース(世帯)は共同体の内側の人たちだった。そして、不正受給する人たちは、共同体の外側の人たち、つまり敵だった。

そこに対峙する際に必要だったのが、彼らにとっての特攻服である「なめんなよジャンパー」だったと。ちなみにぼくはこのジャンパーを肯定はしていません。むしろ、何かの折に小田原の福祉事務所に行き、担当者がこれを着て出て来たら「こんなの着ちゃダメでしょ!」とお説教すると思います。

この辺、同じミッションを背負いつつ、文化的背景が違う中で、“けしからんジャンパー”が生まれたという、ミッションである目的には共感しつつ、手段については批判しているんですが、そこが理解されづらかったようです、すみません。

まあ、残念なんですが。結局これは現場で培った経験を想像力としてどこまで落とし込めるかの差なんだろうと思います。ですが、現場感覚がない方々は想像力がないということではなく、彼らなりのメディアを通して育んだ想像力がそのコメントを生んでいるんだということを考えるべきだなと思いました。

そして、そのメディア情報を意識的にしろ、無意識的にしろ選択的に獲得した結果としての批判コメントなわけで。もうこれは何を言っても想像の地平を同じ方向に広げることは出来ないのかな、とも思うわけですが、対話を続けるべきであることは間違いなくて。

ただ、ネット上で個別に議論を深める時間もありませんし、有意義な議論ができるフォーマットではないとも思うので、このような形で、敢えて公開してみようと思います。また、昨日のブログに届いたコメントもすべて公開にしました。

すべての人をフレームイン!
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