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「ぴっかりカフェが学校図書館にもたらした意義の検討」神奈川県立田奈高等学校 学校司書、NPO 法人パノラマ理事 松田ユリ子さんの報告をまとめてみました。

横浜市立大学の高橋寛人教授がまとめた『神奈川県立田奈高校での生徒支援の新たな取り組み― 図書館でのカフェによる交流相談を中心に ―』(横浜市立大学編集、2016年3月発行)には、まさに立役者が勢揃いし、それぞれの立場から「ぴっかりカフェ」や「バイターン」を語っており、これ以降のリマインダーとしての機能を果たすであろう報告書になっています。

そんな報告書から、毎朝選りすぐりに名文にぼくがコメントを入れて個人アカウントと法人アカウントのfacebookにアップしており、学校司書の松田ユリ子さんを終え、現在は前校長の中野さんを連載しています。結局はgooddoのクリック寄付をお願いするという誘導コンテンツなんだけど、もっと多くの方に読んでいただきたいので、ブログにまとめることにしました。

日常の学校図書館が生徒にとってケの居場所であることと、ぴっかりカフェのハレの居場所は地続きでなければならないと考える。地続きであることが、生徒の実際的な支援を可能にしているからだ。1週間に一度のカフェでの生徒の様子と、日常の学校図書館あるいは学校での様子をカフェスタッフと教職員がすり合わせることによって見えて来るものがある。また、生徒のハレの居場所での体験が、ケの居場所での振る舞いに影響することや、その逆も当然起こり、むしろそうした循環が起こることが好ましい。


松田さんは「ぴっかりカフェ」を知るには、「田奈高校」と「ぴっかり図書館」の文脈を知る必要があると言います。外部支援者として5年間学校に関わっていても、毎日学校にいるわけではないために、読めてない文脈があることを改めて知ると同時に、外部支援者としての校内アイデンティティーを再確認させられました。それは、外部者だからこそ出来ることをもっと意識しよう、親和性を高めながらも外部という異質な手触りのある人材でいることを保とう。だからこそ意味や価値が生まれる。ただ、その際に松田さんのいう文脈を読むということは校内での人や情報の流れをデザインする上で重要なことだと再確認しました。

ぴっかりカフェは、生徒の学校における居場所の選択肢を増やしたことに価値があるが、それ以上に、学校外の居場所を知らせるということにこそ大きな価値がある。若者支援の専門家や、地域のフリースペースの運営者や、地元で起業している田奈高校 OB に、学校に居ながらにして出会えた生徒たちは、社会での居場所の選択可能性を知ることができる。


ぴっかり図書館で交流相談を開始してからというもの、生徒のいない時間や、仕事終わりに飲みながら、自分たちのしていることの意義について、松田さんと鈴木晶子さん(お二人が現在のパノラマの理事です)とよく語り合っていました。その当時、学校というセカンド・プレイスと地域というサード・プレイスの間にある2.5プレイスというコンセプトが浮かんだわけですが、この一文はまさに2.5プレイス感があると思います。そして、そのコンセプトを強化するのが、サードプレイスからd様々な大人たちがボランティアとしてやってくる「ぴっかりカフェ」なのです。

一方、ぴっかりカフェはむしろ教員の来店を心待ちにしている。教員も含めた持てる資源の全てを生徒の支援に注ぎ込むプラットフォームとして、ぴっかりカフェが設計されているからだ。(中略)ぴっかりカフェで、担任は抱えきれない生徒の課題を安心して外部の専門家に相談することができる。これは、学校図書館における教員の教科外活動の新しい支援のしくみとしても捉えることができる。


上記引用は、教師を入れさせない運営スタイルをとっている一般社団法人ドーナツトークが運営する、大阪府立西成高校の高校内居場所カフェ「となりカフェ」との比較ですが、これが興味深い。ちなみに、ドーナツトークの共同代表である辻田さんは、「となりカフェ」をオープンする前に、田奈高校の図書館で行っていた交流相談「田奈Pass」を体験しにいらっしゃったことがあり、その時の刺激が「となりカフェ」を生み、「となりカフェ」の刺激が「ぴっかりカフェ」を生んだのでした。石井は単純かつ勝手に「教師と生徒の出会い直しの場」というコンセプトを持っていましたが、松田さんは、学校図書館の基本機能のひとつとして教師を心待ちにしていたのですね、面白い。

カフェのアイディアを検討し始めた当初から、飲食が学校図書館の機能を阻害するほどの問題にならないことを、筆者は知っていた。学校司書として、これまで5校の勤務校の学校図書館における飲食問題と 30 年以上向き合ってきたからである。学校図書館における飲食問題の核心は、環境や資料が汚れることではなく、図書館は飲食禁止のはずだという大人への説明問題であった。


イノベーションを阻害するものはなにか?それは固定観念なんだろう、ということをこの文章から感じます。そして、それを超えて起こったイノベーションを、人は「破壊的イノベーション」と呼ぶわけです。実際、「ぴっかりカフェ」をそのように評価している人はいるし、図書館に対して既存の価値観しかなければ、カフェに足を踏み入れれば口があんぐりとなることは間違いないだろうと思います。しかし、破壊的イノベーションは一瞬の思いつきで起こるのではなく、絶え間ない葛藤と摩擦から生まれ、ひょんなことから誕生することが、この文章は教えてくれます社会起業家を目指すような人にも読んでほしいですね。

学校には昼休みがある。この 45 分という時間を学校の敷地内に囲い込まれてどのように過ごすのかは、どの高校生にとっても大人の想像を超える切実な問題である。特に問題となるのは、誰とどこで昼食を取るのかである。唯一の親しい友人が休んでしまった女子生徒が、教室でお弁当を広げる勇気がなく校内をさまよっているところを、図書館に誘ったこともある。女子生徒の場合、校内では一人で行動することを出来る限り避けようとする傾向が見られるが、昼食はその最たるものである。生徒の状況を知れば、学校図書館も困った生徒を受け入るのは当然と考えてきた。


こういうことって、読めば「あぁ、そうだろうな」と簡単に思うけど、お昼休みに高校の廊下を歩いて、たくさんの生徒とすれ違っても気付けないというか、想像できないんですよね。人は想像できないことに手を回せません。ぼくを含めた外部支援者はこういうことに対しての用意がないのです。高校内での支援を開始した際や、司書や教員をパートナーとして支援する際に、もっとも助かったことは、このような生徒心理から、ラインを引いてもらえることでした。ラインを超えた支援に生徒はついて来れないですし、ラインに到達していない支援はスルーされます。当然、そのラインが外部支援者により引き上げられることがあります。それこそが学校連携ではないかと思うのです。ここに、外部支援者の校内アイデンティティーがつながっていきます。

学校司書の多くが、学校図書館でさまざまな困難を抱えた子どもに出会い、支援の方法に悩んでいる。担任と情報を共有することすら困難な場合も少なくない。多くの場合、子どもの話しを聴いてガス抜きをすることしかできず、根本的な解決に至らず終わってしまう。困難を抱える子どもを発見しても、次につなげるしくみが無いことが問題である。田奈高校で、ぴっかりカフェの前身の図書館での「交流相談」が始まってから、発見した課題を解決に結びつけるしくみが身近に出来たことによって、この問題は解決した。


若者支援の流れは、発見→誘導→支援への参加→出口→定着と言われています。その中のもっとも大切な、発見→誘導→支援への参加の初動に対する一手が打てないのが若者支援業界だと思います。次の一手は、この初動に対する課題解決モデルの構築と、この流れに加わらせない予防支援であることは間違いありません。NPO法人のパノラマの打った手は後者であり、司書による発見→誘導が若者支援の専門家にダイレクトのパスがつながったことで課題が解決し、この流れが校内に広がり担任からのダイレクト・パスが可能になっています。

「指導」ではなく「支援」マインドを持つ若者支援者と図書館は相性がいい。学校図書館の場合は、公共図書館の司書とは異なり「指導」も必要な場面は当然あるものの、むしろ教育学における「指導」は、今後ますます「支援」へとシフトすることが求められている状況に照らせば、支援的マインドの大人が学校に増えることは時代の要請と言える。外部の若者支援者が学校にアウトリーチする場合、専門職員が常駐する学校図書館を視野に入れることを、もっと積極的に考えることは有効であろう。


「指導から支援へとシフトすることが求められている状況」がいかなる状況かを語るには、恐らくもう一冊報告書が必要だと思いますが、端的に言えば、教育、或いは学校という既存のフォーマット、手法では収めきれない児童・生徒が教室という枠から溢れ出していることを指していると、ぼくは解釈しています。溢れ出してしまった生徒を教育的指導でキャッチアップしようとしてもそれは不可能で、より福祉的な支援マインドや制度活用、それを実現するソーシャルワークが求められているのが現状だと思います。今、それを学校がするのかしないのか、誰がやるのかという過渡期にあり、田奈高校の実践及びパノラマの活動には多くの可能性とサジェスチョンを含んでいると実感しています。

生徒に文化的シャワーを浴びせることは、生徒の予防的支援の観点からだけでなく、学校図書館が担うべき情報リテラシー教育の観点からも必要なことである。「情報リテラシー」の一般的に用いられてきた定義は、「情報か必要なとき、それを認識し、効果的に発見、評価、利用する能力」である。野末(2014)は、それを「コミュニティにおける問題解決の手段」と言い換え、情報リテラシー教育を「問題解決の能力を身につけるための手段」としている。(中略)ぴっかり図書館における情報リテラシー教育の可能性は、とてつもなく広がったと言える。


NPO法人パノラマが取り組んでいる予防支援は、今すぐに際立った成果の出ない地味な取り組みです。成果主義が社会貢献事業やNPO法人内でも声高に成果を求められる昨今、「ぴっかりカフェ」にやってきたボランティアさんや、見学者の方がほっとしたように表情をゆるめ、「素敵な取り組みですね」とおっしゃっていただける背景には、成果を追わない自然な関係が生徒たちと築けていることがあるからだと思っています。そしてその成果は、彼ら、彼女らが守られていた学校を離れ、社会に出て必ず訪れる転機を迎えたときに現れてほしい。その際の課題解決の手段として、「ぴっかりカフェ」に足を運ぶという選択肢を持っていてほしいと願います。

次回は、前校長の中野和巳さんの報告をまとめたいと思います。
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