スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

社会的孤立が可視化される雪かき事情「雪かきをしないのは住人からのSOS」

ここ数年、東京にもまとまった雪が毎年降り、雪かきなんかしたことがなかったのに、いつの間にか恒例の季節行事になり、ご近所さんと「今年はまだましだね」なんて会話をしています。

今日の東京は、降雪から三日が経っていて、雪かきをしていない日の当たらない道路はアイスバーンで危ないったらありゃしません。

そんなアイスバーンを慎重に歩くたびに思うのですが、世の家というのは、単純に、①雪かきが出来る家と、②出来ない家と、③出来るのにやらない家があるわけです。

これは、②と③の世帯が社会的孤立の状態にあることを示していると想像できるのではないでしょうか? というのが、今回のテーマです。

特に東京のような、雪対策のインフラが整ってないエリアでは、雪の残り具合は、社会的孤立を把握する手段として、とてもわかりやすい手段ではないでしょうか。

特に②は、体力のないお年寄りが住人であることが想像されます。高齢で外出が困難な上に、家の前がガッチガチのツルッツルです。買い物にも行けず、誰にも助けを求められずに家の中で困窮している可能性が想像されます。

お年寄りの孤独死が社会問題になっていますが、孤独死をする前に、ガスが止まったり、ポストに郵便物が溜まるなど、世帯の困窮状態を知らせる微弱なSOSが発信されるといわれています。

結局、この微弱なSOSを誰もキャッチできずに孤独死が起こるわけですが、ここで話題にしている“雪かきができていない”状態というのは、微弱を通り越した「SOS」として解釈するべきなのではないかと思うわけです。

降雪後、三日経っても玄関前が雪かきされていない住人のいる家には、市役所の職員が巡回して、安否確認をするみたいなことはできたらいいなと思います。そして、しかるべき福祉サービスや、NPO法人等の市民活動団体との接続をアシストしてあげられないものでしょうか?

また、③は、お年寄りではない可能性が高いですが、ご近所付き合いがないという点で②と共通しています。世帯にある程度の収入があると、世帯の課題が家の外に出ないと言われますが、②のやれるのにやらない、或いはやりたいのはやまやまだがやる余裕がないというのは、湯浅学的な“溜め”のない状態が想像されます。

この機会に一言お声かけが出来るといいかもです。それが難しければ、さり気に雪かきをお隣までしてあげることで、なにかのきっかけになるかもしれませんよね。

以上、ぼくの本業である生活困窮や若者支援と地続きな話題かと思い書いてみました。
関連記事
スポンサーサイト
xmlns:og="http://ogp.me/ns#"
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。