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ある生きづらさを抱えた若者が上司に言われた的を射た一言から考える居場所論

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「おまえは、自分が人にどう思われているかばかり気にしているが、相手が何を考えているかをまるで考えていない」

子供の頃から、気がつくとみんなの輪の外にいたり、不用意な発言で場の空気を乱し、それがケンカやイジメに発展する。

そんな経験を幼い頃からずっとしている人は、失敗を繰り返さないように自分を戒め、常に自分の言動を監視している。

そして、ある日何も言わないことが得策だと悟り、他者に怯えつつ、交流を経ってしまう。以下、このような方々を「生きづらさを抱えた人」と呼ぶ。

冒頭の言葉は、組織の中で他者に怯えつつ、不用意な発言を控えるあまり、コミュニケーションを極力取らない部下に放った上司の言葉である。


ぼくは、「あぁ、そうそう、それそれ」と合点がいってしまった。

生きづらさを抱えた若者たちは、一般の人たちが信頼関係の中でレベルを落としている「周囲への警戒」と「自己監視」のアンテナの感度をフルに上げていて、ワーキングメモリがいっぱいいっぱいになっている状態なのである。

メモリが不足しているので、相手が今何を考え、求めているのか、先回りして考える空き容量が頭になく、結果として気が利かないヤツや、自己中のレッテルを張られてしまう。

また、常に感度をフルにしていることで被害妄想をするようになったり、うつ病になってしまうことも多い。

このようなことからの回避行動として、ひきこもることを選択している生きづらさを抱えた人たちは一定数存在しているが、ぼくにはそれが、命を失わないための、ある種の生存戦略だと思われてならない。

生きづらさを抱えている人たちに必要なものは、警戒と監視の感度を落としても安心していられる自室以外の場=居場所である(それがオンライン空間でも一時的にはいいと思う)。

或いは、これらを学校に置き換えれば、教室以外、またはスクールカーストの外側の居場所がその役割を果たすと考えられ、学校内居場所事業が現在注目されているんだと思う。

このような場で、信頼できる大人に出会うことや、仲間ができることが、社会や他者に対する結果期待(自分が行動を起こした際に得られる成果への期待)を持ち上げ、結果的にワーキングメモリを解放することになる。

そうすると、他者を察し、労わる余裕ができ、社会的な存在である自分を取り戻したり、再構築したりできるのだと思う。

実はこのうような場は、生きづらさを抱えた人たちだけではなく、誰にとっても居心地の良い場所だったりする。

例えば、他人を批判しないなどがルールのワークショップに参加し、いつもより多くの発言ができたり、見ず知らずの人と打ち解けたりした経験をお持ちの方なら、きっと実感しているはずだ。

このような場の創設が、教育の多様化の根源にあって欲しいし、企業のダイバーシティのコンセプトになるべきだと思う。



この記事に支援者仲間たちが反応してくれて記事を書いてくれました。

「失敗」をするハードルって相当高いんだろうなぁ Nakagawa Shouhei
https://note.mu/shnakagawa/n/nd0910183b983

昔(20代前半の頃)、恩師に言われた一言「お前のはプライドじゃない、ただの自意識。そもそも“プライド”なんてものは、お前ぐらいの年で得られるものじゃない」



自分を気にしなくなるということ yoi_suimin
https://note.mu/yoi_suimin/n/na374a319db34

そういう人って、「自分が人にどう思われているかばかり気にしている」ので、誰のことも好きじゃないんだなあ、と思いました。で、誰のことも好きじゃないから、交友が広がらないんですよ。平たく言えば、友達ができない。

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