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白旗を揚げられる学校〜「フリーターになってはいけない」とは、思考停止した大人たちの言葉〜

 6 年程前から、首都圏の公立高校でキャリア・ガイダンスなどを実施させていただいている。私は引きこもりやニート、フリーターの若者の自立支援を専門としているので、「ニート、 フリーターにさせない」が、私に与えられた役割であり、ひいては進路未決定者の減少に少しでも貢献できればと活動をしている。

 学校との事前打ち合わせで、フリーター経験が長かったという私のプロフィールを見てのことだろう、「フリーターになってもなんとかなる的な話はしてほしくない。フリーターじゃだめなんだということをわからせてやってほしい」という念押しをされることが多く、苦笑してしまうことがしばしばある。

 私がフリーターをしていた時代(69年生まれ) とは、 もはや別の国と言ってもいいほど雇用情勢は激変しているので、自分をロールモデルとして話そうなどという気持ちにはこれっぽっちもなれない。しかし、フリーターという生活を“つなぐ”ためのサバイバル手段(目的ではなく)としての選択肢を、学校や教師の価値観で断ち切れるほど、就職希望の生徒たちに対する求人票はあるのだろうか。

 文科省が2012年 8 月に発表した学校基本調査では、大卒者約56万人のうち、ほぼ4人に1人にあたる12万8 千人(約23%)が非正規雇用だったという発表があった。安定した職に就いた60%の学生も早期離職し、結果、 大学を卒業しても 2 人に 1 人が安定した職に就けていないというデータもある。

 このようなキャリアを形成する足場が崩れたと言わざるを得ない日本社会において、「フリーターになってはいけない」といった学校的アプローチがどれほど効果的なのだろうか。この疑問が私の中で日々強くなってきている。

 「~ではいけない」という否定的なアプローチは、前述の大卒非正規12万 6 千人や、毎年 7 万人近く出現する進路未決定者及び一時的な職に就く高校生のことを前提から外しており、事実を無視した排除的アプローチなのではないだろうか。

 白か黒か、勝ちか負けか、このような切り捨て的な価値観では、もはや生き辛さを助長するだけである。逆に、どのようにこの時代のグレーゾーンを生き抜いていけばいいのか、その生活をつなぐ サバイバル・スキルを教える必要があるのではないかと感じている。

 しかし、現実的には「正規雇用から正規雇用への移行」はある程度可能でも、「非正規雇用から正規雇用への移行」は困難を極め、簡単に言えば、新卒時にフリーターになった若者が、その後、敗者復活戦を勝ち抜き、正規雇用される見込みは、今の日本では相当に厳しく、東京都教育委員会が2013年に公表した「都立高校中途退学者等追跡調査」報告書によると、進路未決定者のその後の正規雇用率は、わずか3.1%である。

 「フリーターになってはいけない」では排除を生むし、「フリーターになっても何とかなる」でも、今の時代的には偽善的である。このようなジレンマのなかで、学校や私たち大人は、生徒に対してどのようなことができるのか。このことに向かい合わず、「フリーターになってはいけない」ということを言い続けていいのだろうか。

 このことを痛感するのは、産業 (雇用) のない地方でのキャリア教育を依頼された時である。外部から来た講師への期待感に目を輝かせた生徒を前に、私は無力感に襲われ、毎回自己嫌悪に陥る。それでも尚、「フリーターになってはいけない」と、私たちは言い続けるのか。

 結論づけるなら、「フリーターになってはいけない」とは、思考停止した大人たちの言葉なのだと私は思う。

 これだけ多くの若年者問題が毎日のようにマスコミに取り上げられていても、学校現場を訪れると、自校の取り組み実績を紹介し、非常に成果を上げているとおっしゃる学校は多い。また、厚生労働省の実施事業である地域若者サポートステーション(以下サポステ)が取り組む、高校とサポステの連携による「中退者等へのアウトリーチ事業」(現在はほぼ消滅?)での課題は、 NPO法人等が学校に連携を求めても、そのような連携は必要ないと、門前払いされてしまうということが課題として挙げられている。

 フリーターやニートになってしまう生徒は必ずいるのだから(例えば就職率100%を自負する工業高校の生徒のその後の早期離職率はどうなっているのか?1年以内に離職する生徒は毎年20%近い)、NPO法人等との連携によりセーフティ・ネットの網の目を細かくしていく必要があるはずだ。

 恐らくサポステのアプローチ方法にも課題はあるのだろうが、学校は外部支援者からのオファーに対し、拒絶する体質であるのは確かだと思う。そして、想像ではあるが、教師はできていること、知っていることを伝えるのは得意だが、できていないこと、知らないことを伝えることが非常にし難い職業なのではないだろうか。

 ここに外部との連携の難しさが生じており、その根底にあるものは、教師が勝手に背負い続けている、或は背負わされ続けている「完璧であれ」という職業的宿命のようなものだと私は感じる。

 全国的に注目されている高校に目を向けると、思い切って苦手なことや、できないという、不完全さを曝け出すことで、地域や企業が手を差し伸べ、課題解決の方策が構築されているように見受けられる。

 現に、私が相談員等を務めさせていただいている県立田奈高校でも、校長は初対面の私に対し「これだけのことをしているが、まだダメなんです。お力を貸して下さい」とおっしゃった。私はその時、校長の誠実な態度、まさに生徒ファーストを体現されたその姿勢に、何かしなければならないという使命を感じ、後日、現在取り組んでいる「有給職業体験バイターン」を提案させていただいた。

 私やNPO法人にも言えることだが、自分たちですべてできるという思い込みの全能感が、教育や支援を硬直させ、できなかった“もの”や“こと”を覆い隠し、できていることにしてしまう。これが「フリーターになってはいけない」という排除的アプローチを選択してしまう根っこの思考だと私は考えている。

 20代の生活保護率の高さや、若者の自殺の問題等、学卒後の課題が顕在化するなか、学校への社会的要望は年々大きくなっている。職業(キャリア)教育の強化など、それはもはや、教師という専門性、学校という機能を超えた要望となっていないだろうか。学校が社会の責任を無責任に押し付けられていると私には映る。

 日本を下支えする分厚い中間層になるはずの者たちが、学校を卒業した瞬間に危機的な状況に陥っているのに、学校はいつまで「できている」と言い続けるのか。今まさに、学校に専門スキルを結集した『アベンジャーズ』のような「チーム大人」を作らなければならない時ではないか。

 それにもかかわらず、学校は「できている」と言い続け、外部支援者を拒み続けてしまう。この歪みの中で、 右も左もわからない生徒たちが、右も左もわからないまま卒業し、人生の早い段階で躓き、体制を立て直せないまま大人になっていく。学校は、何でもできるという思い込みや、そうしなければらないという教師の職業的使命感を捨ててほしい。

 そのためにはまず学校が全能感を取り払い、自分たちの強みと弱みを再評価し、できていない弱みをしっかりと受け入れることが第一歩だと思う。これからの学校経営に成功するのは、そのような「白旗を揚げられる学校」であると私は確信している。

 そしてそこに勝者はいなくていい。 それがこれからの時代なのではないかと思う。
    
株式会社シェアするココロ
石井正宏



以上は、財団法人・神奈川県高等学校教育会館 教育研究所が発行する「ねざす」 №50 OCTOBER 2012 に私が寄稿したものに、若干の加筆をしたものです。今思うと、よくこのような文章を教育側の方々が取り上げて下さったなと思います。

本文に出てくる「有給職業体験バイターン」が、LOCAL GOOD YOKOHAMAでクラウドファンディングチャレンジ中です。是非、プロジェクトの内容をご確認いただき、共感していただければ、寄付等でのご協力をお願い致します。
https://cf.yokohama.localgood.jp/project/有給職業体験プログラムバイターン
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