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発達障害の子どもの自立を左右する「かわいがられ力」の育みについて

かわいがられ力

発達障害のお子さんをもつ保護者向け講演というお仕事をいただき、僕が15年間の支援経験の中で出会った多くの発達障害の方々について思いを巡らせ、ずっと思ってたことが言語化できたように思うので、書いてみたいと思う。トップ画像は講演資料のパワポからの抜粋である。

僕は高校生の中間的就労支援として、有給職業体験バイターンというものに取り組んでいる。大学生等の数値化したドライなマッチングと対比させ、バイターンを「情・縁・恩」のウェットなマッチングだということを言い続けている。

高校生が就労につながっていく姿を見ていると、能力や適正よりも、「情・縁・恩」が発動した結果だと僕は考えている。考えてみると、雇用という契約には少なからずこの「情・縁・恩」が発動している。逆に言うと、雇用契約を結んでもらえない人たちは、これらを発動できなかった人たちだと言い換えられる。

何が「情・縁・恩」のスイッチを入れているのか?

それは「かわいがられ力」だ。この無自覚でノンバーバルなソーシャル・スキルは、世の中をサバイバルしていくうえでは必要不可欠且つ最強のソーシャル・スキルなのではないだろうか?

フェイスブックでこの話題をシェアしてくれた、とある中間支援をしているNPO法人の方がこんなことを書いていた。

ここでいう「かわいがられ能力」は、すごく大事だなー。ソーシャルリーダーは、これを持ち合わせている人が多い気がします。


そう、この「かわいがられ力」は、子どもたちだけのものではなく、我々大人にも魅力として宿っているものなのだと思う。そして、僕ら支援者が本当に支援に苦労する方々は、この「情・縁・恩」を発動させられない人。残酷な言い方だけど「かわいがられ力」のない人である。

特に発達障害の方の就労支援をする際は勉強ができる、仕事ができるということ以上に、この「かわいがられ力」が重要な要素になる。発達障害の子どもを持つお母さんが、「発言小町」で子どもの療育について投稿したスレッドに、障害者雇用支援をしている支援者から以下のようなコメントが寄せられていた。

学力があっても、良い人間関係が築けないと、就職→自立は難しいのが現状です。この不景気ですから、作業所からも断られるケースはめずらしくはありません。逆に、素直で指示が通る頑張り屋さんなら、学力がどうであれ、最終的にはどこかに受け入れ先があります。


この方の投稿に、僕ら支援者は共感する者が多いのではないだろうか。

「かわいがられ力」を失わせているのは、たいていの場合、保護者の無理解、非受容であり、どこまでも“普通”や“一般”を子どもに押し付け、子どもが自己効力感を失った結果だと僕は思う。外で多少のいじめにあった経験があっても、親の受容力の強い家庭の子は、ほのぼのと可愛い。

彼らの瞳に宿る、人に対する無防備とも言えるような期待感がいい。こっちもその期待に応えてあげたくなる。この誰もが持っている母性に対してアピールして来る魅力、それが「かわいがられ力」ではないだろうか。それを構成しているものは自己効力感をベースにした「結果期待」である。

社会には期待するにたるものがある。

それを子どもに実感させる子育てというのは、発達障害の子どもに限らず、すべての子育ての原点なのではないだろうか?そしてその期待を幼児期から裏切られ続けた子どもたちに、僕ら支援者は会って来ている。

自分の支援経験の中で、「かわいがられ力」は、一度失うと取り戻すことのできない宝物のようなものだと実感している。宝物を失ってうつろな目をしていたアイツ。宝物を奪われて怒りに満ちた目つきをしたアイツ。過去に関わって来た若者たちの顔が過る。

結果期待や自己効力感を育む学習経験をどう親がデザインしてあげれるかってことが療育だけではなく、子育てのの一番のポインだ。その際に、発達障害のお子さんに対しては、自分の当たり前を一度リセットしないと、どこまでも“普通”や“一般”を子どもに押し付けてしまうことになる。

だから障害受容というのは本当に難しくデリケートで重要な支援である。そしてそれは早ければ早いほどいい。そう、宝物を失ってしまう前に。僕は発達障害の専門家ではないけど、これはいろんなところで話したいと思う。

そして、一度失ってしまった宝物を取り戻すことのお手伝いをしているのが、僕たち支援者なのかもしれない。
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