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生徒と講師の間のノンバーバル・コミュニケーションが講師に与える影響についてのちょっとした考察

生徒が「し~ん」とメモを取りながら講師である僕の話を聴いている。

一見すると、授業態度の素晴らしくいい生徒たちなんだけど、実はこの「し~ん」には2種類ある。ということにセミナー中のメタ認知機能が上がって来た僕は最近気がついてしまった。

気がついたきっかけは、僕が「し~ん」に対して、セミナーにより二つのまったく異なる反応を起こしていることに反省したことからはじまった。

ひとつ目の反応は、冗談がひとつも言えず、自分らしさが出せないままサクサクと講義を進めてしまうことで時間を余らせてしまい、最後にあたふたとするパターン。これを「生真面目講師」キャラの自分。

ちょっと早いなと、時計と残りの資料を見比べながら思うんだけど、どうにも気持ちが入らず、話が膨らまない。強いリミッターが効いてしまっているような状態で、結局リカバリーできずに最後のスライドに…。これ、じんわり凹みます。

もうひとつは、そんなに聴いてくれるんならこんな話もしちゃうぞ!とノリノリで喋っちゃって、結果、時間が足りなくなり、最後にあたふたとするパターン。いずれにそろあたふたしていますが、こっちは「面白講師」キャラの自分。

僕は本質的には「面白講師」キャラなんだと思うけど、キャラを発揮できずに「生真面目講師」で敢えなく終わってしまうときがたまにある。なぜ、そんなことが起こるのか? 僕が未熟であることを棚に上げて解説してみようと思う。

以前、僕の信頼する高校教師が、「ざわつき」についてこんなことを言っていた。

「ざわつきにも二種類あって、授業に反応して、身体はこっちを向いているざわつきと、まったく関係ないところでざわつき心が離れているざわつき。前者なら別に問題にする必要はないんだ」

「ざわつき」と一緒で、「し~ん」にも実は二種類あるんです。それは、①強制力の働いた躾けされた「し~ん」と、②主体的に聴く態勢となった「し~ん」の違いです。

お金を払って聴きに来る、休みの日にわざわざ聴きに来るような講演では①はまずないと思いますが、学校のような場、或いはサポステのような無料で利用でき、スタッフに促された参加などでは、②はありがちです。僕は②のシチュエーションが多いので、この話しが死活問題なのです。

大前提として、講師と生徒(受講者)の間には、常にノンバーバルなコミュニケーションが発生しているということ。これ、言われるとそりゃそうだと思うかもしれないけど、こういうことに気づくのに、僕はけっこう時間がかかりました。

僕が「生真面目講師」キャラになるのは、ある意味、傾聴トレーニングでよくやる『お地蔵さんゲーム』のお地蔵さんがたくさんいる前で、独り言を言っているようなものだったのです。

僕に足りなかったのは、このお地蔵さんたちを主体的な参加者に変える仕掛けをしていなかったこと。もっと言えば、主体的な参加者であることを前提にしてしまっていたこと。

ここは目下の課題です。短時間で、或いは一言でふっとお地蔵さんに魂を吹き込むワード。これは思いついているので、手応えが出たらまた報告することにします。

一方、僕が「面白講師」キャラになるクラスでは、生徒が食い入るようにうなづき、なるほど!という納得感を表情で返してくれる。真剣な話のところでは真剣に、僕の冗談には笑顔で応えてくれます。講師と生徒の間にノンバーバルなグッド・バイブレーションが発生しているんですね。

いい講師はこの「場の空気」を、相手の特性に関係なくコントロールするんでしょうね。僕もここを目指したいです。「つづきはまた次回」が利かない一発屋の非日常を担当する外部講師として、この「場の空気」をコントロールしなければプロとは言えないですよね。

残念ながらこういうことを教えてくれる師匠は僕にはいません。こうやって気づきの積み重ねと、そこからのトライ、まさにPDCAサイクル個人的に回し続けることが大切であり、全国の僕のような師匠のいない支援者たちにシェアすることが重要なことだと思っています。
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