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生活保護の「補足性の原理」は自立を助長しているのだろうか?

補足性の原理とは?

厚生労働省のHPには、生活保護の補足性の原理の基本的な考え方が以下のように示されています。

保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
(生活保護法第4条第1項)


これは、活用できるものすべてを活用した上で生活が成り立たない場合に限り生活保護の申請を認めるというもの。

「扶養家族に扶養してもらえばなんとかなるじゃないか」という発想もここに根っこがあります。

その扶養の問題は今日は置いておいて、Wikipediaに書いてある『生活保護の補足性の原理』の記述を見ていて、つい悩ましいことを考えてしまったので、つらっと書いてみたいと思います。

(前略)売れるかどうか分からない絵を描くことや選挙活動や宗教活動や発明研究等に没頭することなどは少なくとも現時点の自分の経済生活に役立っているとはいえないため、補足性の要件には該当しない。


こういう人はその活動をやめてちゃんと働きなさいね、というこです。これは確かに道理にかなっていると思う。

毎日売れないマンガを描き続け、子どもがひもじい思いをしている友人がいたら、「おまえさ、そんな売れないマンガ描いてないで少しはまじめに働けよ」と、稼げない仕事している自分を棚に上げて言うでしょう。

しかし、人の人生は十人十色。様々な事情を抱え、道理というもので簡単に割り切れるような人生を誰もが生きているわけではないのです。

ここに悩ましいケース(架空)を紹介します。このケース自体にスポットを当てたいわけではないので、なんで働けないのか等は省力します。

(以下架空)一人暮らしのいわゆるひきこもり状態の高橋さん(35歳男性)。外出することが困難で、少ない親の仕送りで、近所のスーパーで辛うじて食材を買って生活をしている。

親が高齢でこれ以上の仕送りは続けられないと言われており、親の仕送りが止まったら生活保護を申請しようと思っている。

高橋さんはギターを弾くことが趣味で、若い頃に買ったビンテージ・ギターと、アンプやエフェクター等を所有している。

売ればちょっとしたお金が得られそうだが、ひと月もすればなくなってしまうくらいにしかならないでしょう。

生活保護受給で失ってしまう大切なもの

(物語に汎用性を持たせたいので、ここからはギターを「大切なもの」とさせていただきます)

補足性の原理でいえば、高橋さんは大切なものを処分しなければなりません。

しかし、高橋さんが大切なものを売って得られる金銭と、大切なものを失う精神的損失を天秤に掛けた場合、間違いなく失ったものの方が重く大きい。

高橋さん的には、これからしばらくの間、得られるであろう保護費よりもきっと大きなものだと思います。

大切なものを失いたくないから生活保護の受給申請をしないという方は実はとても多く、時にはその失いたくないものがプライドだったりもします。

高橋さんにとってのギター=大切なものとは、人としての「尊厳」だと思うんです。

生活保護の補足性の原理により失う大切なものとは尊厳なのではないか?これが僕がこのブログで悩ましく考えていることです。

そして、大切なものを持ち、人としての尊厳を奪わない方が、自立の可能生が上がるとは言えないのでしょうか?

ここで押さえておきたいことは、生活保護とはそもそも自立を助長することを目的とする制度だということです。

今回のブログの悩ましい動機とは、「補足性の原理」が「自立の助長」を時として妨げているということがあるのではないか?ということです。

これを運用するケースワーカーさんたちもきっと大変でしょうね。

また、横浜パーソナル・サポート・サービス「生活・しごと・わかもの相談室」で、生活困窮者支援に携わって実感してしたことは、すべてを失ってからの支援というものは、ゼロからではなくマイナスからだということです。このことをもっと知ってほしいと思います。
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