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ひきこもり問題はもはや若者問題ではない。〜支援ニーズのなき支援をどう考えるか?〜

(はじめに書いておきますがここに答えはありません)

ひきこもりの長期高齢化という凪

講演会の質疑応答で、「ひきこもり当事者もその保護者も支援を希望していない世帯に対する支援はどうするべきか?」という趣旨のご質問をいただき困惑してしまいました。

ひきこもり問題の一番のボトルネックは、この支援の要望がないという“凪”にあると思います。特に長期高齢化したひきこもりの方及び、その世帯はその傾向が強いです。それは本人自身が支援に対して頑になっていくということと、ひきこもりの初期的な“荒れ”を経験している保護者が、それを蒸し返す体力を失っているということなどが要因としてあると思います。

以前にこちらに書いたように地方では、その家にひきこもり状態の人がいることは、民生委員を筆頭にみんなが知っている公然の秘密になっていることが多く、見兼ねている近隣住民の方は、このような歯痒さを少なからず持っているのではないでしょうか。中でも僕の講演を聴きに来るような地域活動に熱心な方はその思いが強いようです。

支援の現場からは「警察沙汰なんかがあってくれた方が介入のきっかけになる」と、ちょっと物騒な話も聞こえてきます。現状では、支援ニーズを表明していない方及び世帯に対しては支援の方策がないということです(あったら教えてください)。

支援ニーズがない方への支援をどのように考えていくか?

これは凪いだ海にどう波風立てるかということですが、これができないところにひきこもり支援の限界があると思います。例えが飛躍しますが、山梨県の雪害の長期化は、想定外の降雪量と除雪車の不足と雪を溜めておく場所をそもそも作っていないことがあるようですが、ひきこもり支援もまったく同じで、ここまでのひきこもりの若者が出現することは想定外であり、そのために支援者(除雪車)が用意されておらず、雪溜め不足と同じく支援機関もない…。「じゃあ、今から全国に雪溜めを作りますか?」というのは「サポステは160カ所でいいの?」という議論と作りが同じ気がします。

そして、この支援ニーズのない支援というのは、ひきこもりを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかという、支援業界創世記当時に立ち返った議論の「振り出しに戻る」的な残念な感覚が僕にはあります。これの責任が誰が取るのかというデカダンな議論は止めて、一端、敗北宣言を出して、これからじゃあどうするって議論が必要だと僕は思いますし、個人的にはそういうムードでいます。

ひきこもり問題はすでに若者問題ではない

僕は当時、目の前の若者に対峙することが精一杯で、「ひきこもり是非議論」に対して興味が持てなかったのですが、そんな僕がざっくり整理すると、肯定派はひきこもりを人間としての成長の機会と捉えていたと思います。しかし、残念ながらひきこりで成長する方はごく稀ではないでしょうか。失うものの方が大きく、特に長期化してしまうと、社会復帰が困難になります。また、社会的損失も計り知れないものがあります。

最近、ひきこもり支援のトレンドは「親亡き後をどう生きるか?」というものにシフトしてきていますが、その内容はファイナンシャル・プランナー的な、資産がありその運用を成年後見人に託しという資産運用の話なんです。しかし、その資産がない方も多く、それで短期的に“しのぐ”のはいいと思いますが、その後はどうするのか?に対する希望は見えません。

「支援ニーズなき支援をどうするか?」という問いは、お年寄りのひきこもりや孤立死につながる問題であり、もはやひきこもり問題は若者問題ではないと考えるべきだと思います。ですのでこの問いが、ひきこもり支援のブレイクスルーとなるキッカケを超え、社会保障2.0的な議論に発展していく可能性を、僕は漠然と感じています。
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