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「しょうがない世界と可哀想な世界」〜若年者就労支援はどうなっていくのか?〜


変な言い方ですが、若年者就労支援が成立する条件は、
働けていない若者がマイノリティで出口となる求人があることです。

この逆は、働いていない若者がマジョリティで、
出口となる求人もない、まさに今のギリシャやスペインです。
そうはなってほしくないという思いで、以下、連々と書いていきます。

現在の日本の若年者就労支援というのは働いていないことが少数派な状態で、
そこに求人があるのになんらかの事情により働きたくても働けないという、
「可哀想な若者」という暗黙の合意事項があって成立していると思うんです。

いや、この合意形成をするために先達たちや、僕らは活動をし続けてきたんだ、
と言っても過言ではないかもしれません。

NPO法人の打ち出しもそんな琴線に触れるメッセージで溢れていますし、
僕自身の活動もこの文脈の上に成り立っています。

しかし、これらは若年者の失業率が一桁台で、
若者のマジョリティは働けているという状態の間だけで通じるアプローチであり、
ギリシャやスペインのように若者の失業率が50%を超えると、
何処かの時点で可哀想が「しょうがない」に変わるんだと思うんです。

この何処かの時点が、
失業率に関係なく実はもうすぐそこまで来ているのではないでしょうか?

昨年度、大学を卒業した若者56万人のうち36万人が就職して、
12万人がフリーター、8万人が進路未決定という昨今、
大卒フリーターや無業が「しょうがない」になっているように感じますし、
毎年5万人の高校生が進路未決定で卒業している問題が話題にならないのは、
それが社会のデフォルト=「しょうがない」になっているからだと思います。

フリータだからしょうがない…。
生活保護だからしょうがない…。
行政に行けば、予算がないからしょうがない…。
地方に行けば、産業がないのでしょうがない…。

悲しいですが放射能の問題も、もうしょうがなくなってきていますね…。

可哀想ではなく「しょうがない」、
というお手上げ状態が日本のいたるところにあります。

若者たちの失業率が上がると納税率が下がり、
若者がタックス・ペイヤーではなくタックス・イーター(税金食い)になる。
当然のことながら政策としては心の問題や、個人・家族の問題から、
労働政策・雇用対策色が色濃くならざるをえなくなります。

その色とはまさに今聞こえてきている、
国から委託事業を請け負っている支援関係者らの国に対する愚痴的部分、
個人的に要約すると「結果重視の経過無視」という流れになるんだと思います。

何が言いたいかというと、若年者就労支援を行っている、
今の僕らの支援の経過で発揮されるスキルやノウハウ、
マインドさえもが通用しない時代が直ぐそこまで来ているよ、
“何処かの時点”は相当近いぞ、
そしてそれには僕ら若年者就労支援のスキルでは対応できないんだってことです。

こんなことを書いているのは、このままグローバリゼーションに走ってくと、
間違いなく弱者切捨ての「しょうがない世界」になるという、
強い危機感が僕にあるからです。

そうなると僕ら若者支援者が今でも言われる「甘やかし論」や、
「自己責任論」がより強まるだろうし、
今でもそうだけど、人の支援なんかしていられず、
自分の雇用の確保と生活の維持にもっと翻弄されていくことになるでしょう。

「今でも」が2回続きましたが、
これはもうそういう時代に片足突っ込んでるということじゃないでしょうか。

しかし、僕ら日本人は「しょうがない世界」ではなく、
お互い様な「可哀想な世界」に生きてきたと思うんです。
(ここは根拠がなくてちょっとセンチメンタルかなとは思いますが…)

子どもたちに託された未来を僕らは管理運営しているんだと思うんです。
若者たちが地域で食えて、誰もが望めば、等身大の幸せにありつける社会。
これを実現するための選択を僕らはしているのでしょうか?

僕は「可哀想な世界」がいいです。

可哀想を「施し」だとか「上から目線」だ言う人もいますが、
「この人をなんとかしてあげたい、いっしょに幸せになりたい」
っていう気持ちが、大人たちのポリシーになってほしいです。

「しょうがない化」を食い止めるためにはローカリゼーション。
地縁の復活だと僕は考えています。

身の丈に合わないドデカイ話を書いてしまい、
あまりまとまりませんが、最近考えていることでした。
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