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心と体は本当につながっているのか?

メンタルの不調やストレスが体に出るってありますよね。
頭痛だったり発疹だったり、ものもらいだったり腰痛だったり…。

心は悲鳴のあげ方を知らないようです。
だからいつも体の方が先に症状が出る。

整骨院なんかで腰なんかを揉んでもらいながら、
いかにも体育会系ながっちり体系な方に
「ストレスですねえ~」なんて言われます。

はぁぁ~…と、うつ伏せになりながら、
当たるも八卦、当たらぬも八卦のようなことを言われ、
「そうかもですねえ…」なんてあやふやに答えつつ、
目の上のたんこぶのアイツを思い出し、
誰にだってそんなもんのひとつやふたつはあるだろうに、
「あれかなあ…」なんて心のなかで思ったりして。

心も身体もすっきりしちゃったなあ、なんて出口で伸びをし、
暗くなった空に星を探したりして。
もう少し自分に優しくなろうなんてことを夜道を歩きながら考え、
帰りにコンビ二スイーツとかを安直に購入するんです。

(すみません、勝手に設定を絞り込みすぎました…)

そんなときに「体の不調は心の不調なんだよ、心と体はつながっているんだよ」
というようなことを言われると妙に納得するわけですが、
自閉症で作家の東田直樹さんのブログエントリー
「変になったと思う時」を読んで、僕の中でパラダイムシフトが起きました。

心と体は、つながっているように見えて、
つながっていないのではないでしょうか。


「まるで壊れたロボットの中にいて、操縦に困っている人のようなのです」と、
自閉症である自分自身を東田さんはそう語っています。
この言葉を東田さんならではの言葉として受け取るのではなく、
「人間の心と体はデフォルトとしてつながっていない」と考えてみた方が、
様々なことに合点のいくことの方がが多いのではないか?
このブログを読んだときに思ったことです。

メンタルに不調を来した方からこんなことを聞いたことがあります。
「首から下は自分じゃない気がする」と。
そして不調から抜けると「やっとつながった」と感じるそうです。

健康というのは心と体がうまくつながっている状態。
不健康になると心が体を上手にコントロールできなくなってしまう。
稀に自閉症など心と体が上手くつながらずに困っている方がいる。

なんかそんな風に考えると、
乗り物としての「体のメンテナンス」という言葉がしっくりきます。

こんなことをあてどもなく数日考えていたら、
ふと名著『7つの習慣』に出てくる「刺激・反応、そして選択の自由」を思い出しました。
このことを書いた過去エントリーはこちら

パブロフの犬に代表される条件反射は、刺激に対する条件づけられた反応ですが、
著者のスティーブン・コヴィーは以下のように、
反射と刺激の間に選択の自由があると言っています。

つまり、人間は刺激と反応の間に選択の自由を持っているということである。この選択の自由の中にこそ、人間の人間たる四つの独特な性質《自覚・想像力・良心・自由意志》がある。


ここでいう選択の自由こそが人間の尊厳であると思います。

改めて「心と体はつながっていない」
僕はその接続ポイントに「選択に自由」があるんじゃないの?って思います。
東田さんの困難は、この自由が奪われていることより起こっている困難であり、
乗り物である体を「壊れたロボット」と表現されていると思うんです。

「選択の自由」は、心理的には「認知」ということが言えるかもしれませんね。
認知=受け止め方により、選択=行動や態度が変わる。

このようなことも心と体はつながっていないと考えてみた方が、
自分自身をコントロールしたり、体を労れるのではないでしょうか?
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