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団地と貧困

僕自身が現在団地住まいで、
中学から18で家を出るまでずっと団地だった。

家を出た後の一人暮らしもアパートで、
壁一枚隔てて赤の他人がいるという生活に嫌気がさし、
30代は福生で平屋の家を借りてしばらく住んでいた。
あそこの濡れ縁は忘れられないな。

ひょんなことからNPO法人で働きはじめ、
ずっぽりとはまり、三人目の子どもが生まれた頃、
このままこの仕事を続けていこうと覚悟を決めた。

前々職の営業職の頃はマイホームを夢見ていた時期もあったけど、
でもこの仕事を続けていくなら、
家賃の安い団地に住むべきだと考え今の団地に応募して当たった。

団地の魅力はなんといっても、家賃の安さだ。

以前、その当時、東京都で生活保護世帯が一番多い足立区で、
生活世帯の若者へアウトリーチ(家庭訪問)を任されていて、
区の職員の方からよく、足立区の歴史的背景を聞かせてもらった。
(現在は台東区1位で足立区は2位、3位が板橋区)

ウィキペディアで足立区を調べ、
住宅団地の項目を見てもらえばわかるけど、とにかく団地が多い。
自転車でアウトリーチしていたのだが、本当に団地だらけ。
そして家庭訪問した若者の家は一部の多子世帯を除き、
みんな団地住まいの方が多かった。

区の職員の方曰く、足立区は1960年代に団地の誘致を積極的に行った。
その結果、低所得の方々が足立区に集まって来て、
その結果今のようになったという。
真相は未確認だが、納得感のある話しである。

経済格差が教育格差になっている現実

学区のない高校との付き合いが多い僕は、
エリア特性のようなものが浮き彫りになることはあまりない。
高校を形作っているのはエリアではなく偏差値だといえる。
なので、課題集中校とか学力下位校などと、
団地=貧困の因果関係が浮き彫りになることがない。

しかし、これが地域に密着した中学校となると一気に話が変わる、
というのを最近実感する機会が何度かあった。

某政令指定都市の某区中学校のあるエリアを地図で見ながら担当者と話していると、
「集中的に支援を行いたいのがこことここ」と指をさした。
理由を聞くと2校とも学区内に大きな団地があり、
その団地の貧困問題が生徒たちの問題行動や学力不信に直結しているという。

某県の某中学校の校長室での意見交換の場でも、
「◯◯中学は◯◯団地があるからどうしても荒れる」という発言があった。

まさに経済格差が教育格差になっている現実だ。

団地と貧困。

僕はその渦中で育ち、渦中で子育てをしている。
職業柄でも、個人史的にも、これは他人事じゃないぞと思う。

そしてこのところずっとこだわって書いている、
ブルデューの経済資本、文化資本、社会資本の話とも直結している。

経済資本のない人々が安い団地に集まってくる。
そこでは文化資本を享受できない子どもたちが、
知的好奇心を満たすことができずに育っていき、
狭い社会関係資本の中に閉じていきながら問題行動を起こし、
学力不信で行き場を限定され、やがて孤立していく…。

大人になり狭くなった団地を飛び出した子どもたち(まさに自分)は、
学歴もなく、手に職もなく、頼れる仲間やコミュニティも持たないまま、
結局団地に戻ってくるという連鎖があるのではないか?

こんなことは中学の先生たちの間では常識的なことなんだろうか?
しかし、10何年この若者支援の業界にいて、
それなりにアンテナ張って活動してきた団地住まいの僕が今、
「あれ?団地ってそんなことになってたの??えっ!?」となっている。

団地にはある種のタブーがあるのではないか?

自分自身でも蓋をしてきた、受け入れがたい事実なのではないか?
ネットで検索してみると、直接的な議論はないが、
「団地差別」という言葉が散見され、
「部落差別」を思わせるものを感じさせる記事もある。

早期発見・早期支援というより川下から川上へという流れを意識すれば、
無視できないものであることは言うまでもない。

でも僕の周りで「団地と貧困」について語っている者は一人もいない。
一当事者として、突き詰めていきたい大きなテーマである。
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