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社会が1ミリでも良い方に動くなら、 それはお節介な大人が余計なことをした時だ。

僕がNPO法人で働き始めた2000年当時、
若年者就労支援業界には委託事業はありませんでした。

それは即ち自主事業でしか食いようがなかったということもであり、
逆にいうと自主事業で食えた時代だとも言えます。
もっというと行政はパートナーというよりも敵に近かったような気がします。

僕はあの頃のNPO法人を「牧歌的な時代」と呼んでいます。
少なくとも僕のいた法人はそうでした。

その当時の僕らには、仕様書もなければマニュアルもありません。
すべてがOJTで、理事長や先輩たちの思いを汲み取りながら、
目の前の若者たちの発言や態度に対して反応する試行錯誤の日々でした。

それでも十分成果を挙げていました。
日本の経済状況も含め「いい時代」だったよね、で片付けるのではなく、
この点についてはしっかり語っていきたいと思います。

今、僕らの業界は委託事業に溢れ、
かつて自主事業だけで食っていた老舗のNPO法人も、
現在は委託なしでの運営は難しくなり、
かつては敵だった行政をパートナーとして運営をしています。

委託事業には仕様書があります。
そこに書かれた仕様を守ってもらうために、
管理者はマニュアルを作成し、従業員に徹底させるための研修を開きます。

仕様書とマニュアルというのはどういう役割を果たしているのでしょう?

仕様書は「What」、何をするかが書かれています。
何をやって何をやらないのかという枠の設定です。

マニュアルは「How」
設定された枠の中でどうすればいいかが書かれています。

肝心な「Why」なぜやるのか?
この部分がどこか遠いところに置き去りにされているように感じます。

心の内側からの動機である「Why」がないまま、
枠組みを徹底的に教え込まれ、
何を行政は評価し、何を行政は評価しないのかを教えられ、
その成果目標を達成するのためのマニュアルに従い行動する。

困難を抱え、藁をもすがる思いで現れた若者たちを、
仕様書とマニュアルで支援できるのでしょうか?

牧歌的時代のNPO法人には、
仕様書とマニュアルがなかく「Why」しかありませんでした。
いや、このWhyだけを頼りにスタッフは支援をし、
このWhyって一体なんなんだ?どんな意味があるのか?
そんな議論を毎晩していました。

仕様書とマニュアルがない僕らは、
毎日“余計な仕事”をしていたなあと、遠い過去を振り返ります。

大切だったことが余計なことになってしまったんだと…。

これは個人のお金で個人にサービスすることには制限がないけど、
国民から集めた税金には使途に制限がある、
ただそれだけの当たり前ことです。

そんな中、「Why」を強く抱く支援者たちが、
そのうちなる一番大切な問いに答えきれずに離職して行きます。

たらたらと失礼致しました。

このブログは、
「余計なことをしたい支援者たちが、余計なことをできなくなってしまっている」
そして、やっぱ俺たち「余計なことがしたいんだよね」ということが書きたくて、
無計画に書き始たものです。

もしも社会が1ミリでも良い方に動くなら、
それはお節介な大人が余計なことをした時だと僕は思うんです。

「Why」なぜ僕らはこの活動をしているのか?
「Believe」僕らは何を信じてその活動を続けているのか?
そしてももしもそれができたら、世界をどんな風に変えることができるんだろう。
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