さよならアスペルガー〜僕らが今語らなければいけないこと〜

アスペルガー症候群がなくなるというニュースが話題になっていますね。
同業のドーナツトークの田中俊英さんの記事などが、
ヤフー個人ブログのアクセスランキング1位という快挙で凄いことになってます。

なんとなく、モヤモヤと受け止めたこのニュースについて書いてみたいと思います。

まず大前提として、
アスペルガーがなくなっても、その特性(個性)を持つ方がいなくなるわけではないですし、
その特性故の生きづらさが解消するわけではありません。


ではアスペルガーが何からなくなるのかというと、
DSMという診断基準からカテゴリーがなくなるということです。
こちらの社会学者の方のブログ記事によると、今後は
診断されたいか否かは別にして
「社会コミュニケーション障害」という診断名が用意されている。

ということらしいですが、今後どうなっていくのでしょうか。

ていうか、だからなんなのでしょうか?
僕自身のモヤモヤを一言で表現するならこれ、「で?」

僕自身と発達障害やその当事者の方々との関係は、
本を読んだり、勉強会に出るなどの学習経験と支援経験がありますが、
専門家でも詳しいわけでもないです。

発達障害の方の支援の過程で、自己理解を深めていただいたり、
手帳の取得等、医療や福祉との関わりを考えたり、
僕自身やご家族の共感性を高めるために知識があった方がスムースなので、
一応勉強はしているという感じです。

支援の現場では、アスペだろうがなんだろうが、
結局目の前の個人でしかないので、
詳しくなる意味を支援者として感じないんですよね。
理解することはスタートにはなるけど、ゴールにはならないんです。

それは現状の社会福祉制度が、
他者との関係の中で就労をしなければ生きていけないようになっているので、
手帳や診断名を取得しても、
それはゴールではなく“何らか”の就労に向けたスタートでしかないということです。

この“何らか”の就労を、いかに多様に創れるかが支援のキモですし、
私たちが今語らなければならないことであり、目指さなければならないことです。
しかし、DSMをはじめ、医療的アプローチと就労的アプローチと全然リンクしていない。
だから「で?」なのです。

しかし、自分自身が何者なのかもわからず、
ただ闇雲に他者と自分との関係に違和感を持ち、苦悩し続け、
スタートラインにすら立てずに苦しんでいる方々にとっては、
診断名やカテゴライズが自己理解を進め、
周辺が協力的になるためには、どうでもいいことではありません。

そういった意味で、田中さんが書いているように、
(アスペが)せっかく市民権を得たのに勿体ないというのには同意見です。
せっかく引かれたスタートラインが消されたような感覚です。

今回、この話題の盛り上がりで思い出したのは、若者自立塾が廃止された時、
皮肉にも自立塾がもっともスポットの当たる機会となり、
宿泊型の支援の必要性が真剣に議論されたいい機会になったということ。

同様にアスペルガーについても、ホットな話題になっている今、
アスペのような個性を持つ彼らが何に向かったスタートラインに立ち、
何をゴールとして行くことが彼らの幸せであり、
そのゴールの多様さを社会が持つことが即ち社会的包摂だとうこと。
そういう議論を積極的にするべきだと思います。
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