アンリー・ルソーと僕

ルソー

ルソーが大好きだ。

過去にもルソーについての評論を読んだことがあるが、
改めて『世界の名画』で、ちゃんと大好きなルソーのことを知った。

ルソーへの大好きさの中に、
自分自身の支援者のアイデンティティとの重なりを感じ、
またまた大好きになってしまった。

ルソーは正規にアカデミックな教育を受けていない。
そのせいか、ルソーはあらゆるルールを無視している。

そのシカトな感じが大好きなのだ!

同じシカト感をジャズピアニストのセロニアス・モンクや、
ストーンズのキース・リチャーズ、デッドのジェリー・ガルシアなんかにも感じる。
僕はそういう、邪気のないアウトサイダーたちに強く惹かれる。

この有名な自画像からも様々なシカトが見て取れる。

遠近法の無視。ルソーは大き過ぎ、遠くの人は小さ過ぎないか?
陰影や三次元的な重さや質感の無視。遠くのタワーのテキトーさやルソーの平面感。
重力性の無視。このルソーも若干宙に浮いている。
人物画に顕著な正面性の強調、固有色への固執。
ドミトーン(中間色)の欠如…。

このようなルソーの絵画は見る者に稚拙な印象を与え、
当時は随分と馬鹿にされていたようだ。

それは、古典的な「アカデミック」な権威や構えに対し、
ある種「プリミティブ(原始的)」なカウンターカルチャーである。

ヒッピーにも通じる、
単純で確信に満ちた態度で、芸術が取るべき道をルソーは示した。

ここまで大げさに書いて、自分と似ているというのは、
いささか気が引けるが(^^;;

僕が出会う若者たちって、
アカデミックな権威に馴染めなかったり、
つまはじきにされてきた人たちなんだよね。

そんな彼らに小手先の資格や専門性で向かい合ったって、
それはそれでしかないじゃないかと。
もっとパーソナリティで、人としてプリミティブにぶつからないと、
はじき返されてしまう。

しかし改めてルソーの絵を見よう。
『眠るジプシー女』や『蛇使いの女』もそうだが、
ルソーの空気には色があり、陰がある。
アカデミックとは言えないのかもしれないが、
そこにはテクニックがある。

凡百の素朴画家とが一線を画す個性がそこにある。

自分はそんな支援者として、
一人の大人として、若者たちと向き合っていきたい。

ちなみに雲が日本の形をしていることに気づきましたか?
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