自分のタイミングと世間のタイミングのズレを、 アジャストのできなかった若者たち。

自分のタイミングと世間のタイミングのズレを、
アジャストのできなかった若者たち。


まあ、大学の就職活動を指して言っているんだけど。
人の育ちって、ほんと人それぞれだと思うんだ。

自分のタイミング
自分のタイミングっていうのは、
「ある行動の習得に必要な条件(興味・知識・能力)が用意されるタイミング」
と言い換えることができると思うんだけど。

キャリアカウンセラーは「レディネス」「働くための準備」という意味で使うけど、
大学生のレディネスが、みんな3年の夏に整うなんてことはないわけで。

みんな自分のタイミングではなく、
日本の産業界が決めた雇用慣習に則って、
レディネスが整っていようが、いまいが
その時期にリクルートスーツの袖に腕を通す。

僕は学校の、夏休みや卒業式などの起承転結の分かりやすさは、
人の成長を助けるんだろうな、とは思っていて、
長野にあるサムガクことNPO法人スクオーラ今人侍学園は、
まさにその学校の持つ良質なエッセンスを抽出して運営されている。

ただ、普通の学校と決定的には違う点がある。

卒業のタイミングが自分のタイミングなのだ。

卒業=社会に出たくてもスタッフが早いと思ったら、
課題を明確にした上で留年?するみたいだし、
本人がまだ卒業したくなくても、
出るべきだとスタッフが判断がすれば押し出しがあるだろうから、
正確には自分のタイミングではないかもしれないけど、
スタッフと本人がレディネスについて話し合い、
合意をすれば卒業式を迎え、社会に羽ばたいていく。

去年、たった一人の卒業式に出席させていただいたが、
とても感動的な式だった。

トコロテン式に押し出すわけではないので、
卒業する生徒がいない年もあるという。

何が言いたいかというと、
支援と社会、或いは教育と社会の接続というのは、
非常にデリケートであるということ。

僕は起承転結に則り、卒業が接続のタイミングでいいと思うんだけど、
特に、今日のような混迷を極める社会情勢下では、
自分のタイミングで出るべき人たちがいるんじゃないかな?
(大学を留年し続けるのではなく、新卒一括採用じゃなくなるといいかもとか)

そういう「自分のタイミング」で行きたい人を
尊重できる雇用慣習だとかになってないと、
その接続点が命取りになるぞ、ということを、改めて強く思った。

1月5日に書いて多くの方に読んでいただけた以下のブログを思い出してほしい。
「若いというだけでハイリスクな時代」 〜20〜24歳の自殺率の増加が凄まじい〜
(URL引っ張るついでにRTしたら、また多くの方が共感していただいてるようです。多謝!)
自殺率

赤字で示している20〜24歳のライフイベントは「就活」である。

個人的な解釈として、以下の様なことを想像した。

自分のタイミングと世間のタイミングのズレをアジャストできなかった若者たちが、
自らの命を断っている、或いは、社会から隔絶された生活を選んだのではないか。


僕らがアンケートを取った大卒無業状態の若者たちは、
このサバイバルを抜けて生き残った若者たちなのではないか、
という見方をしみると、彼らのサバイバルの手段は何だったのか?

アンケートの中の「就活応募社数」を見ると、以下のような結果になっている。
0社:105名(40.4%)
1〜5社:73人(28.1%)
6〜10社:32人(12.3%)
20〜50社:27人(10.4%)
50社以上:6人(2.3%)

彼らの取った手段とは、就活をしなかった、ということなのではないか?
そんなことを15人の逐語録から考えた。

●そしてどうすればアジャストできたのか?
●そのための仕組みとして、大学はどのような機能を持つべきか?
●アジャストできなかった若者たちにどうやってセーフティをネットを張るべきか?
●その情報の伝達手段、導線は?

この結果を下に、このような考察を深めていきたいと思う。

オフィシャルなものは、3月末にウェブに公開予定です。
全国のご協力くださったサポステの皆さん、
この場をかりて、お礼をさせていただきます。
本当にお忙しい中ご協力下さり、誠にありがとうございました。
引き続き、よろしくお願い致します。
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