2016年02月

すべてのビビリに捧げる長曾我部元親の名リフレーミング

自由奔放に生きているように見えて、かなりのビビりな石井です。
「ぴっかりカフェ」の前の日なんかは、明日は運営が上手くいくだろうかとソワソワしてしまいますし、講演会の前半は声が緊張で震えたりもします。
そしてぼくが相談にのっている若者たちを思い返すと、まあビビりです。みんな、すこぶるビビってます。 
ビビりは紐解くまでもなく、すべからず未知なものへの恐怖です。その得体のしれない未来を想像してビビるんです。
そんなビビりに捧げたくなるような名台詞が、司馬遼太郎の『夏草の腑』にあったので紹介したいと思います。
 臆病者こそが智者の証拠であり、臆病こそ知恵のもとである。知恵がある者でなければ臆病にはならない。(中略)勇気などは、天性のものではない。臆病者が、自分自身を練り、言いきかせ、知恵をもってみずからを鼓舞することによってかろうじて得られるもので、後天的なものである。 
by 長宗我部元親

長曾我部元親自身も子どもの頃は「若姫子」と呼ばれるビビりだったそうです。
そんなも元親が、四国を制覇する戦国武将となる前夜に、妻の奈々に自分がビビりであることを告白するのがこの引用です。
 ちなみに「智者」辞典を引くと意味は以下のようです。
①物事の本質を知る人。道理をわきまえた人。 「 -の教え」
②〘仏〙
㋐仏・菩薩・高僧など,真理を知ったもの。
㋑教義や経典などの知識に通じた僧。

智者=ビビりです。自信を持ちましょう。ただ、自分自身を練り、言いきかせ、知恵をもってみずからを鼓舞することが出来ないと、智者にはなれず、ただの臆病者です。  
そんな人たちは、是非、相談員とかカウンセラーと呼ばれる人たちを頼ってみて欲しいと思います。
ぼくら相談員というのは、自分一人では練れないものを一緒に練り上げるお手伝いをし、本人の経験の不足からくるイメージや情報の不足を穴埋めし、そっと背中を押し、優しく鼓舞します。
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出張日記〜長野県大町〜

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先週の日曜日の夕方。八王子から特急あずさに乗り、松本から大糸線に乗り継ぐという、とてもローカルな旅情あふれるルートで長野県の大町にたどり着いた。ゆっくりと流れる雪景色が嬉しくて途中何度かInstagramにアップした。

深々としたお辞儀で出迎えてくれたNさんは、ぼくのブログやらなんやらをくまなくチェックしてくださっていて、すっかりぼくのすべてを知っていて、少し照れた。

車内に薄く流れるブリティッシュ・インベイジョン臭漂うBGMが気になり、堪らず「これなんですか?」と訊いてみると、ぼくの持ってない『ロックンロール・サーカス』のジャケットが出てきた。

ぼくをおもてなしてくれるためのセレクトに感激しつつ、音楽話しですぐに意気投合した。ぼくよりも年上のNさんはクラプトンが好きで、結婚式のときに「Hello Old Friend」をかけたんですよと、いいエピソードを披露してくれた。

ぼくは武蔵野レコードというレコード自慢大会でクラプトンをかけたら大顰蹙だった話をし、「なんであいつらわかんないんでしょうね?」と言った。ようやく仇を討てたような気がして溜飲を下げることができた。

スタッドレスタイヤを履いた車はどんどん山間に入っていく。どこに連れて行ってもらえるんだろうと雪景色をうっとり眺めていると、「大町温泉郷」という看板が目に入った。

冷静を装っていたぼくだけど、「温泉郷」という言葉に胸が高鳴っていた。「温泉郷」なんて、つげ義春の漫画でくらいでしか知らないぼくは「ほんやら堂のべんさん」を思い出していた。

到着後、懇親会までの空き時間に、さっそくひとっ風呂浴びに出掛ける。雪見の露天風呂があり、諸々を済ませ、真っ先に露天風呂に出る。

さぶっ!と身を縮めて薄暗い風呂に恐る恐る足を入れると、つま先から幸せが這い上がってくるようで、堪らずザブンと湯に堕ちる。

はぁ〜と旅の疲れを吐き出すと、女湯から二人の婆さんの会話が聞こえて来た。顔も身体も拝まずに婆さんと決めつけるのは大変失礼だが、あれは紛れもなく婆さんだ。若い子の声はいないかなと耳を澄ませてみても、聞こえてくるのは二人の婆さんの声だけだった。

「シャンプー・イン・シャンプーは髪がギシギシになるから嫌だわ」だって。「それリンス・イン・シャンプーですからぁ〜」と男湯から突っ込んでやりたかったけど、これがギャルの声でもきっと台無しなんだろうなと、一人納得する。

湯煙が立ち昇るその向こうから、雪がちらちらと落ちてくるのを眺めながら、自分が屋根の下にいることに気がつき、せっかくだから雪に当たろうと屋根の外に移動する。奥の暗闇に満足げに虚空を眺めるおじさんが一人いた。

どちらからだったか、「いいですねえ〜」の一言で会話が始まった。お湯が適度にぬるく、「頭が熱くならないからいつまでも入れちゃいますね」などと、意味のない会話を短くすると、沈黙が訪れる。いつの間に婆さん二人はいない。

見知らぬ人と共有する沈黙が心地がいい。しかもお互い裸で、同じ夜空から落ちてくる雪に酔い痴れている。挨拶もなくいなくなるおじさん。それが旅のマナーってもんだ、余計な深入りはご無用などと思う。

懇親会の席で、これくらいの雪の降り方を地元ではなんて呼ぶのか訊いてみたら「かざはな(風花?)」と教えてくれた。「この雪は空から降ってきてるのではなく、北アルプスの雪が風に舞って落ちてきてるだけ」だから「かざはな」なんだそうだ。

地元の日本酒を三つ頼んで利き酒なんかして、いい感じに酔っ払った。宿まで送ってもらい、当然のようにまた露天風呂に出掛けた。意味を知ったあとの「かざはな」は、格別にロマンチックな風情があり、誰もいない風呂で雪を溶かしたり泳いだりして楽しんだ。

翌朝、朝風呂で同じことをしたのは言うまでもない。

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