2015年05月

学校と社会の間の汽水域~「ラーメン屋さん?」から考えるインクルーシブ教育~

ある日のこと。「ぴっかりカフェ」(ぼくが代表を務めているNP法人Oパノラマが、神奈川県立田奈高等学校の学校図書館で週一回開店している交流相談カフェ)の不足物を調達しようと、黒いエプロンをして校内を歩いていました。

ぼくを見つけた女子生徒が不思議そうに首を傾げ、「ラーメン屋さん?」と言って、派手な付けまつげをパタパタさせ、可愛らしく微笑みました。

出来る限りカフェの店員ぽいっ格好をしてきたつもりだったぼくは「チッ!」っと舌打ちして、「ちげーし」と高校生風に切り返し、「図書館でカフェやってるからおいで」と言って、急ぎの用を済ますためにスタスタと歩き出しました。

ふと思ったことを、ぽろっと大人にぶつけちゃう “ライトなこの感じ” について、なんとなくぼくの中に違和感があったので、歩きながら考えを巡らせてみました。自分なら「ラーメン屋さんがなんでこんなところに?」と思っても、「ラーメン屋さん?」とはぜったいに言わないだろうから。

ぴっかりカフェでは、初めて来た学生ボランティアたちが、すっと生徒たちの輪の中にいたりして、初日とは思えないくつろいだ雰囲気にちょっと嫉妬を感じるほど楽しげです。ぼくはこのマジックはなんだろうとずっと思っていました。

観察していると、学生が生徒の輪の中に入ったのではなく、学生のまわりに生徒の輪ができてたりする。「いつもいないこの人誰?え、先生?」と近づいていく。この好奇心に抗えない無防備な衝動性が、「ラーメン屋さん?」となるのだろうと思います。

先月、3年前に卒業し、就職した卒業生(成人)と久しぶりに会って飲みました。金はあるけど時間のない社会人生活で20キロ太った彼はカシスウーロンを飲みながら社会の厳しさをポツリポツリと語り出したのです。

その前置きが「オレ、人って優しいんだと思ってたんすよ。田奈の人たちってみんな優しいじゃないですか。でも、社会に出て優しい人ばっかりじゃないんだなって気付いて…」と、めっちゃイノセントで抱きしめてしまいたいようなことを言ったのです。

ぼくはこのイノセントな言葉の中に、改めて生徒たちのノーガードな無防備性と、田奈高校が(その多くはインフォーマルに)実践しているインクルーシブ教育のひとつの到達点を見たような気がしました。それが「ラーメン屋さん?」であり、優しい人を前程にボランティアに近づく生徒たちのライトな感じなのではないでしょうか。

彼ら、彼女らは、少なくとも「学校の中の大人は優しい」という大前提を持っている。これがマジックの正体じゃないかと思ったわけです。そして、これこそがインクルーシブ教育のゴールであり、スタートなのかと、教育の専門家ではないので的外れな発言かもしれないけど、ぼくはそう理解しました。

学校の中の彼らの無邪気な笑顔に、ぼくは多くの希望を感じるわけだけど、社会は残念ながらエスクルーシブ(排除的)にできています。卒業生はそのギャップに打ちのめされていたわけですね(でも彼は結局優しい先輩に救われているというオチがつきホッとしました)。

川と海の境目には、淡水と海水が入り混じる汽水域というものがあります。ぼくはよく田奈高校を川に例え、社会を海に例えて考えます。汽水域がない川と海の境目がもしもあるのなら、川に住む生き物にとっても、海に住む生き物にとっても、その境界線は相当にサバイバルな命がけのエリアとなるでしょう。

そこで、ぼくらのような外部支援者や、生徒を職場体験やバイターンで受け入れて下さっている企業が汽水域となることが、教育と雇用の境界線をサバイバルで命がけなエリアとしないために、とても重要な機能になるのです。

インクルーシブ教育の理想を実然するためには、このような外部を活用した汽水域を設計の段階から組み込み、地域ごとの状況にあったプロデュースをしていくことが大切なのではないでしょうか?
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困難を抱える若者のキャリア形成・雇用創出支援に関する政策提言事業報告書(横浜市立大学) 『有給職業体験プログラム・バイターンの意義』神奈川県立田奈高校における実績に基づく検討より「バイターンの取り組みと意義」

バイターンの取り組みと意義
石井正宏(NPO法人パノラマ 理事長)

1.はじめに

 2000年からひきこもり等、社会に出にくい若者の支援に携わっている。私の職業的アイデンティティーは若年者就労支援を行う支援者(以下、支援者と略す)であり、若者の職業的自立に貢献することを活動のミッションとしている。

 しかし、このようなことを生業としていると、職業的自立だけをゴールに設定した支援には無理が生じる若者たちと頻繁に出会うことになる。むしろ私の場合はそのようなケースを担当することの方が多い。

 彼らに対峙する若手支援者の多くは「自立とはなんぞや?」という青臭い葛藤を抱く。ご多分に漏れず、私も多くの時間をこの厄介な哲学的議論に費やしたし、今でも「働かないといけないんですか?」という身も蓋もないような質問を若手から受けつづけている。

 そして今もってスッキリとした答えは私にはなく、「人それぞれ自立のカタチは違っていいんだよ」というお茶濁しのようなことしか言えない有様である。しかし何故、今ひとつスッキリしないのだろうか。

 それは、生きていくためには働いて給料を得て暮らす職業的自立か、障害者年金のような社会保障を受けながら暮らす福祉的自立の2種類、或いはこれらを足して割ったような形態でしか生きていけない事実があるのに、私たちが出会う若者たちの多くは、“福祉以上就労未満”という、どちらの自立の状態にも収まることが難しい、新しい存在だからだと思う。

 彼らを単純に想定外の若者たち=即ち“イマドキの働かない若者”と言い捨てることもできるし、グローバル化等による産業構造の変化が生んだ“働けない若者”ともいえる。前者を取る者は自己責任論を唱え、後者を取る者は新しい社会を模索しはじめている。

 当然のことながら私は後者に軸足を置き活動をしているが、若者は「働かない」のか「働けない」のかの社会的なコンセンサスは未だになく、我々の業界は未だに“啓発の時代”を彷徨っている。このような状況を“混乱”というのだと私は思う。

 私たち支援者はこの“混乱”の真っ只中で、日々、就労と福祉のどちらの自立にも収まり難い若者が言う「安定した職に就きたい」という切羽詰まった主訴に葛藤し、そして疲弊している。そしてどちらかの自立へ背中を押す。辛いのは若者であることは言うまでもないが、支援者も辛いのである。

 “福祉以上就労未満”をもう少し具体的に説明すると、知的障がいや精神障がいの手帳を取得するほどの状態ではないため、福祉サービスを受けることができない。かといって面接に受かる職業的スキルを身に付ける機会を逸していたり、コミュニケーションスキルが低い等で面接から採用に至らない若者たちのことである(面接に行くことさえ困難な若者も多い)。

 言い換えれば、彼ら新しい存在が労働行政と福祉行政の狭間にある、セーフティネットが張られていないゾーンが顕在化させたのである。この狭間に陥ってしまう若者たちをひとつのカテゴリーで語ることは難しいが、格差問題を切り離して考えることはできない。よって今後予想される格差拡大とともに、この層の若者たちは間違いなく増加するだろう。

 しかし、残念ながら目先の就労達成率しか考えない労働政策からは真っ先に切り捨てられ、福祉行政からは就労可能と切り捨てられるのがこの層の若者たちなのである。

 要するにどちらの自立にもありつけない宙ぶらりんな若者たちを対象に、私たち支援者はなんの政策もない中で自立支援をしているのだ。逃げ場のない密室でのゴールレスな相談支援がどれだけストレスフルか想像してみていただきたい。

 神奈川県立田奈高等学校で相談員をはじめたとき、まさに私はこの状態だった。傾聴や励ましだけでは解決せず、卒業や単位不足というタイムリミットが常に迫って来る。そんな過酷な相談の出口には、職にダイレクトにつながる就労支援の仕組みが必要なのだ。


2.有給職業体験バイターン

 “福祉以上就労未満”の若者たちは働くことのできない若者たちなのかと問われれば、即答で「いいえ」と私は答える。上手くハマれば人並みにも、それ以上の仕事もできる可能性はある。そしてこう言い添える、「しかしマッチングには多少の手間隙(=コスト)はかかりますけどね」と。

 しかし、このコスト負担を誰も持とうとしない。それは、企業が負担を負う「ルーズ」で、雇用機会を得る生徒が「ウィン」だという考えが基盤になっている。しかし、企業が若者に対して手間隙をかけることは本当に「ルーズ」なのだろうか。

 「手間隙かければ誰もが働けるようになる」。これは私の支援者としての信念である。しかしここ数十年、この手間隙をかけられないのっぴきならぬ事情が企業にはある。そしてその事情を考慮するように人材派遣ビジネスが整備され、手間隙かけずに即戦力が調達できるようになった。

 しかし、企業の体質を根本的には改善しない人材派遣は、医療に例えるなら「延命装置」に近い課題の先送りではないだろうか。同じく即戦力の中途採用は「移植」に近いかもしれない。異物としてのアレルギー反応を薬物で抑え、騙しだましあたかもはじめからそこにあったもののようにする。しかし、そこには大きなストレスがお互いに生じている。

 再生医療のように、本当は自分自身の細胞で新たな手足を育てたい。自分が培った技術を余すことなく誰かに“手間隙かけ”継承したい。これは商いをする者に限らず人間の根源的な欲望なのではないか? そしてこの欲望が満たされるとき、企業の「ルーズ」は「ウィン」へとパラダイムシフトを起こす。

 学校と民間のNPO法人がサポートに入り、無給のインターンシップから有給雇用の研修(アルバイト)を経て、正社員として迎え入れるバイターンは、この欲望をローリスクで満たすことができる仕組みだといえる。


3.真っ白なキャンバスを求めている経営者たち

 企業開拓をしていて実際に聞いた言葉でこのようなものがある。「中途採用者によそで覚えた技術で適当な仕事をされる。そうやってうちのブランドが失われていく。だったら、何もできない高校生を一から育ててみたい」。忸怩たる思いで中途採用を続けている経営者は、本当は真っ白なキャンバスを求め、手間隙かけ、自社のカラーに染上げたいのだ。

 もうひとつ強く感じるのは、経営者たちの社会貢献欲求の強さだ。これも実際に聞いた言葉だが、「どうせ人を雇うなら、困っている子を雇ってあげたい」。会社の大小に関係なく企業の社会的責任(CSR)を果たしたいと考えていることが伺われる。大企業はCSRのアウトプットを様々な形態で持つことができる。しかし、地域の中小企業はこれが難しい。

 しかし、課題集中校の生徒たちの実情を伝え、現状を知り、彼らを雇用し、育てることがCSRになることに気づくのだ。即ち、企業の利己的な欲求と、利他的な欲求を同時に満たすことができるのがバイターンなのである。これはサスティナブルの関係維持には欠かすことのできない条件ではないだろうか。


4.バイターンは地域課題解決型就労支援モデル

 藤が丘にある『ナチュラーレボーノ』というイタリアンレストランでのエピソードを紹介したい。複合的な課題を抱えた生徒は、紆余曲折を経ながら大きく成長し、他の外食産業を手がける企業に就職を決めた。

 そんな卒業生が、お給料を貰うとナチュラーレボーノに食事をしに来店するという。これは被支援者が支援を受けたことで、消費者=納税者に成長した事例だ。即ち、地域課題を地域が解決したことで、課題を抱えた生徒が地域や社会保障を支える側になったということである。

 仮に卒業生がバイターンを利用せず、進路未決定で卒業し、若年無業者になり、生活保護や長期的な不安から精神疾患になってしまった場合等にかかる社会保障費と、今後卒業生が納税者として国に貢献する額を考えれば、SROI(社会的投資利益率)が算出される。

 ナチュラーレボーノが生徒をバイターンという形でアルバイト雇用し、仕事のやり方を丁寧に教え、悩みや将来の希望を聞いた手間隙が、大きなソーシャル・インパクトを生んでいる。このインパクトは、生活保護世帯の生徒が、バイターンにより世帯分離(減員)をし、生保を抜け正社員になった事例で最大化する(田奈高校では1名の減員実績あり)。

 現在、生活保護世帯の中学生に対する高校進学のための学習支援が充実し成果を上げている。しかし、生活保護を抜ける最大のチャンスである高校3年生を就職させる就労支援は何も行われておらず、多くの生徒が卒業とともに貧困の連鎖に飲み込まれていく。

 社会保障に支えられるリスクの高い生徒を、地域が支援することで、社会保障を支える側の正員となるよう、企業と学校が連携し生徒を育成する。バイターンは地域課題解決型就労支援モデルなのだ。このような事業に参画しているという企業の意識が、ここでも「ルーズ」を「ウィン」に変換させている。

5.求められる福祉的視点を持った職業マッチング

 課題集中校の複合的困難を抱えた生徒たちへの就労支援は、現在の就職協定よりも、より福祉的な視点とマインドを持ったマッチングが必要である。

 バイターンでは、社内の人間関係をアルバイト中に構築し、生徒のみならず、ご家庭の事情を理解いただいた上で採用していただき、企業と学校、そして当法人のようなNPO法人がチームを組み、福祉的な視点で生徒の育成に当たることができる。生活保護世帯の場合、このチームにケースワーカーが加わる。

 そして、学校にスクールカウンセラーがいるように、NPO法人にはキャリア以外にも法律やメンタルの専門家のネットワークがあり、生徒はこれまで持ち得なかった社会関係資本の中で就職活動をすることができる。

 このような福祉的な視点を持った大人たちに見守られながらの就活は、大人や社会に対する期待感のみならず、自分自身への期待感(自尊感情)を育み、卒後、生徒たちが困難な状況に陥った際の、“強み”や“踏ん張り所”となる。

 このような支援が受けられず、進路未決定となった場合(年間5万人以上)、冒頭から述べている“福祉以上就労未満”の若者になることが目に見えている。

6.履歴書と面接が越えられずに社会に出られない若者たち

 “福祉以上就労未満”の若者たちが雇用にありつけない決定的な原因はなにか。それは履歴書と面接という雇用慣習だと言っても過言ではないだろう。特に、発達障がい等コミュニケーションに困難を抱えている層と、社会的ブランクにより、履歴書に空白のある者は、ここを越えることができず、無業期間の長期化から負のスパイラルに落ちていく。バイターンには合否を決める面接はなく、あるのは三日間の無給の職場体験である。

 そこで“働きっぷり”を見てもらい、履歴書に表すことにできない業務遂行能力と“伸びしろ”を評価していただく。“福祉以上就労未満”の若者たちが雇用にありつく、重要なきっかけとなることは間違いなく、若者たちの「ウィン」がそこにある。このような形で結ばれた場合の離職率が低いことは言うまでもないだろう。

5.まとめ

 世界中の先進国が既存の制度や仕組みでは立ち行かなくなり、これまで潜在的課題だったものが一気に顕在化し拡大している。そのひとつに貧困世帯の子どもたちの就学と就職がある。生活水準の大きな違いから、本人には抗いようのない教育達成度の大幅な差(教育格差)がついているのにも関わらず、既存の平等主義の制度でどのように立ち向かい、彼らが希望を持つことができる公平な社会を創れるのだろうか。

 私たちはここで思考を停止してはならない。バイターンでは無理なのかもしれない。しかし、なにかせずにいられない待ったなしの現場が課題集中校にはある。もしもバイターンが無理なら私は再度新しい仕組み考え再度挑戦するだろう。しかしその前に、この報告書に書かれた手応えを、更に押し進める実験を行政がバックアップをして取り組んでもいいのではないだろうか。

 決定打はきっとない。しかしポテンヒットの積み重ねでこの国を再構築していかなければ、未来の若者たちはどのように生きていけばいいのだろう。

困難を抱える若者のキャリア形成・雇用創出支援に関する政策提言事業報告書 平成 27(2015)年 3 月横浜市立大学

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