2013年10月

【新規事業告知】2ヶ月間の短期集中プログラム|誰にも会わない完全個別オーダーメイド就労支援「ソロトレ」を開始致します!

ソロトレ

私が代表を務めますシェアするココロでは、11月25日(月)より
2ヶ月間の短期集中プログラムで行われる、
誰にも会わない完全個別オーダーメイド就労支援「ソロトレ」という
私と利用者とのマンツーマン支援の提供を開始致します。

この突っ込みどころ満載のプログラムですが、
シェアコロがなんでこんなことを始めたのか、
ウェブサイトにもPDFをアップして説明していますが、
今後、このブログでも少しずつ説明していきたいと思います。

今日は「ソロトレ」が生まれた事業背景について、
私たちが何を考え企画が生まれ、
事業開始に至ったのかをご紹介させていただきたいと思います。

私がこの若者支援の業界に入ったのが、
特定活動法人促進法が施行された翌年の2000年です。
当時のNPO法人の活動は、社会的にあまり認知もされていませんでしたし、
「ひきこもり」の支援なんて、甘やかしだという風潮も強く、
当時頻発した若年者の犯罪と「ひきこもり」を同列で語るニュースキャスターもいました。

病気でも障害でもない若者を支援する理由を社会は見つけられずにいたのです。

当然、活動の原資は受益者の負担である利用料で運営されていました。
そういった意味では誰にも干渉されない、
現在の委託事業と比較するなら「仕様書のない世界」で、
(ここにエピソードを挙げるとそれだけで一冊に本になってしまうので書きませんが)
若者にとって「良いこと」、或いは彼らがやってみたいことには、
とことんスタッフが付き合っていました。

そんな時代にこの業界に入れたことをとても幸運だったと私は思いますし、
私自身の支援者としてのアイデンティティが育まれたのがまさにこの時です。
しかし、言い換えれば「お金持ちしか受けれない支援」であったことも確かです。

バブル経済が弾け、山一證券の破綻や、派遣法の改正が行われる中、
2003年頃から、ひきこもり支援の中に新たに「ニート」というジャンルが加わり、
玄田先生を講師に招いた勉強会に始まり、2004年から一気に労働政策が動きはじめ、
若者自立塾若者サポートステーション(以下サポステ)等の委託事業が開始しました。
私たちの仕事が労働問題に様変わりしたエポックメイキング年だと私は記憶しています。

委託事業が開始されたことにより起きた大きな変化は、
受益者が負担していた利用料を税金で賄えるようになったことです(若者自立塾は半額負担)。
これにより、低所得者層の方々も支援を受けられるようになりました。
サポステは現在全国で160箇所までに広がり、まだまだ網の目は粗いですが、
若者支援が社会的なインフラとして定着し始めていますし、
今まで出会うことのなかった支援者が、同じ事業を介して出会い、
ネットワーキングが急速に広がりました。

これはとても素晴らしいことだと思います。

しかし、私自身が委託事業に関わったこの約10年を振り返ると、
深いジレンマの中で、腰の座らない10年を過ごしてきたように感じています。

税金を民間が使用する委託事業では、
当然のことながら費用対効果としての成果が設定されます。
これをまとめたルールブックが仕様書です。

すべてを成果にしてしまうと税金の垂れ流しになりますので、
設定と同時に何らかの"枠の外”が生まれてしまいます。
枠の内側の出来事には税金の使用が認められ、
枠の外側の出来事に税金を使用をするとお咎めがあるわけです。
これが年々厳しくなってきていることを「結果重視の経過無視」と、
前々回のブログで書きました。

これらの"枠の外”を民間サービスが補完できることが望ましいわけですが、
『フリーミアム』に「ペニーギャップ」等で詳細が書かれていますが、
無料から有料サービスへの移行で生じるユーザーの心理的バイアスは強く、
実際には無料から有料へはほぼ繋がらないのが現実です。

その結果、"枠の外”の者は切り捨てられる形となり、
民間の有料サービスは何年経っても赤字経営のままとなってしまい、
その赤字を埋めるために新たな委託事業を受託するしかなくなっていきます。

そこで、シェアコロはどういう戦略をとっていくべきか?

より多くの方が支援を受けられる委託事業を否定する立場ではなく、
社会的インフラとして重要だと考えております。
特に、決定打的な支援方策がまだない試行錯誤状態の現状では、
その決定打となるべき取り組みを提示していくということを、
ミッションとして掲げ、委託事業にコミットしていきたいと思っています。

そしてもう一方で、
受益者負担でのグループ型の支援という、
現在の委託事業の基礎となった主流の支援スタイルではなく、
本人の興味関心や課題や夢など、
個人差に応じた委託事業ではできない、
完全に差別化を図ったオーダーメイドの支援を行い、
短期間で結果を出していくサービスに力を入れたいと考えています。
それが今回、新規に開始する「ソロトレ」です。

とにかくこだわりたいのは腰の座ったオーダメイドの支援です。
目の前の若者に私たちが絶対必要だと思ったことを、
他の参加者とのバランスや集団のルールなどとは関係なく、
とことんできる環境に対して対価をお支払いいただき、
しかるべき結果を2ヶ月で出していく支援です。

是非一度、リンクにある説明資料をお読み下さい。
そして興味をお持ちいただけたご本人、保護者の方々は無料説明会にお越し下さい。
きっと納得していただけると思います。

誰にも会わない完全個別オーダーメイド就労支援「ソロトレ」
無料説明会&見学会

日 時:平成25年11月23日(土)勤労感謝の日
    13:00〜14:30
場 所:さくらWORKS@関内
    神奈川県横浜市中区相生町3-61泰生ビル2階
申込み:http://sharecoro.com/aboutus/aboutus_form.html
    045-319-6939
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失敗してる3つのホウレンソウ

基本中の基本のビジネス・スキルである報告・連絡・相談、略してホウレンソウですが、皆さんはちゃんとできていますか?

ホウレンソウは実に奥が深いのですが、ホウレンソウされる側になったことがないとその深さがわからない。だからけっこう舐めてる人が多い気がします。

そういう人が決まって組織で評価されていないというのも事実です。もったいないので、今日は管理者側の視点から、ホウレンソウについて書いてみたいと思います。

ダメなホウレンソウのパターンは以下の3つです。あなたは当てはまっていませんか?

1つ目は「アレどうなってるの?」と、聞かれちゃうホウレンソウ。

2つ目は「なんでそうなの?」などと聞き返されちゃうホウレンソウ。

3つ目は「君はどう思うの?」と問われちゃうホウレンソウ。


今から、これらの何がダメでどうすればちゃんとできるかを説明していきたいと思いますが、その前に押さえておきたいのは、ホウレンソウは5W1Hで行うということ。

念のため5W1Hを説明しておくと、When(いつ) Where(どこで) Who(誰が)What(何を)Why(なぜ) How(どのように)またはHow Many(何個)を含んだ説明文です。新聞記事はこの構成でできています。

1つ目の「アレどうなってるの?」と、聞かれちゃうホウレンソウ。

これは報告のタイミングが遅いことが原因です。管理者は報告を待っているんです。しかし、自分から言ってくることを待つんです。待っているのに報告がないので若干イラついて「アレどうなってるの?」となります。

訊かれた時点で「おっ来たな」ではなく、「あちゃっ」となって下さい。訊かれる前にするのが報告、訊かれたら負けくらい思って下さい。

コツはお疲れ様などの挨拶の時などに、一言添えで小出しに報告することです。

「お疲れ様です。課長、例の案件今日見てきました」

「それで?」と言われればそのまま報告をすればいい。「お、ご苦労さん」と流されたら「明日まとめて報告します」と、報告のタイミングを摺り合わせておけばいいのです。

2つ目は「なんでそうなの?」などと聞き返されちゃうホウレンソウ。

これは、5W1Hの何かが抜けている場合には必ず起こりますが、「Why(なぜ)」が抜けた事実だけが報告されている場合に、多少の苛立ち含みで言われてしまいます。

Whyがなければガキの使いです。そんなのは見ればわかる。経験値の高い管理者ならば見なくても「そんなことはわかってるよ」と思うでしょう。聞きたいのは「なぜ」そうなのかです。

How Many(何個)の数字が多いのか少ないのかだけ報告しても、それがなぜ(Why)そうなったのかを報告や連絡しないと、管理者から「なんでそうなの?」と聞き返されるでしょう。

管理者的には理由がわかっていても、実施者であるあなたが理解しているかを試すために質問をしているかもしれません。

自分に「Why(なぜ)」を問い続けて下さい。そして、それを習慣にして下さい。その答えが見つからない時が相談をするのときです。

3つ目は「君はどう思うの?」と問われちゃうホウレンソウ。

これは、主にAかBで迷った時の相談か、これからどうなるか見通しが立たない時の連絡の時に、管理者と決めあぐねたときに「君はどう思うの?」と訊くのです。

最大のチャンス到来です。「えっ⁈」となったら負けです。「うほっ」となる気持ちを抑えて、あなたの仮説であるWhyを伝えてみましょう。

大事なことは、「Why(なぜ)」の答えが見つからない時でも、仮説は立てておくということ。

これは大きな訓練になります。「君はどう思う?」と訊かれなかった時でも、あなたの仮説と同じ選択を管理者がした時、あなたは管理者に成り代わる可能性があります。

ホウレンソウをゲームのように楽しんで下さい。先に訊かれたら負け、仮説であるWhyが管理者と同じなら心の中でビンゴ!と叫びましょう。

皆さんのご健闘をお祈りしています。

「しょうがない世界と可哀想な世界」〜若年者就労支援はどうなっていくのか?〜


変な言い方ですが、若年者就労支援が成立する条件は、
働けていない若者がマイノリティで出口となる求人があることです。

この逆は、働いていない若者がマジョリティで、
出口となる求人もない、まさに今のギリシャやスペインです。
そうはなってほしくないという思いで、以下、連々と書いていきます。

現在の日本の若年者就労支援というのは働いていないことが少数派な状態で、
そこに求人があるのになんらかの事情により働きたくても働けないという、
「可哀想な若者」という暗黙の合意事項があって成立していると思うんです。

いや、この合意形成をするために先達たちや、僕らは活動をし続けてきたんだ、
と言っても過言ではないかもしれません。

NPO法人の打ち出しもそんな琴線に触れるメッセージで溢れていますし、
僕自身の活動もこの文脈の上に成り立っています。

しかし、これらは若年者の失業率が一桁台で、
若者のマジョリティは働けているという状態の間だけで通じるアプローチであり、
ギリシャやスペインのように若者の失業率が50%を超えると、
何処かの時点で可哀想が「しょうがない」に変わるんだと思うんです。

この何処かの時点が、
失業率に関係なく実はもうすぐそこまで来ているのではないでしょうか?

昨年度、大学を卒業した若者56万人のうち36万人が就職して、
12万人がフリーター、8万人が進路未決定という昨今、
大卒フリーターや無業が「しょうがない」になっているように感じますし、
毎年5万人の高校生が進路未決定で卒業している問題が話題にならないのは、
それが社会のデフォルト=「しょうがない」になっているからだと思います。

フリータだからしょうがない…。
生活保護だからしょうがない…。
行政に行けば、予算がないからしょうがない…。
地方に行けば、産業がないのでしょうがない…。

悲しいですが放射能の問題も、もうしょうがなくなってきていますね…。

可哀想ではなく「しょうがない」、
というお手上げ状態が日本のいたるところにあります。

若者たちの失業率が上がると納税率が下がり、
若者がタックス・ペイヤーではなくタックス・イーター(税金食い)になる。
当然のことながら政策としては心の問題や、個人・家族の問題から、
労働政策・雇用対策色が色濃くならざるをえなくなります。

その色とはまさに今聞こえてきている、
国から委託事業を請け負っている支援関係者らの国に対する愚痴的部分、
個人的に要約すると「結果重視の経過無視」という流れになるんだと思います。

何が言いたいかというと、若年者就労支援を行っている、
今の僕らの支援の経過で発揮されるスキルやノウハウ、
マインドさえもが通用しない時代が直ぐそこまで来ているよ、
“何処かの時点”は相当近いぞ、
そしてそれには僕ら若年者就労支援のスキルでは対応できないんだってことです。

こんなことを書いているのは、このままグローバリゼーションに走ってくと、
間違いなく弱者切捨ての「しょうがない世界」になるという、
強い危機感が僕にあるからです。

そうなると僕ら若者支援者が今でも言われる「甘やかし論」や、
「自己責任論」がより強まるだろうし、
今でもそうだけど、人の支援なんかしていられず、
自分の雇用の確保と生活の維持にもっと翻弄されていくことになるでしょう。

「今でも」が2回続きましたが、
これはもうそういう時代に片足突っ込んでるということじゃないでしょうか。

しかし、僕ら日本人は「しょうがない世界」ではなく、
お互い様な「可哀想な世界」に生きてきたと思うんです。
(ここは根拠がなくてちょっとセンチメンタルかなとは思いますが…)

子どもたちに託された未来を僕らは管理運営しているんだと思うんです。
若者たちが地域で食えて、誰もが望めば、等身大の幸せにありつける社会。
これを実現するための選択を僕らはしているのでしょうか?

僕は「可哀想な世界」がいいです。

可哀想を「施し」だとか「上から目線」だ言う人もいますが、
「この人をなんとかしてあげたい、いっしょに幸せになりたい」
っていう気持ちが、大人たちのポリシーになってほしいです。

「しょうがない化」を食い止めるためにはローカリゼーション。
地縁の復活だと僕は考えています。

身の丈に合わないドデカイ話を書いてしまい、
あまりまとまりませんが、最近考えていることでした。

学校からの排除をしないために教員課程の学生たちに、学校周辺の社会資源の活用について考えてもらいました。

黒板

横浜市立大学の教職課程の学生に対して、
ゲスト講師として前期と後期で計4回の授業を受け持たせてもらいました。
学生が今後、教師として立ち向かわねばならない若者を取り巻く社会課題について、
学生のうちからしっかり意識を持ってほしいというのが教授の狙いです。
また、全員が教員になるわけではないので、
3rd Placeの受け入れ住人として彼らに対してできることに、
思いを馳せる時間になればと思っています。

シェアコロのミッションそのものと言っても過言ではない、
先生支援の根幹部分のこのご依頼は、
とてもやりがいのあるものになっていると同時に、
教育という「国家百年の計」を背負った教員の人材育成について、
不安を覚える体験にもなっています。

前期には、課題集中校の生徒たちの問題や、
その背景にある世帯の貧困問題についてお話し、
その解決策の可能性として「バイターン」や校内相談について紹介しました。
学生たちは、自分の知らない自分の住む場所で起きている問題をはじめて知り、
驚きの表情で僕の話を聴いているという感じでした。

後期は、ワールドカフェ事例検討会で、
困難状況にある高校生の支援計画を組み立ててみるというのをやりました。
ちょっと計算違いだったのは、
学生たちが支援計画を立てる基板となる社会資源を何も知らないことです。

例えば生活保護の仕組みや、児童相談所や児童民生委員の存在、
ひょっとしたら自分もお世話になるかもしれないサポステも知らない。
(サポステの紹介冊子が一階の入り口にあるんですけどねえ〜…手が伸びないよなあ)
僕は学校周辺の社会資源については学習済みかと思って組み立てていたので、
学生たちが、生徒目線でしかその困難を抱えた高校生を見れないことに慌てました。

ご依頼ただいた教授とワークショップ中しばし立ち話し。
「こういうことを教わる機会はないんですよね、非常に不味いと思います」
このような危機感が教授のご依頼の背景にありました。
この教室の半数の学生は教員になるでしょう。
その過程で学校周辺の社会資源については学ぶ機会はないのです。
また、教員になってからもそのようなことを学ぶ機会はほとんどありません。

目の前の学生たちとリンクして目に浮かぶ若い先生たち。
高校等で教員研修を担当させてもらうと、
決まって僕のところにやってくるのは20代の若手の先生たちです。

先輩の教員とも、他校の新任教員とも、
ましてや校外のネットワークも持ち合わせていない若手の先生たちが、
目の前で起きている困難ケースについて、真剣な眼差しで相談してきます。
「こういう先生がバーンアウトしちゃうんだろうなあ」と思いながら、
自分につながることでそれが回避できないかということを考えたりします。

皆さん共通しているのは「情報のない中での混乱」です。

僕の目の前で、僕が出した無理難題に取り組む学生たち。
このまま何も知らないまま学校に飛び込んだら、
きっと僕が出会ったあの若い先生たちのようになるだろう…。

僕はそこで自分でどうにもできないからといって諦めるな、
なんとか人の力を借りて包摂するんだ、という話をします。
学校からの排除は本当に簡単です。
しかもそこから罪の意識を排除することは更に簡単なことです。
卒業までに1クラス分の生徒が中退してしまう学校では、
そんな罪の意識すらわかないのではないでしょうか。

でもそこを抗わなければ、この国がおかしくなる。

一気に「国」なんて言葉を使って飛躍しましたが、
その飛躍に追いつくにはイマジネーションが必要です。
そしてのそのイマジネーションを深めるのが情報です。

僕はそんな授業をしたつもりですが、もうちょっと軌道修正が必要そうですし、
「国家百年の計」にコミットするのはそんな簡単なことではないでしょう。

この授業を受けて、後2回の追加のご依頼をいただきました。
また来年度も、ご依頼下さるとのことでしたので、
このコンセプトを基にブラッシュアップし、
教員を目指す学生たちに有意義な時間を提供できるよう頑張りたいと思います。

そして、その先の若い先生同士の支え合いになんとか貢献できないか、
そんなことを思う今日この頃です。

最後に。写真は教授が授業のまとめで黒板に書いたものです。
高度経済成長時代は学校からの排除が社会からの排除ではなかったが、
今は、学校からの排除が=社会からの排除になっている、
というお話を学生にされており、本当にその通りと思いました。
心に焼き付けておきたいと思います。

「ほころびだらけのポジティブ武装」〜中退希望者の精一杯の強がりを抱きしめよう〜

新入社員が新しい環境に慣れないままGWに突入し、
会社が嫌になって辞めるという五月病があるけど、
高校というのはそう簡単には辞めれず、
当然の慰留交渉もあるからこの時期になるのだろう。

夏休み明け、学校を辞めると言い出した1年生の生徒がいた。

担任も、生徒に関係の深い大人たちも当然止めたけど、
生徒の意思は堅く、大人たちの話に耳を傾けない。

ああ、そういうものだよな、と思ったんだけど、
学校に行きたくないという当初の理由、
例えば「会いたくない友だちがいる」とか、
「授業についていけない」いうネガティブな要素が、
時間の経過とともに「働いて一人暮らしをしたい」などという、
別の新たなポジティブな理由に変わっていく。

僕が生徒に出会ったのは、
そんなほころびだらけのポジティブ武装が完了した時期だった。
突っ込みどころ満載な青臭い計画は、
なんだか昔の自分に出会ったようで照れ臭くもあり愛おしい。

こうなると本人の意思は堅い。
もう、なにか清々としていて、強ささえ感じさせる。
しかしそれが大人たちの不安を煽る。

一人暮らしをして夢を追うという目的を見つけた者や、
別にしたいことはないけど、
今よりはきっと良くなるとアッケラカンと信じ切ってる者。
とにかく今の状態を変えたいと願う少年少女たち。

もうこなると大人たちは歯が立たない。
そもそも僕ら大人たちは、
あらゆる矛盾に折り合いを付けながら生きている。
そんな真っ直ぐな目で見られたら何も言えない。

ポジティブ武装には、
そういうことを感じさせる清々しさがある。

生徒の夢に寄り添うと、
生徒も自分の夢や、憧れを話してくれる。
生徒の描いた夢に、リアルに色付けしていくと、
どうしても色の塗れない場所が出ててきしまう。

これは大人も同じことが起こるんだけど、
大人はここを責任というもので超えて行ける。
しかし、若く責任が取れないと立ち竦むほかなく、
「卒業しないとヤバくね?」って感じになる。

「責任」なんていう、
漠然として抗いようのないバケモノの前で立ち竦んでいると、
ネガティブな当初の理由をポツリ、ポツリと語りはじめる…。
ポジティブ武装の解除。
あのアッケラカンとした笑顔の内側に、
そんなにいっぱいの不安が渦巻いててたんだってことを知る。

強がって突っ張ってきた気持ちがふと緩み、
泣き出す生徒もいる。

いつも決まってそんな流れだ。

その生徒は翌日から人が変わったように学校に来だして、
先生に奇跡だと言われた。

でもこれは軌跡ではないと思う。

もっと言いたいのは、
これはテクニックというほどのテクニックでもないんだってこと。
ただ、真剣に話を聴き、真剣に感じたことをフィードバックする。
それだけのこと。

良かったことは僕の前に何名かの大人たちがいたこと。
僕がトップバッターじゃなかったってこと。
多分一番本人の夢や希望に耳を傾けてあげたことと、
具体的な情報提供をしたこと。

もしも僕がトップバッターで、
これをしてもきっとダメでしょ?

重層的な大人たちのスクラムっていうのか、
ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)っていうのか、
それが生徒のポジティブ武装を解除させたんだと思う。

ほんの1時間(×3人?)
大人が手間を惜しまなければ中退者は必ず減らせる。
そう確信する今日この頃なんです。
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