2013年08月

トークライブ「NPO/ソーシャルビジネスの人事戦略を考える~発掘・採用・配置・育成・連携~」参加にあたっての備忘録

タイトルは9月16日(月)に行われるイベント
NPO/SBのそうそうたる仲間たちと人材育成について語り合います。

あ、面白そう!と思ったそこのあなた。
ごめんなさい、すでに満員御礼だそうですm(_ _)m
関心の高さに僕もびっくり。
そこまでNPO/SBの人材育成の問題は深刻だということでしょうね。

当日の準備も含め、自分の考えを整理してみたいと思います。

という整理できていないことのカミングアウトをさらりと済ませつつ、
結局整理されないことを前提に、横浜までの移動時間を有効に使いたいという、
的外れなワーカホリック魂を炸裂させて書いてみたいと思います。

数年前に書いた僕のブログにあるように、
「パッション馬鹿と情熱クレバーが社会を変える〜イノベーションを生む人たち〜」
社会を変えるのは情熱と知性が奇跡的なケミストリーを起こしたときだと思うのですが、
ご承知の通り、残念ながら情熱と知性だけで奇跡はそう簡単には起きません。

奇跡が起きるためには、そこに「馬鹿」が一人必要だぞ、
というのが僕の考えであり、このブログの主旨及びパッション馬鹿でお示しいていることです。

これは、よそ者、若者、馬鹿者のあれと同じことを言っているのかもしれません。
そういった意味で、以下は馬鹿の連発ですが、
馬鹿の一人として、しっかりリスペクトを込めて言っていますので、
おヘソを曲げずによろしくお願い致します。。。

NPO/SBの組織には、この馬鹿の言う奇跡的な「偶然のひと言」を必然にに変える、
つあまり事業化する仕組みと、
その馬鹿が言う「偶然性のひと言」の確立を高める仕組みの両方が必要です。

なぜ馬鹿は偶然のひと言を言うのか?についてはリンクしたブログをご覧くださいませ。

今回のイベントのリード文に、以下のような文章があります。

NPOやソーシャルビジネス運営では、主に非営利面を担って現場をまわしていく「現場のプロ」と、事業として資金調達やマーケティングなど営利面を担っていく「事業化のプロ」、どちらも必要とされています。


うん、そうそう、と思う。これを書いたのは間違いなく「事業化のプロ」でしょうね。

さて、馬鹿はどっちにいるんだろう?(と、見渡す)

馬鹿は大抵「現場」に紛れていますよ。
これは長年の経験がなくてもわかることでしょう。

しかし、馬鹿は馬鹿だと悟られないように、
わかりもしないムズイ話に一生懸命頷いたりしてますので案外と見つけにくいと思います。

しかし、目が肥えてくると直ぐに見つけられるようになります。
もう、利用者と見紛うようなことなどありません。
そして、それが一人じゃなくて、
現場の連中が、大抵は大切で愛おしげな馬鹿だということに気づくでしょう。

しかし、事業化のプロたちは気づかない。
いや、事業化のプロたちは、気・づ・か・な・い、じゃなく、気・づ・け・な・いんです。
という見方をしてあげましょう。

あんまりふざけていると、どちらのプロからも嫌われる恐れがあるのでリスキーです。

でも法人内での不協和音は大抵この気づけなさで起こっちゃってるんだよね。

現場のプロたちは仕様書に縛られた、
或いは理事長の独善的なプランを支持する事業化のプロたちに、
情熱を感じないとイライラしてるんですよ。
「あいつらほんと現場わかってないよなあ、もっと現場に顔出せっつーの!汗流せよ!!」と。

そして事業化のプロは現場のプロの連中の知性のなさに腹を立てます。
「いいことだけして飯が食えるかっつーの!もっと勉強しろよ、本読めよ!!」と。

この2つの「つーの!」がNPO/SBのジレンマの根源であることは間違いないんだけど
以外と気づかない。いや、気づけない人が多い気がする。
なぜなら片方しか経験しない人の方が多いから。

と、ここで僕は両方知ってるもんね的優位性を例えそれが勘違いであろうが遺憾なく発揮させ、
読者を飽きさせたくないのでまとめに取りかかりたいと思う。

このジレンマが
本来とは逆のベクトルでエネルギーが流れているから起きていることに気づいてほしい。

本来は、困っている人を目の前にしてほっておけなかった誰かが、
その人に手を差し伸べるところから物語が始まり、
ちょっと顔を上げてみたら、そんな人はこの人だけじゃないと知る。

しょうがないよね、で終わらせることが出来なかったこの誰かは、
この人たち全員を助けたい。むしろこの社会を変えたいと誓う。
そして仲間や資金を集め、個人的な市民活動を組織にし事業化が始まったとさ。

本来このように現場のプロからコトが起こり、事業化のプロが事業にしていくわけです。
そしてこれらはすべてプレイング・マネージャーのように両方を行う人がやってたわけです。

それが、時間が経ち組織が大きくなると最初に手を差し伸べたあの人は理事長となって、
ソーシャルインパクトだボンドだなんて言い出して、みんなに指示を与えはじめます。
気がつくと事業化のプロたちは、現場のプロたちに、
「あれをしろ」「これはするな」と指示を出し、それを評価し査定まではじまるのです。

逆のベクトルでエネルギーが流れている。
しかし大抵の支援機関はもうこれです。
そこでは現場のプロたちが今日も「つーの!」と愚痴り、
事業化のプロも「つーの!」って憤り、
お互いのグラスが乾杯とぶつかるのは年一回になります。

この「ガチャン!」の回数が多い現場のプロは事業化のプロに昇格していくでしょう。

僕の結論は、逆のベクトルを元に戻すことからだと思う。
そのイニシアティブを取るのは事業化のプロであるべきだし、
それは初め演出でもいいのかもしれない。
しかしその演出が文化になること、それが一流のNPO/SBの条件なんじゃないか?

パッション馬鹿はあなたの組織で、訳知り顔で今日も頷いている。
何もわかっていないのに…。
彼らがわからないことを表明できること、それが人材育成に第一歩だと思う。

と、3流の僕が言う偉そうなブログでしたm(_ _)m。
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団地と貧困

僕自身が現在団地住まいで、
中学から18で家を出るまでずっと団地だった。

家を出た後の一人暮らしもアパートで、
壁一枚隔てて赤の他人がいるという生活に嫌気がさし、
30代は福生で平屋の家を借りてしばらく住んでいた。
あそこの濡れ縁は忘れられないな。

ひょんなことからNPO法人で働きはじめ、
ずっぽりとはまり、三人目の子どもが生まれた頃、
このままこの仕事を続けていこうと覚悟を決めた。

前々職の営業職の頃はマイホームを夢見ていた時期もあったけど、
でもこの仕事を続けていくなら、
家賃の安い団地に住むべきだと考え今の団地に応募して当たった。

団地の魅力はなんといっても、家賃の安さだ。

以前、その当時、東京都で生活保護世帯が一番多い足立区で、
生活世帯の若者へアウトリーチ(家庭訪問)を任されていて、
区の職員の方からよく、足立区の歴史的背景を聞かせてもらった。
(現在は台東区1位で足立区は2位、3位が板橋区)

ウィキペディアで足立区を調べ、
住宅団地の項目を見てもらえばわかるけど、とにかく団地が多い。
自転車でアウトリーチしていたのだが、本当に団地だらけ。
そして家庭訪問した若者の家は一部の多子世帯を除き、
みんな団地住まいの方が多かった。

区の職員の方曰く、足立区は1960年代に団地の誘致を積極的に行った。
その結果、低所得の方々が足立区に集まって来て、
その結果今のようになったという。
真相は未確認だが、納得感のある話しである。

経済格差が教育格差になっている現実

学区のない高校との付き合いが多い僕は、
エリア特性のようなものが浮き彫りになることはあまりない。
高校を形作っているのはエリアではなく偏差値だといえる。
なので、課題集中校とか学力下位校などと、
団地=貧困の因果関係が浮き彫りになることがない。

しかし、これが地域に密着した中学校となると一気に話が変わる、
というのを最近実感する機会が何度かあった。

某政令指定都市の某区中学校のあるエリアを地図で見ながら担当者と話していると、
「集中的に支援を行いたいのがこことここ」と指をさした。
理由を聞くと2校とも学区内に大きな団地があり、
その団地の貧困問題が生徒たちの問題行動や学力不信に直結しているという。

某県の某中学校の校長室での意見交換の場でも、
「◯◯中学は◯◯団地があるからどうしても荒れる」という発言があった。

まさに経済格差が教育格差になっている現実だ。

団地と貧困。

僕はその渦中で育ち、渦中で子育てをしている。
職業柄でも、個人史的にも、これは他人事じゃないぞと思う。

そしてこのところずっとこだわって書いている、
ブルデューの経済資本、文化資本、社会資本の話とも直結している。

経済資本のない人々が安い団地に集まってくる。
そこでは文化資本を享受できない子どもたちが、
知的好奇心を満たすことができずに育っていき、
狭い社会関係資本の中に閉じていきながら問題行動を起こし、
学力不信で行き場を限定され、やがて孤立していく…。

大人になり狭くなった団地を飛び出した子どもたち(まさに自分)は、
学歴もなく、手に職もなく、頼れる仲間やコミュニティも持たないまま、
結局団地に戻ってくるという連鎖があるのではないか?

こんなことは中学の先生たちの間では常識的なことなんだろうか?
しかし、10何年この若者支援の業界にいて、
それなりにアンテナ張って活動してきた団地住まいの僕が今、
「あれ?団地ってそんなことになってたの??えっ!?」となっている。

団地にはある種のタブーがあるのではないか?

自分自身でも蓋をしてきた、受け入れがたい事実なのではないか?
ネットで検索してみると、直接的な議論はないが、
「団地差別」という言葉が散見され、
「部落差別」を思わせるものを感じさせる記事もある。

早期発見・早期支援というより川下から川上へという流れを意識すれば、
無視できないものであることは言うまでもない。

でも僕の周りで「団地と貧困」について語っている者は一人もいない。
一当事者として、突き詰めていきたい大きなテーマである。

文化資本と社会資本をつなぐ「2.5プレイスモデル」(前編)

前回のエントリーの冒頭部分と合わせお読みください。
貧乏子育て論「トイレ本は文化的シャワー」


フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、
人間の持つ資本を、以下の3つに分類した。

①経済資本
②文化資本
③社会関係資本


そしてこれらの資本を多く持つ人ほど、
進学や就職において有利であり高い社会的地位につくことができるとした。

東大生の親の年収 950万円以上が51.8%(東大家庭教師友の会)
というデータを引き合いに出すまでもなく、
経済的資本が文化的資本(学歴)を築く主要なファクターになってる。

逆に言えば、経済的資本を持たない貧困世帯の子どもたちは、
塾にも行けず、参考書も買ってもらえない。
或いは家族(就学)旅行に行き、見たこともないような青い海に感激したり、
異文化触れ合える機会を持つことができない。
(私の住む団地には海を見たことのない子どもたちが多い…)
(生活困窮世帯が多い学校では修学旅行に行けない生徒が多くいる…)

よってブルデュー的に言えば、
経済資本を持たない者は、進学や就学に不利であり、高い地位に就くことができない。
ということだ。

重要な点は、
頑張っても報われにくい後期資本主義の縮小経済下では、
これが格差として固定化しやすいということだろう。

これをオルデンバーグの「3rdプレイス」の概念に置き換えてみたい。

オルデンバーグは「3rdプレイス」とは、
都市に暮らす人々の生活空間を以下の3つに分けた。

・1stプレイス=家
・2ndプレイス=学校や職場
・3rdプレイス=地域コミュニティ


都市生活者が豊かな生活を送るためには、
イギリスのパブ、フランスのカフェ、ドイツのビアガーデン、日本の居酒屋?など、
「心のよりどころとして集う場所」、即ち3rdプレイスが重要な空間であるとした。

簡単に言えば、家と学校(職場)以外に行ける場所が大事ということ。

家と会社の往復しかしていない3rdプレイスを持たないサラリーマンが、
定年退職で2ndプレイスである職場を失うと、
一気に1stプレイス=家に閉じ込もり孤立する。

巷では孤立した団塊世代が地域に出る「団塊デビュー」という課題が持ち上がっている。
孤独死が50〜70代の男性に多い(最多は定年時期の60代)のを、
3rdプレイスを持たない大人の現象と捉えてもいいかもしれない。

同じように、3rdプレイスを持たない高校生が中退や進路未決定で、
2ndプレイスである学校を失うと、
一気に孤立し、課題が長期化するなかでひきこもりや反社会的な行動をとるようになる。

中退リスクは、経済資本を持たない世帯に多いことは、
一般世帯に比べ、生保世帯の中退率が倍も高いことでわかるだろう。
これは文化資本への執着、或いは好奇心の持てなさだといえる。

そして知的・社会的な⽂化資本を持てないと、
社会的に孤立してしまいやすいという事実は様々な報告書が伝えている。

ブルデューのいう社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)を3rdプレイスと捉えてみる。

経済資本=1stプレイス
文化資本=2ndプレイス
社会関係資本=3rdプレイス


そして我々のような自立支援を行う者のゴールが、
進学・就職を中心とした自己実現や夢や希望の達成だとすると、
いかに1stプレイスしか持たない若者に2ndプレイスを通じて、
3rdプレイスを持ってもらうか、ということがミッションである。

そして高等学校や大学(2ndプレイス)での予防的支援は、
2ndプレイスと3rdプレイスをつなぐ接続支援であり、
「田奈Pass」や「バイターン」は接続支援のソリューションモデルの提案である。

それを僕らは学校内の“溜め”である「2.5プレイス」と呼んでいる。

25プレイスモデル

(つづく)

今月末の日本教育学会で、
神奈川県立田奈高等学校の学校司書であり東京大学大学院生の松田ユリ子さんと
僕の「田奈Pass」のパートナーでもある、
(社)インクルージョンネットよこはまの鈴木晶子さんとの共同研究として、
「高校生の潜在的なニーズを顕在化させる 学校図書館での交流相談」
 〜課 題 集 中 校 に お け る 事 例 的 研 究〜

の中で「2.5プレイスモデル」を発表させていただくことになっています。

貧乏子育て論「トイレ本は文化的シャワー」

ピエール・ブルデューは人間の持つ資本を、
文化資本、経済資本、社会関係資本の3つに分類し、
これらの資本を多く持つ人ほど、進学や就職において有利であり、
高い社会的地位につくことができると言っている。

これは真実だと思う。
これに少し、後期資本主義社会な現代的解釈を加えた、
個人的な子育て論を書いてみたいと思う。

ちょっとでかく出過ぎた感が否めないが大丈夫だろうか?

後期資本主義社会という、
経済的資本がままならない縮小経済時代を生き抜くためには、
人と人が支え合う互恵型の社会関係資本が重要になっていくと思う。
その際、文化資本は人と人とを結びつけるソーシャルボンドであり、
金銭化できない価値、つまり「絆」を生む源泉になると僕は考えている。

生活困窮等で文化資本を持ち得なかった人たちは、
文化的な共通言語や共感、シンパシー、
それらによる他者理解や受容や寛容性が持てず、
結果として社会関係資本を築けずに孤立しやすくなってしまうだろう。

そうなると困窮から抜け出す機会を得られず、
貧困の連鎖から抜けることができなくなり、
格差として固定化していってしまう。

だから文化資本こそが、
こんな時代のコア・キャピタルとでも言おうか、
最重要な資本だと僕は思っている。

文化資本は経済的資本がないと築けない。

これは半分正解で半分不正解だと僕は思う。

学歴や資格など、
お金を生むような文化資本は経済資本がなければ手に入れられないが、
人と人を結びつける、つまり社会関係資本を生むような文化資本は、
経済的資本がなくても“望めば”手に入れられる、と僕は考えている。

しかし、文化資本のなさの本質的な致命傷は“望まなくなる”ことにある…。
ちょっとこの話は、さらに大袈裟になるのでまた今度にしよう。

文化資本は経済的資本がないと築けない。

これは言い換えるまでもなく、
「経済的資本格差が教育格差になっている」ということだ。
これに対して「NO」というために大学の無償化などが言われていて、
僕は全国民に対して文化的インフラが享受できる社会を目指すべきであり、
それこそが社会的投資なのだと考えている。

個人史的なことをいえば、僕は中学生くらいから、
音楽やファッション、アートや文学に関心を強く持ち、
少ない小遣い→安い給料をやりくりして文化にコミットし続けてきた。

それがやがて若年者就労支援というものに出会い、
産業構造やら教育などにも関心を持ち始め、
コミュニティーというものを意識するようになった。

(僕自身は哲学的でも経済的でもなく、
 文学的にこれらに対峙して行きたいという思いを持っている)

このことで今の自分を築き、
それを土台に構築した社会関係資本の中で、
なんとか今日まで生きて来られていると本気で思っている。

そんな僕の貧乏子育て論のテーマは、
「文化的なシャワーをいかに浴びさせてあげれるか」というものである。

前置きが些か大袈裟になってしまったが、
それが知らぬ間に「トイレ本」というスタイルとして、
我が家に定着していることについて書きたいと思う。

トイレに図書館から借りてきた本やらを置いておくと、
「そんなものまで!」と思うものまで、
子どもたちが目を通していて驚くことがある。

考えてみれば、子どもたちにとって、
トイレほど退屈な場所はないのだろう。

以前、とても個性的なキャラの長女が、
その個性をバカにされ落ち込んで帰って来たことがある。
僕は「あなたのそういう個性は素晴らしいと思うよ、普通に合わせる必要なんかないんだよ」
と、声を掛けた。長女は僕にこう反論してきた。
「トイレの本に『まずはフツーをきわめなさい』」と書いてあったもん!うわ〜ん」

そんな本を見ていたとは…。

この間も車で移動中、
妻が「トレイにある雑誌(クーリエ・ジャポン)の中で、
穴の空いた道路を見つけて写真で撮って送ると、
行政がそれを修理するというサービスがあってあれはいいと思った」と言ったら、
長女が「私も見た、あれいいよね〜」と同意した。

帰って探してみたら雑誌の中程にその特集記事はあった。
二人とも難しいところは飛ばして、興味あるところだけで読んでると言う。

僕が度々使っている「文化的なシャワーを浴びせる」というのは、
まさにこういうことだと思っていたのでほくそ笑んでしまった。

僕は時間があればほぼ図書館に毎週通う。
子どもたちが時間があれば付いて来て本を借りている。
借りて来た本はトイレに置いておき、
シャワーのように読まなければただ流してしまう(返してしまう)。
ただただ新しい本(それなりにセレクトはする)が、トイレにいつもある状態を作っておく。
このことがとても重要なことだと思ってやっている。

ちなみに長男は、
僕の好きな『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』をトイレで読破し、
その他の本もほぼ読んだと言っている。

つい先日は、終戦記念日ということで『HIROSHIMA』という、
名も無き被爆者の方々が書いた絵を集めた本を借りてきて、
もっとも目立つ飾って置けるスタンドに立てておいた。

刺激が強すぎて、姉妹からクレームが来るかな?とちょっと心配になるほどの本。
クレームが来たらなんでそこあるかをちゃんと説明しよう、
そんな気持で本を置いておいたが、何も言って来ない。

これまでの流れでは見ないはずがないので見てるんだろう。
何か感じるものがあり、何も言わないんだろうと、僕は受け止めているし、
見てなければそれはそれでいいと思ってる。

それが押し付けの教育ではなくシャワーということだと思っているから。

そしてそのトイレの永久保存版コーナー(本来トイレットペーパーなどを保存する場所)には、
宮沢りえの『サンタフェ』が所蔵されている。
もう、息子は観たのだろうか?

追伸

妻は、もう10年以上小学校で図書ボランティアをやっている。
そのせいで絵本も毎週10冊近く図書館から仕入れて来ては、
リハーサルを兼ねて、子どもたちに読み聴かせている。

家には楽器がそこら中にあり、物心つくと音を出し、
家の中で音楽がかかっていない時間はなく、
子どもたち自身も音楽をセレクトしてお風呂でも聴いている。

中3の長女が高田渡の「生活の柄」を口ずさみ、
小6の次女はサニーデイサービスの「青春狂走曲」を口遊んでいる。

こういうことが我が家的な文化的シャワーであり、
こんな時代を行く抜くサバイバルツールになっていってくれればと思っている。

皆さんのお宅ではどうしょうか?

工業高校の先生方へ。

かれこれ10年ぐらい前のサポステ事業開始当初から、
一貫して工業高校の先生や校長先生から、
「工業高校はみんな就職できるので支援者の助けはいらない」と、
丁重にお断りされてきました。

つい先だっても、
バイターンのセミナーに参加していた工業高校の先生が、
就職の口は間に合っているから、
うちにはそういう支援は必要がないと言われ、
僕はがっかりしました。

工業高校ってそんなに素晴らしかったっけ?

プロフィールにあるように、
僕も(都立で一番頭の悪い)工業高校の出身です。

時代は大きく変わりましたが、
かねてから自分の記憶との不一致に、
工業高校の先生たちの発言に違和感を抱き続けてきました。

少なくとも僕のいた工業高校は、
工業高校で技術を身につけて就職したいヤツらが来ていたのではなく、
学力的にも経済的にもそこにしか行けるところがなかっただけで、
非積極的に工業高校を選んでたヤツらが通うヤンキー高校でした。

中3の僕は、勉強が嫌でイヤでしょうがなかったので、
社会がどんなところかもわからずに、
中学の先生には就職すると言っていました。

どんなにそこが社会=仕事が大変な世界だろうが、
僕にとって勉強より大変なことは他にないと思っていました。
それぐらい勉強が苦痛でした。

中学校で行われている授業が僕には何も理解できなかったし、
先生の質問に手を挙げれないことや、
テストの点数、通知表の成績が悪いことが恥ずかしかった。

英語と数学が1でその他は2、
努力しようにも掛け算がわからなかったし、
筆記体で進められる英語の授業は板書もできませんでした。

中卒の母は僕に勉強を教えることは一切なく、
結局中学の勉強は何もわからずただ机やテストの裏に、
ビートルズのロゴやギターを持った男たちの落書きをしてました。
僕の落書きの集大成のようなパラパラ漫画がクラスで大ウケしたのは、
僕にとって自己肯定感を高める出来事のひとつかもしれません。

僕が高校に入学したのは、中3の時だけ行かされた塾で、
好きだった塾の先生が、ここなら行けるかもしれないと言った
工業高校を勧めてくれたことがきっかけでした。

先生の顔を立てるために受けたようなものでしたが、
僕は国語ができたのでその点数でかろうじて合格できました。

そんな僕だから、
入学しても超満員電車で1時間以上かけて通いっていたにも関わらず、
やはり授業についていけず、工業に興味も持てないまま、
3年間ただただ、やはり机やノートに落書きしてました。

在学中、タバコで3回捕まったのも、
今考えれば相当に自暴自棄な生徒ですね…。
今目の前にそんな生徒がいたら僕はこう思うだろう。
「こいつ、なんの希望も持ってないんだろうな…」と。

あの頃と、時代は大きく変わりましたが、
僕のエピソードは、
笑っちゃうぐらい現在の公立学力下位高校の生徒ニーズそのものです。

改めて言うと、
あの頃、工業高校を積極的に選んでいたヤツはほとんどいなかった。
その高校なら行けるかもしれないと東京中の馬鹿生徒が押し寄せ、
7倍にもなった倍率がそれを証明しています。

しかもその倍率を潜り抜けて入学してきても、
夢や希望を持って入学したわけじゃないから、
友人たちは簡単に中退していきました。

僕自身、高3の時に退学騒動があり、
ある先生の「往復ビンタ」という配慮で中退を免れた一人ですw。

卒業までに中退者でクラスは半分に減り、
ガラ空きの教室の後ろはプロレスのリングと化していました。

前置きがとても長くなりましたが、
さっき何気なく某県の県立高校の中退者資料を見ていて、
明らかに工業高校の中退者が普通科高校より多いことに目が止まりました。

普通科も農業高校も総合高校も多いところは多いので、
特別なことではないとも取れるデータですが、
恐らくどこも「学力的にも経済的にもそこにしか行けるところがなかった」
というニーズに対応して作られた学校特有の中退問題だと思います。
(昔はこのニーズを工業高に集中させていたのを、
産業構図の変化や大学進学率等により、今は普通科等に分散させていると思う)

即ち時代は変わったけどニーズは何も変わっていないということです。
むしろ大学進学率が当時(昭和59年)29.6%で、
現在が50%前後で、高卒求人の激減などを考えると、
そのニーズはより複合的困難を抱えているといえるのではないでしょうか?

これが僕の冒頭に書いた、工業高校の先生たちの発言の違和感です。

工業高校関係者の皆さんへ。
残る生徒が残って結果を出してくれれば、
それで何の問題もないのでしょうか?

リサーチ不足ですが、
僕は上記の中退率と、その学校を卒業した生徒の早期離職率には、
相関関係があると思ってます。

中退した生徒はなかったことにし、出た後のことは感知しない。

公共教育機関の機能、或いはミッションとして、
それでは立ちゆかなくなるのは自明です。

就職率を隠れ蓑にして、「大丈夫」はもうやめて、
様々な社会資源と手を結び、
総力戦で子どもたちを守り、育てて行きましょう。
お願い致します。
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