2013年07月

Eテレ「在日コリアンが抱いた思い証言で語られる戦後史」を観て。

昨夜、何気なく観はじめたEテレで、
戦後の大阪を舞台にした
「在日コリアンが抱いた思い証言で語られる戦後史」という番組をやっていた。

当時の朝鮮人学校の生徒に対するアンケートの中にこんな一文があった。

「なぜ差別されるのか教えてほしい」

差別を受ける理由や歴史もわからないまま、
子どもたちはわけも分からず、日本人に差別を受けていた。

受けいていたと過去形で書いて覚える違和感。
これは余談だけど、現在の朝鮮学校授業料無償化除外問題を考えれば、
今の朝鮮人学校の生徒にアンケートを取っても、
同じことを書く生徒たちはいるのではないか?

ある子どもは、教室の窓から、
母親が沢山の荷物を積んだ荷押し車で坂が登れずに苦労している姿を目撃した。
教室を飛び出し、母親の手伝いに飛んで行きたいけど、
変名を使い朝鮮人であることを隠していたから助けに行けなかった。

今は60代の男性が当時を振り返り、
その悔しさを蘇らせながら、歯を食いしばり語っていた。

番組終了と同時に僕は寝落ちした…。

今朝、iPhoneを観て、
ツイートしようとしていた「なぜ差別されるのか教えてほしい」に目が止まり、
別の記憶が蘇ってきた。

7年ぐらい前の前職のNPO法人でのこと。

織田鉄矢(シェアするココロ)と生活保護世帯の若者への家庭訪問をしていた。
ある時、いやいや僕らの前に座ったパンチパーマの若者が、
母親に聞えよがしにこう言った。

「なんで俺はこんな家に生まれて来ちゃったんだろうなあ」と。

母親は昼間から酒を飲んでケースワーカーへの不満を口にしていた。
生活保護が僕のなかで問題意識として深く刻まれた瞬間だった。

真夏。汗だくになって僕らは自転車で家庭訪問をしていた。
町には当時の安倍政権のポスターが至るところに貼られ、
政権のキャッチコピーである「再チャレンジ」が大書されていた。

再ってなんだよ?
こいつら一度もチャンレンジさせてもらえてもいないのに…。
ふざけんな。

あの頃、織田とはそんな疑問や怒りや不信や希望を語り合っていた。
どういう嗅覚か、そんな話ができるケースワーカーや管理職を見つけては、
自分の感じていることをぶつけて議論をしてた。

この2つのエピソードは、
生まれる家や家系や血やエリアを選んで子どもたちは生まれてこないんだという、
極めて当たり前な話。

しかし、それがその子どもの運命の鍵を握ってしまっている。
その運命を背負わされた若者たちに自己責任論が覆いかぶさる…。

子どもたちに希望を。希望の先にしか未来はない。
そんなことを思う朝です。


「ワンダフル・ワールド」サム・クック Sam Cooke – Wonderful World
昨日こちらのブログを読み、ラブソングではなく実は人種差別に対する歌だっとことを知りました。
興味ある方は是非、ご一読を。
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社会が1ミリでも良い方に動くなら、 それはお節介な大人が余計なことをした時だ。

僕がNPO法人で働き始めた2000年当時、
若年者就労支援業界には委託事業はありませんでした。

それは即ち自主事業でしか食いようがなかったということもであり、
逆にいうと自主事業で食えた時代だとも言えます。
もっというと行政はパートナーというよりも敵に近かったような気がします。

僕はあの頃のNPO法人を「牧歌的な時代」と呼んでいます。
少なくとも僕のいた法人はそうでした。

その当時の僕らには、仕様書もなければマニュアルもありません。
すべてがOJTで、理事長や先輩たちの思いを汲み取りながら、
目の前の若者たちの発言や態度に対して反応する試行錯誤の日々でした。

それでも十分成果を挙げていました。
日本の経済状況も含め「いい時代」だったよね、で片付けるのではなく、
この点についてはしっかり語っていきたいと思います。

今、僕らの業界は委託事業に溢れ、
かつて自主事業だけで食っていた老舗のNPO法人も、
現在は委託なしでの運営は難しくなり、
かつては敵だった行政をパートナーとして運営をしています。

委託事業には仕様書があります。
そこに書かれた仕様を守ってもらうために、
管理者はマニュアルを作成し、従業員に徹底させるための研修を開きます。

仕様書とマニュアルというのはどういう役割を果たしているのでしょう?

仕様書は「What」、何をするかが書かれています。
何をやって何をやらないのかという枠の設定です。

マニュアルは「How」
設定された枠の中でどうすればいいかが書かれています。

肝心な「Why」なぜやるのか?
この部分がどこか遠いところに置き去りにされているように感じます。

心の内側からの動機である「Why」がないまま、
枠組みを徹底的に教え込まれ、
何を行政は評価し、何を行政は評価しないのかを教えられ、
その成果目標を達成するのためのマニュアルに従い行動する。

困難を抱え、藁をもすがる思いで現れた若者たちを、
仕様書とマニュアルで支援できるのでしょうか?

牧歌的時代のNPO法人には、
仕様書とマニュアルがなかく「Why」しかありませんでした。
いや、このWhyだけを頼りにスタッフは支援をし、
このWhyって一体なんなんだ?どんな意味があるのか?
そんな議論を毎晩していました。

仕様書とマニュアルがない僕らは、
毎日“余計な仕事”をしていたなあと、遠い過去を振り返ります。

大切だったことが余計なことになってしまったんだと…。

これは個人のお金で個人にサービスすることには制限がないけど、
国民から集めた税金には使途に制限がある、
ただそれだけの当たり前ことです。

そんな中、「Why」を強く抱く支援者たちが、
そのうちなる一番大切な問いに答えきれずに離職して行きます。

たらたらと失礼致しました。

このブログは、
「余計なことをしたい支援者たちが、余計なことをできなくなってしまっている」
そして、やっぱ俺たち「余計なことがしたいんだよね」ということが書きたくて、
無計画に書き始たものです。

もしも社会が1ミリでも良い方に動くなら、
それはお節介な大人が余計なことをした時だと僕は思うんです。

「Why」なぜ僕らはこの活動をしているのか?
「Believe」僕らは何を信じてその活動を続けているのか?
そしてももしもそれができたら、世界をどんな風に変えることができるんだろう。

「子ども動物女子」〜職業観とコミュニケーション・スキルと社会(大人)への期待感の低い女子生徒たち〜

「子ども動物女子」っていうのは、
僕が学力課題集中校と呼ばれる高校で、
3年間相談員をやってきて感じるひとつの実感をもとに、
僕が勝手に名付けたあるタイプの女子高生たちのこと。

「子ども動物女子」っていうのは、
将来やりたい仕事が、子どもに関係したものか、
動物に関係したものを希望する女性生徒のこと。

まあ、女子高生にはその2つは人気があるよね、
ってことだけじゃない裏理由があるという実感が僕にはあって。

この前、先生たちにその実感を伝えてみたら、
目からうろこ的な反応があったので、
今日はちょっとそのことについての検証も含め、
書いてみたいと思います。

まず、高校3年生がどの程度の職業理解が進んているのか?
ってことなんだけど。

職種と業種の違いもわからなかったり、
当然のことながら、あんまり社会のことなんか知らないわけです。
だから、この無知さを補うために進学を選択する、
と言っても過言ではないのではないでしょうか。

そういう形で進学する生徒たちも心配なのですが、
とりあえずここでは、進学する生徒たちはいい、ということにし、
進学したくても出来ず、就職を選択せざる得ない生徒について考えます。

さて、何がしたい?将来の夢は?
なんて言ったってなんにもないわけです。

何も浮かばないなか、好きなもの、苦手そうなものを取捨選択していくと、
「子ども」と「動物」が残り、それを拙い職業イメージと結びつけると、
「保育士」と「ペットトリマー」や「ペットショップの店員」が、
朧な職業イメージとして浮かび上がってくるわけです。

ここまでは普通で、
何も「子ども動物女子」なんて言い方しなくてもいいわけなんだけど。

「子ども」と「動物」を希望する生徒は、
「子ども」と「動物」が好きだから希望し、
子どもと上手に遊べた、ペットを飼って可愛かったなど、
少なからずの成功体験に紐づけて希望をしています。

ここがポイントなんだけど、
子どもと遊ぶのも、ペットと戯れるのも、
当然のことながら大人っぽいコミュニケーションが発生していないんですよ。

「子ども動物女子」は、
「大人」や「同世代」のコミュニケーションに不全感をもった生徒たちが多く、
「大人」や「同世代」の中での成功体験が何ひとつなかったりする。

そこに飛び込む息苦しさから逃れるために、
「子ども」と「動物」を選んでいるな、と。
申し訳ないけど、これはドンピシャなわけです(言わないけどね)。

しかし、保育士という職業は、子ども対応と同じぐらい、
保護者や同僚=大人対応があり、動物も動物と同じぐらい人対応があるわけです。
でも、このことにすら気づいていないのが「子ども動物女子」です。

この、あまりにも浅い職業理解が、
大人から見たら明らかに行き詰まってて非常に不安になる点であると同時に、
この生徒の拠り所である「子ども」と「動物」を取り上げたらどうなっちゃうのか?
という心配をしてしまう、それが「子ども動物女子」です。

キーワードは「職業観」「コミュニケーション・スキル」と「社会(大人)への非期待感」です。

僕が、そのような生徒と会うのが、3年生の進路選択の時期である6月とか。
どうして、高校では「職業観」「コミュニケーション・スキル」と、
「社会(大人)への非期待感」を醸成できていなかったのか、というのは高望みで、
よく中退しないでここまで踏ん張って来たなあ、というのが学校の事情が見えてきた、
3年目の僕の感想です。

そして、「子ども動物女子」は全国に物凄い数がいるのではないかと想像するんですよ。
言い方はともかく、なんとなくいるよね、
しかし何も対応がされていない生徒層を「子ども動物女子」というセグメントをすることで
見えてくるものがあるんじゃないか。

そして、その他にも気になるセグメントが僕の中にはあるんだけど、
明らかに先生たちと異なる視点で感じているので、
何らかの形でフィードバックし、ソリューションモデルを考えていきたいと思います。

先送りの癖について考えてみたら、思いがけずしんどい気持ちになった

仕事をする上で自分には2つの先送りのパターンがある。
ということに最近気がついた。

いや、本当はもっと前から気がついていたんだけど、
その気がついたことすらを先送りにしてきていた。

だって、
気がついたのに解決策を講じないなんて怠慢じゃないか。
と、責める自分に会いたくないから。

だからずっと気がついてないふりをしてきた。
でも、今日はちゃんと向き合うよ、うん。(←小さな覚悟)

なんでこんなことを書いているかというと、
見た感じは同じ「先送り」でも、
この2つは対処方法がまるで違う気がする。
今日は、それをちゃんと考えて、先送りをやめたいと思う。

さて、一つ目は「ナメてるパターン」。

僕はこういう言い方をよくする。

「頭の中ではもう出来上がっているからさ、後は吐き出すだけなんだよね」

だから今やんない。やんなくてもいい。
やりはじめたらチョチョイノチョイだからさ。

…そして時は経ち、締め切りが近づく…。

いざ吐き出すと案外出て来ないもんなんだな、これがまた…(冷汗)。
出てきてもアラだらけで、結局ほぼゼロベース・スタートとか…。

あと、僕の場合多いのがこの段で新しいアイデアとか出ちゃって、
それをカタチにするのに全然時間的余裕がなくなっていたりするという。

これ、吐き出してカタチにしてしまうことを、
なんとなく拒んでる自分もいたりするんだよね。
講演とか喋り系では、むしろイメージだけあった方がいい場合もあるから。


という言い訳。

つらいなこのブログ…。

俺、美味しいものを最後に食べるタイプなんだよね。

という二度目のあまり関係のない言い訳。

解決策の数よりも言い訳の方が簡単に出て来るとか、
人の脳っていうのはほんと不思議だよね〜?どうなってんだろ??

という誤摩化し…。

さあ、気を取り直して二つ目。
「難問過ぎパターン」。
これがいわゆる先送りの典型パターンですよね。

取りかかったら数時間かかるし、
こりゃあ相当脳みそ使うぞ、っていう。

今、俺にその準備はできているのかい?
というなかやまきんにくん的問いに、
「ま〜だだよ〜」と自分が返事をする。

だから今やんない。

もっと時間とエネルギーのある時に集中してやった方が、
絶対いいものができるんだから。

という言い訳。

う〜ん…、キツイなこの企画。
どんどん追いつめられていく…。

それがわかっていたから先送りしてきたんだけど。
↑これがいわゆる「難問パターン」。

まあ、僕には以下の2つの先送りのパターンがあるわけです。

① ナメてるパターン
② 難問パターン

① のナメてるパターンは、案外自覚的なんですよ。
一度プロットを頭の中で組み立てて、
「よし、いけんな」という打算をしているんだから。

そしてポイントはこの「よし、いけんな」が独りよがりの
ご都合主義だということ。
この時にアウトラインだけでも吐き出してしまえば、
予想以上にタスクや検討材料が多いことに気づくだろうよ、俺。

そして、締め切りから逆算して、
どれだけ作業時間が確保できるのかをチェックし、
作業時間もスケジューリングしてしまおうぜ、俺。

同時に協力者がいるなら、
その人にも作業時間を確保してもらっておこうぜ。
投げて帰って来る時間を計算に入れてないで随分痛い目に逢って来たじゃないか…オ…レ…。

黄昏れるなあ。

さて、②の難問パターン。
こちらの方が無自覚に先送りしてて、
取りかかりが遅いと難問なだけに時間がかかりやばいパターン。

まず、チェックするべきは苦手意識だよ、俺。
Excel的計算系が作業に入ってるとか、
自分が苦手意識を持っているもの=ストレス・タスクを
一度洗い出しておくとよいんじゃないの?

緻密な計算が必要
・ 調べ物して緻密な裏取りが必要
・ 緻密な図の制作が必要


根を詰めた緻密な作業が嫌なんだね、俺…。

う〜ん、息苦しいなあ。
本当はこういうの、誰かに慰めてもらいながらやるものだろうな。
独りで孤独な戦いになってしまったことを後悔なう。

そしてもう一つはプレッシャーだね。
緊張感の高い、失敗が許されない系のシチュエーションの仕事。
そういう準備をしてると緊張するじゃん。
それがやなんだね、俺。

子どもかっ!

先送りの構図が見えて来たなあ。
さて、どう難問パターンを克服しよう?

タスクが発生する→期日を確認する
→ワークボリュームをざっと考える→タスクを洗い出す
→その中に先送り要素であるストレスタスクがないかを確認
→あったら先送りを自覚し、コントロールするためのスケジューリング
→チーム内の得意なスタッフはいないかを考え、
振れるものなら振ってしまう(期日に余裕があれば克服タイムとする)

こんな感じだだろうか。

さてと、まとめ。どちらにも共通するのは、
ワークボリュームの洗い出しを必ず行うことだね。
(これは個人でやるよりもチームでやった方がいいよねえ)

てことでワークボリュームを吐き出し、
①の「ナメてるパターン」ならそのままある程度吐き出しちゃう。
②の「難問パターン」なら、自分のストレスタスクをチェックする。

これだけで随分違いそうだな。

ああ、考えてみると随分と基本だなあ〜。
こういう基本的な仕事術を教わる機会が考えてみると俺にはなかったなあ〜。


という言い訳。






『教室内(スクール)カースト』なくならないこの問題と僕らはどう対峙していくのか?

『教室内(スクール)カースト』鈴木翔著を読みました。

スクールカーストはありますよね。人はどこかで相手を値踏みして、自分より上か下かっていうのをやってしまう。それは、子どもたちの特性ではなく、人の習性なんでしょうね。

むしろ大人たちの方が名刺交換の時や、主婦の井戸端会議(←最近こういうのないかw)なんかに露骨に値踏みしてるんじゃないでしょうかね。

だから値踏みの習性自体を問題にしてもしょうがなくて、むしろその習性や、この本に書いてあるような成り立ちみたいなものをしっかり理解して、大人たちがどう対応するかだと思うんです。

その時に、その習性とクラス制の相性は最悪で、スクールカーストをベースとした「コミュニケーション操作系」のいじめが発生し、その解決は絶望的だとこの本は言ってて、僕も同意です。

とはいえ、クラス制のメリットも大きいので、クラス制廃止に踏ん切りがつかないんでしょうね。それもよくわかります。

読んでいて、掃除の時間に教師がスクールカーストを感じるというのが、ふむふむな感じがしました。しかもホウキを持てる生徒がスクールカーストの上位グループだと。

そうかも。下位グループは雑巾で床拭きとかね。嫌われてる子の机を誰も運ばないとか。今ではあるあるネタとして笑えますが、当事者の生徒はたまらないですよね。

高校で相談員をしていると、どうしてもこういう可視化されていない暗黙の秩序のようなものに敏感になります。敏感じゃないと、相談に来た生徒の気持ちに寄り添えないので。

確かに学校の中を見渡すと、我が物顔の一軍は目立つし、三軍の子たちがヒソヒソと憚りながら、隅っこで話しているみたいなのを見ます。

今、高校内で相談員をしてて思うのは、我が物顔の一軍だから悩みがないわけではない、ということ。みんな、あんな顔して、こんな顔して大変なんだってこと。

よく、そんな状態でそんな風に明るく振舞ってたねって。ほんと労ってあげたくなるような生徒が一軍にもいるんですよね。

しかし手応えとして感じるのは、困難を脱出する力や可能性は、一軍にはあって、三軍はその力が弱く、長期化するリスクが高いような気がするんです。

僕は、この困難を脱出する力がスクールカーストを生んでいるんじゃないかと朧に思うし、ひょっとしたらスクールカーストが、脱出する力を奪うのかもしれない、なんてことを読みながら考えました。

困難を脱出する力の違いは、一軍の方がバイト先等、明らかに人的資本=協力者を持ってて、精神的な逃げ場を持っていることが多いんですよね。僕はこの逃げ場が3rd プレイスであり、湯浅誠的“溜め”なんだと思っています。

そういう家と学校以外の場所、言い換えれば親と先生以外の大人たちの中で、自己肯定感や、社会や大人に対する期待感を一軍の連中は育んでいるんですよね。

それが大人から見て単純にカワイイ。そのカワイさは、若者の生きる力そのものだと僕は思います。

三軍と呼ばれる彼らにないのが、この人的資本や逃げ場となる3rd プレイス。この溜めのなさのせいで、何かあるとポキッと折れてしまい、2nd プレイス(学校)すら失ってしまい、1st プレイスである家庭に手を差し伸べてくれる人がいないから孤立していく…。

実は、彼ら彼女らはそのことをよく知っていて、折れないように必死なんだ。それがスクール・カーストの切なさだ。このことを大人たちがどこまで想像してあげられているのか…。

一人でいた方が、大人といた方が楽なのに、なんとか一人でいないように友人たちの輪の中にいる。ここが自分の本当にいる場所ではないという居心地の悪さを感じならがら…。

こんなことを言った生徒がいた。「何かあったとき、そばにいるのは大人じゃなく友だちだから」。だから息苦しくても、自分自身で守るためのセーフティネットを張るために、友だちの中に我慢しているんだと。

こんな涙ぐましい人的資本形成に疲れ果てて僕らのところにやってきて泣く。

今のは本書でいう三軍の話として書いたけど、必死に一軍にしがみついてるという話としてもよく出会う。

弊社の行った大学生のアンケートで孤立していると感じているか?という問いに「どちらともいえない」と答えた学生が多かったんだけど、僕はこの必死に友人たちにしがみつく高校生の姿とだぶる。

ちょっと気を抜くとスクールカーストの下位層に転落する恐怖を抱えているのが、どちらともいえないと答えた学生ではないのか?

三軍に位置づけられている彼ら彼女らに気付いて欲しいのは、そのカーストはスクール内限定であり、卒業した瞬間に価値基準は、モテるとかイケてるとかではなくなり、できるかやれてるかということになるということ。

卒業した途端にこの子は生きやすくなるだろうなと感じる生徒にこの話をよくするんだけど、想像はできるけど、残念ながら理解はできないようです。それは当然なことだと思う。経験せずに理解なんてできっこない。でも、その想像が柔らかな踏ん張りどころになってくれればと願って話します。

人の習性としての値踏みであるスクールカーストはいじめ同様なくならないと思う。このなくならないものと僕らはどう対峙していくのか。それを考えるいい機会だと思う。

僕が「ZATSUDANセミナー」をやってる理由。

雑談って、当り障りのない話をしながら、
相手の人となりを見て、仲良くなれるかなれないかという、
自分との相性を探るお見合い的なものがありますよね?

雑談が盛り上がらないのに、
深い仲になることはなかなかないと思います。
稀に第一印象悪かったのに後に親友になるパターンもありますけどね。

どうでもいい雑談で意気投合した次のステージにマジな話ができるわけで。
だから、雑談が苦手だといつまでも友だちや恋人ができなくて、
自分の感情を吐き出すような語る機会も持てないということです。

雑談が苦手で友だちができないと、
居場所である3rdプレイスが持てないんです。
そういう人的資本が少ない人が職場である2ndプレイスを離職で失ったり、
長期無業状態で2ndプレイスが持てない状態が続くと、
1st プレイスである家しか居場所がなく孤立してしまい、
社会的ブランクが長期化してしまうのです。

僕がこの「雑談」をテーマにセミナーをやる理由は、
彼らが職場である2ndプレイスを持てたときの定着支援であり、
そこを軸により豊かな人生になるための
3rdプレイスが持てるようになるための支援だと思っています。

僕自身も実は人見知りで、実は雑談が苦手です。
あまり信じてもらえませんが、何かに対して意見を言うとか、
フォーマットがあると楽なんですよ。
でもって、僕には若者支援というフォーマットがある。
もっと言うと、シェアするココロの代表である自分という役割を持つと割り切れるんですよね。
無業状態で雑談が苦手な人は、この役割を持てないこともしんどさのひとつだと思います。

先週伺った高校には生徒が制作した調べ学習の成果物が多く掲示されてて、
先生にいいですね~なんて雑談していたら、
「うちの生徒はなぜか発表とかけっこう好きで、
 普段喋らない生徒がしっかりみんなので前で話すんですよね」
と、意外そうにおっしゃってたので、
「型が決まってれば話せる人っていますよね」と僕が言うと、先生は合点してました。

「型が決まってれば話せる」=「型が決まってないと話せない」
これが雑談ベタな方たちの落とし穴なんです。

でも実は、雑談が苦手な人が気がついていないだけで、
「雑談」はフリーフォームではなく型があるんですよ。
ってことに気づくという内容で僕は「ZATSUDANセミナー」を構成しています。

例えば「型その1」、サラリーマン300人に対して行った世間話のネタランキング。
出典は忘れました、すみません。

第一位 天気・季節
第二位 話題のニュース
第三位 スポーツ
第四位 仕事・業界
第五位 相手の趣味・好きそうな話題


まあ、こんなもんすw。
おもいっきり型があるわけです。
もうひとつ大事な「型その2」は自己紹介にも型はあるということ。

①あいさつ:みなさんはじめまして~
②名  前:◯◯です(ちょっと漢字を説明したり)
③自己紹介:出身地・略歴・趣味なんか
④あいさつ:その集まりに参加した動機を添えて、よろしくお願いします!

まあ、こんなもんすw。この順番を守ればなんとかなります。
実際、セミナーでも少しシンキングタイムを設けた後に、
参加者全員で自己紹介しますが、みんなちゃんと言えちゃいます。

「型その3」はマナーとして、聞かれたら聞き返そうよ、ということ。
相手:◯◯さんは野球は好きですか?
自分:質問に答えた後に△△さんは野球は好きなんですか?

質問した相手は、実は自分の守備範囲の質問をしてくるものです。
だから、質問のオウム返しをしていれば、自分は盛り上がらなくても(苦笑)、
相手は勝手に盛り上がるようになってるんです(笑)。

そして「型その4」は盛り上がって饒舌になった相手の話に、
さらに質問をかぶせる「Q on Q」(クエスチョンにクエスチョンをのっける)。
自分:へえ~その◯◯ってどんな感じなんでスカ?

的なw

このようなことに加え、あれこれペアやグループで実践的に話してもらうと、
はじめ緊張していた内気な参加者たちも、タイムキープしづらいほどに盛り上がります。
そして、終了時に
「出来たら同じグループの人や、
 自己紹介で共通点を見つけて話せなかった人同士で、
 この後、お茶でも飲んで雑談を続けてみましょう」と促しセミナは終わります。

お呼びいただければ「ZATSUDANセミナー」やりますので、
興味をお持ちの業界関係者の皆さまはこちらにどうぞ!



NPO法人育て上げネット上げの工藤啓理事長が、
このブログエントリーに対するリアクションブログをエントリーしてくれました。
「放っておいてくれオーラに紛れ込む、本当はちょっと話しかけてほしい気持ち。」
こちらも興味深いですので、是非ご一読下さいませ。
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