2013年06月

「おれ」から逃げきれた「おれ」はいないな。

タイトルは数日前の敬愛する糸井重里さんの、
あまりご本人的には深い意図があってではなさそうなRTでのひと言。


このひと言に僕は感慨を覚えました。

その昔(まだ昔じゃないか)、
NPO法人でひきこもりの若者たちの生活寮でスタッフをしていた頃、
カリキュラムの時間になっても部屋から出ててこない寮生を、
起こしに行くんですが、行くと様子がおかしいことがよくあって。

まあ、落ち込んでるわけです。
たいがいは、こんな俺なんて生きててもしょうがない的な自己嫌悪…。

そこから何時間も話し込んだり、お互いずっと沈黙して、
僕も煙草吸ってたので、いっしょに煙草吸ったりして。
そんなときに、僕は最後によく糸井さんが言ったようなことを若者たちに言ってた。

「いろんなことから逃げて逃げて、逃げ切っても、
 自分(=おれ)からは決して逃げ切れないんだよ、
 ここでしっかり自分に向かい合おうよ、そのつもりで家を出たんだろ?」

「おれ」から逃げきれた「おれ」はいない。
みんな自分を背負い込んで、引き受けて、「おれ」として生きている。
たまに「おれ」をやめたくなったり、投げ出してしまいたくなったり、
人生をリセットしたくなることは誰にだってあると思う。
でも、「おれ」から逃げきれた「おれ」はいないんだよね。

そんな「おれ」に向き合うのはしんどい。
鏡なんてずっと見てらんないよ。
でも相手の目に映る「おれ」だったら、
どんな風に映ってるのか覗きこんで見てみたいじゃん。

そんな風に支援者や仲間たちを上手に使ったらいいと思う。

この仕事を始めたころ、
僕の仕事は、その“向かい合い”にとことん付き合うことだと思ったし、
とことん付き合わせてくれる法人で仕事ができたのは、
今の支援者、ユースワーカーとしての僕を作った、
本当にかけがえのない経験をしたと思う。

これからも「おれ」から逃げれない「おれ」と、
とことん向かい合っていきたいと思います。
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ユースワーカーの原風景 ~ギターをやるならビートルズを聴け!~

下のYoutubeでビートルズを聴きながらお読み下さいw。

「中2の時の自分が好きだったオトナは誰?」

前回のユースワーカー研究会は、武蔵大学教授の武田信子さんのファシリテートで、「中2の時の自分が好きだったオトナ」を思い出し、そのオトナのどこが好きだったのかを話すワークショップをやりました。

話しながら、子どもたちが求めている大人像に自分を照らし合わせ、ユースワーカーとしての自分に欠けているもの、大切にするべきものに気づくというものです。

残念ながら、中2の僕にはそういうオトナはいませんでした(そういう人の方が多いとのことです)。僕には親の再婚や引越し転校など、家庭がぐちゃぐちゃしていた中学生以下の記憶がほぼないんです。

何もない記憶の暗闇を辿ると、誰もいない静止画の夜の団地に迷い込みました。そこには案の定、誰もいません…。

やっぱり自分は何も覚えてないんだな、と少し寂しい気持ちになりました。

しかし、記憶の中に一人の男性が現れました。顔も年齢も覚えていない、仕事帰りのサラリーマンだったと思います。

ワークショップでは発表しなかったけど、たった一人だけ覚えてるというか、思い出せたオトナがこの人です。しかしこのエピソードは中2ではなく多分高1なんですけどね。

地元の友人たちがバンドを組もうと盛り上がり、楽器の出来ない僕がなぜかギターを担当することになりました。

団地の下、暗い時間に借り物のエレキギターをチャラチャラ友人たちと練習していました。曲は忘れたけど、当時流行のBOWYだったと思います。僕はギターを弾けなくて、結局この時は「F」で挫折してしまいました。

男性が足を止めて、たむろする僕らに話しかけてきました。怒られるのかと思い身がまえたら、意外なことにギターや音楽の話しを男性は僕らにしてきました。

「ギターをやるならギターサウンドがしっかりと聴き分けられるビートルズを聴くといいよ、今のギターはエフェクトがかかり過ぎて何をしてるのか聴き取りにくいから」と男性は言いました。

わお!この時の興奮がこの男性を僕の記憶に刻み込んだに違いありません。次の瞬間「僕はビートルズの大ファンです!」と男性に言っていました。

ビートルズを語り合える仲間は僕にはいなかったので、やっと出会えた仲間のような気がして、いろいろと話たように記憶しています。

担任の顔も名前も、言われたことも思い出せないこの僕が、この人のことを覚えている。正確にはこのエピソードを覚えている。ここにユースワーカーにとって必要な力を探る重要なヒントがありそうな気がします。

自分なりにその理由を考えてみると、誰にも理解してもらえず、喜怒哀楽のアウトプットを持たない、(音楽的に)孤立していた自分の「理解者(共感者)」に出会えた喜びが挙げられるでしょう。

今高校生と話していて、彼らの瞳が大きく輝く時のセリフって決まってるんですよねw。なんだかわかりますか?

それは、確認するように「わかるぅ!?」です。

その後に「わかるよ、俺も◯◯だったもん」なんて言った後の、砂漠でオアシスを見つけたような嬉しそうな顔。あぁ、共感してあげれることがあってよかったと涙が出そうになります。

彼らは共感者に出会えた喜びを包み隠さず表現してくれます。隠しててもバレます。それがカワイイ。

話が逸れましたが、僕にとってその共感が「ビートルズ」というキーワードで、がっつりと記憶にタグ付けし保存され、30年近く経った今も覚えているわけです。

この「共感+キーワードによるタグ付け」は重要な気がします。

この共感というのは、テクニカルな好意的感心や傾聴だけでは、子どもや若者の琴線に触れることはできないんじゃないかな、子どもってそういうチェック厳しいよなって思います。

もっと実体験に基づいたハグしたくなるような共感じゃないと琴線には触れられない気がします。

その琴線に触れるには、境遇や環境の類似性、或いは理解度、ひっくるめると当事者性というところから生まれるのではないでしょうか。

僕が、高校で相談者として機能できているのは、この当事者性が共感というバイブレーションを生み、生徒との関係性を築けているからではないかと、徐々に気づきはじめています(実はこの共感から外れた“共感できなさ”が違和感となってアセスメントがなされていくんですんが、この部分はまた今度)。

そして、この当事者性は特殊な体験をしているということではく、自分が子どもや若者だったことをちゃんと覚えているかってことが重要だと思います。その時に、薄っぺらい青春を過ごしてきた人たちが、共感の襞があまり育ってない人たちなんじゃないかな、と個人的には思うのです。

この襞がセンサー(センス)となり、共感をキャッチしてユースワーカーの行動=支援となっていくのではないでしょうか。

最後に、僕が自分の子どもや若い子にギターを教える時、顔も忘れたこの通りがかりの男性の言葉を言っているんですよね。

「ギターをやるならビートルズを聴け!」って。

【告知】クローズアップ現代でバイターンが取り上げられます。

6月26日(水)のクローズアップ現代で、
株式会社シェアするココロが神奈川県立田奈高等学校との連携で運営している、
有給職業体験バイターンを経て就職、生活保護から抜けた卒業生にスポットを当てた
「どうする生活保護 ~新セーフティネットの模索~」という番組が、
19:30からNHK総合で放映されます。
是非、このブログでもたびたび取り上げている、
バイターンを活用した、生活保護から卒業と同時に保護廃止→世帯分離の流れについて、
社会全体で考えていただける機会になればと思います。

http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/900/159595.html

石巻の大川小学校を訪れました。

火曜日に、被災地の若者の自立支援プロジェクト『いしのまきNOTE』という、仙台のNPO法人Switchさんが行うプロジェクトの発足準備で石巻に行ってきました。

津波の被害に遭った被災地に入るのはこれが初めてでした。生活ができる状態に戻す復旧と、そこから新たな街づくりを行う復興とがあって、復旧が終わったら復興ということでもないわけで、同時進行で、混ざり合いながら営まれているその光景は、なんとも落とし所のない感情を抱かせます。

もっとも凄惨な姿の石巻はテレビ等の報道や、現地に入った仲間たちからの話でしか知らない僕は、当時の映像を脳裏から引きずり出し、目の前に広がるクローバーが花盛りの草原(元は住宅街)に重ね合わせようと必死でしたが、震災後に建てられたキレイな建物と、被害を最小限に留めた建物と、津波に飲まれ一階部分を失ったまま放置された建物とが目まぐるしく車窓から情報として入り込む僕の頭は、到底被災当時にたどり着くことはなく、ただただ混乱していました。

大川小学校

全校児童108人の7割に当たる74人が近くを流れる北上川の橋のたもとで津波に飲まれ亡くなった大川小学校を案内していただきました。学校に着くと、すぐそばに裏山があり、なぜこの山に登って避難しなかったんだろうという強い憤りと、避難しなかったことへの疑問がわき起こります。その思いは、ここで我が子を捜索しつづけた親御さんたちの胸中にずっと渦巻いた思いだろうと思うと辛くなり、泣けてきました…。

帰宅後、気になって大川小学校のことを調べると、震災前の当時の石巻市のハザードマップには、大川小学校には津波が来ないことになっていて、避難場所にも指定されていました。だから、先生たちは校庭に避難していれば大丈夫だと思った。そこへ津波警報の放送が流れても、登りにくい山に全校生徒を登らせるという選択をせず、近くの北上川に架かる橋に向かった…。本当に悔やまれます。

現地に行くと、すぐそこに海があることがわかる広大な北上川のそばの、若干低地(に見える)に建つ小学校に危うい印象を持ち「こんなところに小学校を建てたのか」と思います。でもそれは、3.11後の悲しい学習をしたあとの視点だからでしょう。3.11以前の視点では、そうは見えず、きっとレンガ造りのモダンな校舎と立地を見て、素敵な小学校だと、ただただ単純に思ったことでしょう。

この悲しい学習経験を忘れてはならない、それがここで亡くなった子どもたちや先生への弔いだと思い、校庭だったであろう場所に落ちていた、校舎の欠片であるレンガを拾いました。しかし、これを持ち帰るのは精神的に重過ぎるなと、ポケットにそのレンガを入れるのを躊躇(ちゅうちょ)しました。それほどに、まだ手付かずに全壊した校舎や慰霊碑は生々しく悲しみを発していました。しかし、この光景を目撃した者の義務として、この光景を忘れてはならないと思いポケットに入れました。

その日が11日だったからだと思いますが、ご遺族の方らしき、お父さんとお母さんと高校生ぐらいの女の子が、慰霊碑に手を合わせに訪れていました。本当に無意識に、妹を亡くしたお姉さん、ちょうどうちの娘たちと同じ年齢差だったんだろうと、何の疑いもなく思い込んでしまい、いつまでも慰霊碑から一人離れないお姉さんと長女がダブり、涙が出ました。

カウンセラーという職業柄、自分が声を掛けるとしたらなにを言うのか、ということを想像しましたが、なにも考えれなかったです。その無力感がまた悲しみとなりました。

東京の家に帰り、子どもたちに動画と写真を見せて説明し、レンガの欠片を見せました。高校生の息子は「やばっ」と言いました。その「やばっ」という衝撃を忘れずに、いつか自分が同じ状況に陥ったら、なんとか生き延びて欲しいと思いました。

僕らに出来ることは忘れないこと、そして見たことを子どもたちに伝えること。自分の中で風化させないことだと、今さら被災地に入った僕が、今さら震災のことを考えはじめています。

自己肯定感の低い方には、積み上げ型の「将来アプローチ」よりも、逆算型の「未来アプローチ」がいいかも。

将来と未来、日頃何気なく使い分けてる二つの言葉、皆さんはどのように使い分けていますか?

時間軸で考えれば、今に近いものが将来、今から遠いものを未来と言っていると思いますが、責任という軸で考えてみるとどうでしょうか?

責任が生じてる範囲にあるのが将来、責任が生じていない、或いは及びようのない先にあるものが未来。僕はそんな風に感じますし、無意識にそんな使い分けをしていると思います。

僕の仕事の一部であるキャリア・カウンセラーという仕事は「子供の頃ってどんな遊びが好きでした?」と、相談者を子供の頃に戻したり、「10年後の成りたい自分ってどんなことしてるかな?」(僕はこの質問が嫌いなのでしませんが)と、将来の自分を想像してもらったりと、まるで時間旅行のナビゲーターのようなことをする仕事です。

このような対話から、そこに脈々と繋がっている価値観や、出来たこと、得意なことを相談者が気付いたり、思い出したりしながら、それら整理して相談者が仕事にまつわる人生=キャリアについて考えるサポートをする、それがキャリア・カウンセラーの役割です。

最近、ふと思ったのですが、僕はカウンセリングのときに現実味のある「将来」ばかりを使ってて、現実味の薄い「未来」をほとんど使っていない、ということに気づきました。ひょっとしたら多くのカウンセラーがそうなんじゃないでしょうか?

将来という責任が生じている範囲の質問は、いわば答える側に有言実行という、考えを言葉にした時点でカウンセラーとの約束関係が生じてしまいます(と感じるものでしょう)。このことが相談者が内省を妨げる足かせになっていないかな、ということを考えました。

このことがプラスに作用する人たちも当然います。それは恐らく自己肯定感の高い人たち、即ち「自分ならその約束を守り、次のステージに進むことができる」と思える層の方でしょう。

僕が日頃接している若者たちは、ほとんどの方が自己肯定感を育む機会を持てずにきた方たちです。そんな若者には、今から近く、責任が生じる範囲の将来に目標を設定することが、ときには苦痛になる場合もあったりするでしょう。それなのに僕は「将来さあ〜」なんて話してきたように思うのです。

そんな若者たちには、目標に辿り着くための積み上げ型のキャリアプランを提案するよりも、責任の生じない限界設定を取っ払った“タラレバな未来”からの逆算型キャリアプランの方が、実は将来が見えてくることがあったりするんじゃないかな、なんてことを考えました。

たまにこういうアプローチはしていたけど、もう少しこの「未来アプローチ」を意識的に使い、メソッドを構築して行きたいなと思いました。

「未来にこうなってたらいいなあ〜なんていうイメージはある?なれるかかれないかなんてどうだっていいんだけどさw」みたいなね。

生活保護という社会保障のジレンマについて〜川崎市『支えられて生きる 支えて生きる』の感想に変えて〜

川崎市の生活保護受給者の自立を追った冊子『支えられて生きる 支えて生きる』は、生活保護を抜けて自立した5人の当事者へのインタビューがメイン・コンテンツで、ワーカーの座談会を含め、大変参考になるものでした(リンクから全文を参照可能です)。

5人のうちの3人の方が自立を果たすうえでの共通点について、この冊子の中では触れられていませんが、個人的にとても感心を持ったので、書いてみたいと思います。

この3人の方の共通点は、駅前で低額宿泊所などを運営するNPO法人の方に声をかけられたりしたことが福祉事務所に行くきっかけとなり、その後の自立につながっています。

ちなみに、残りの2人の方はベトナムの方と盲目の方なので、NPO法人の専門から外れていたと考えられるので、困窮者の捕捉という意味で、これらのNPO法人は相当な貢献をしているといえるでしょう。

そして、インタビューを受けた皆さんが、NPO法人に対してとても感謝していて、自立後もNPO法人の宿泊施設を訪れており、ちゃんと「帰れる場所」になっていることが、隣接業界の人間として「いい仕事をしているんだなあ」とリスペクトするところです。

しかし一方で、これらNPO法人の活動は、弱者の弱みにつけ込んだ「貧困ビジネス」という呼ばれ方もしています。

簡易宿泊所に入ると、生活保護費から宿泊費や光熱費、食費を支払うと三万ほどしか残らず、就労への足場としては、交通費を捻出する余裕がないなど、課題も指摘されています。

この5人物語は美しい。しかし、ここに登場するNPO法人の功罪、そしてその裏にあるものに想いを巡らさなければ、本質的にこの冊子が問いかける問題定義に繋がらないのではないか、と僕は思います。そしてそれは単純に貧困ビジネスの是非を言及するのではなく、どうしてそういうことが起きてるのかについて考えることが重要だと思います。

さてこの実態、視点を引いて見るとNPO法人が福祉事務所のアウトリーチ部隊になっていたり、福祉事務所が提供できない宿泊先を斡旋するサービスなど、福祉事務所に欠けた機能を、福祉事務所が望んでいるかは置いておいて、民間が補完している、という構図が見えてきます。

そしてさらに俯瞰して見ると、生活保護制度が「他法他施策優先の法則」という、保護受給前にありとあらゆることをやった上で、それでも健康で文化的な最低限度の生活を営めないときにはじめて活用されるもの、という最後の最後に辿り着く、すべてを失わなければ受けることのできない社会保障であり、積極的に活用を促すタイプのものではない、という位置づけが行政内にあるということが見えてきます。

そして付け加えたいのは、福祉事務所単体でこの3名の方たちを救えたのか?という問いです。

インタビューに答えたベトナムの方の、映画のワンシーンのような回想には、以下のようなことが書かれています。

ホームレスになり川沿いの野球場のベンチで寝泊まりしている時に大洪水に遭い、レスキュー隊に救出された。身元を確認され、家がないことを伝えると、警察も消防もさっといなくなった。

この経済的困窮に対して非積極的な行政の体質が、日本の生活保護の補足率の低さ(日本は15.3%〜18%、ドイツ64.6%、フランス91.6%等リンク参照)になっているだろうことは間違いないし、皮肉を込めて言わせてもらえば、社会保障が破綻していないのは、この捕捉率の低さによるところが大きいような気がします。

整理して浮かび上がるのはこんな矛盾です。

①生活保護費はこれ以上増やしたくない。
②しかし国は国民の健康で文化的な最低限の生活保障を憲法で約束している。

これは生活保護を受給可能な経済状態でありながら、受給していない80%の方々の宙ぶらりんな状態の放置と直結している、社会保障のジレンマだと思います(80%の中には積極的に生活保護を受けたくない方もいる)。

この僕らが抱え込んでる矛盾を、いつまで先送りし続けるのか?し続けられるのか?

自民党は、この先送りの結論を、国はできる限り最低限の生活保障をせずに、可能な限り家族や自己の責任の中でなんとかして下さい、という形で②の解釈を厳格化して、①の問題を解決しようとしているように見えます。(労働インセンティブや積立型など期待できることもあります)

僕は、①をこれ以上増やすのはなんとか食い止めたいと考えている一人であり、それをMissionのひとつと考えていると立場表明をします。しかし②を蔑ろにすることはどこまでも避けたい、いや、しちゃいけないでしょ、とも考えています。

このような考えに立つと、この冊子の中に登場したような人たち、即ち生活保護から出て行く人たちを、生活保護の入る人よりも、いかに多く生み出せるか、という仕組みを開発するという難問に立ち向かわなければなりません。

その難問を解決する一つの策は、生活保護世帯の子供たちが、高校を卒業すると同時にみんなが就職をして、保護からキレイに抜けられる支援の強化です(ワーカーによる安易な就労プレッシャーによる“抜け”は一時的な抜けとなり元に戻るリスクが高い)。長く、就労支援してきた経験から、若ければ若いほど結果が出ることは明白であると言い切れます。高校生たちの成長と変化は爆発的だといえます。

この爆発が何を意味するか?

短期で結果が出るのでコストが安く済むということです。リターンを考えれば、その後の納税者人生の長さがあるでしょう。

何度か書いていますが、僕は生活保護世帯の子どもたちに、バイターンのような地域の中小企業と高校生をマッチングさせる仕組みを使ってアルバイトを開始させ、そこで発生する給料を就労認定せずに「自立準備控除」として積立て、卒業と同時にこの積立金を使って世帯分離を果たす、保護世帯高校生の積立型バイターンを提案しています。

在学中に、思いのある大人たちの中で働く喜び、お金を稼いで自由に使える喜びを知り、卒業と同時に保護から抜け自立できる仕組み。これはできると思います。

話を戻すと、低額宿泊所を運営し、貧困ビジネスと呼ばれているNPO法人などの活動を見ると、現状の福祉行政ではリーチできていない課題に対して、合法的にリーチした仕組みであり、行政サービスが開始されればなくなるか、委託事業化される類のサービス(恐らくこっち)であるといえます。

ただし、ここを推進してしまうと生活保護の捕捉率が上がってしまうという①の問題が浮上してしまいます。保護率を上げ、②を実現させるというユートピア的社会を目指すその前に、生活保護世帯の高校生たちの出口支援に真剣に取り組んでみてはどうだろうか。

これが2004年頃から『ヤングジョブスポット』をはじめ『若者自立塾』『若者サポートステーション』と脈々と若年者就労支援を委託事業として行い、国がある意味でNPO法人等に投資してきた成果として培われたノウハウによる社会的成果としての回収にもなるのではないだろうか。
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