2013年05月

ウォンツ学生とニーズ学生 〜ウォンツをニーズに変えるのは交流と対話〜

潜在的な購買欲求であるウォンツ(Wants)に対して、
テレビCM等、さまざまな広報展開から、
潜在欲求を顕在化させ、購買層にニーズ(Needs)を喚起させ、
店舗に足を運ばせたりポチッとしたり、購買行動を起こしてもらう。
これが日々脈々と行われているマーケティングです。

キャリア支援センターや、学生相談室を店舗として考えた場合、
店舗であるキャリア支援センター等に現れる学生は、
自分自身の必要としている支援を自覚している学生だけです。
僕は彼らを「ニーズ学生」と呼んでいます。

店舗=キャリア支援センターにはニーズを持った学生しか来ないのです。
キャリア支援センター

弊社で平成23年度に実施した「QOUL|大学生の生活満足度調査」によると、
大学のキャリア支援センターを積極的に活用している学生は5.4%
必要に応じて活用している学生は21.3%でした。
これはニーズ学生の数と言えるかもしれません。

一方、キャリア支援センターを活用したことのない学生は55.2%でした。
就活が本格化している4年に絞り込んでも31.3%が活用なしです。
彼らの中には以下のような状態であることが推測されます。

1. 自力で十分就活が出来ている。
2. 自分自身の支援の必要性を感じつつも行動に移すまでの動機がない。
 或いは受けても無駄だと思っている。
3. 自分自身に支援の必要性があるのに自覚していない。

この2と3の学生を、僕はキャリア支援センター等、
学内支援機関に現れない「ウォンツ学生」と呼んでいます。

ウォンツ学生は掲示板のポスターや、教職員の促しだけでは、
ウォンツがニーズに変わることはありません。
しかし、ここを変換する装置を大学が持たない限り、
どんなにいい相談員を配しても、
支援の必要な学生に出会うことのないまま、
就活もせずに進路未決定で卒業して行く学生が絶えないと思います。
(キャリセンに行けば結果がでるのかというのはまた別の議論ですが)

高校で相談業務をしていると、先生が生徒を連れて来た際に、
よくこんなことが起こります。

「別に困ってることなんかなにもないのに先生が行けと言うから来ただけ」
というふてくされた態度の生徒が、
数十分後には涙を流しながら自分のことを話している。

これは、先生は生徒の支援ニーズを感じとっているけど、
生徒は自分自身の支援ニーズを感じていながら、
「どうぜ大人に相談しても無駄」等の自暴自棄になっているよくあるパターン。

つまり生徒はウォンツな状態で連れて来られ、
それを相談員が噛み砕きながら課題を整理して話しているうちに、
支援ニーズが顕在化してきて涙が出た。ということだと思います。

この際の、生徒と相談員を繋いだのは先生です。
「うぜえな」とか言う生徒を“なだめすかす”という高度な対話技術を駆使して、
嫌がる生徒を、相談室まで連れて来てくれました。

狭い高校内ではこういうことはよくある光景ですが、
広大な大学ではどうでしょうか?
また、高校は担任という生徒の担当があることをも大きいかもしれません。

僕は、大学には先生でもない、相談員でもない、
学生と学内支援機関をつなぐコーディネーターが
必要なのではないかと考えています。

このヒントは、僕が高校の学校図書館ではじめた相談スタイルにあります。
なんの相談ニーズもなく図書館に本を読みに来た生徒に、
「あんた誰?」と言われて出会い、そこから意味のない駄話しという、
これまた高度な対話技術を駆使して関係構築していく。

こうして関係構築した生徒の中から、支援ニーズを見つけ、
一緒に進路指導室に求人票を見に行ったり、
担任の先生を交えて相談することになったりしています。

僕はこれを交流型アウトリーチ相談と呼んでいます。
大学のキャンパスや学食やカフェに何気なくいる大人(怪しい!)。
この学生でも教職員でも相談員でもないような相談員が、
キャンパス内で学生と対話でつながり、
そこから学内外の支援機関にリファーしていく。

そんな新しい大学内支援をシェアするココロは模索しています。
ご興味ある大学関係者の方はご連絡ください。

「QOUL|大学生の生活満足度調査」のアンケート結果は、
こちらから無料ダウンロードが可能です。
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「ズレ」〜大学生についてのアンケート調査を2年間実施させて頂いた経験と調査結果の個人的に総括。

本日Twitterに連続投稿したもの少し整理してFacebookにアップします。

弊社が実施した、現在、大卒後に無業状態で支援機関を利用している若者を対象に行なったアンケート
『QOUL|大学生の生活満足度調査』(n260)では、25.4%の方が中退経験者でした。

中退時期を問う質問では、以下のように1年がもっとも多いという結果がでました。
1年31.8% 2年24.2% 3年13.6% 4年19.7%

これまで担任の指示に従い、クラスの流れに身を任せておけばよかったのに、急に大人扱いされて「主体性」を問われ、戸惑う新入生という姿が想像できるでしょう。高校から大学への変化を「破壊的変化」と言っている専門家の方もいますが、入学と同時に孤立し、この変化を超えれず中退を選択する人が多いのだろうと思います。大学1年次は非常にリスクの高くケアの必要な時期だと言えます。

大卒無業者となった彼らが在学中に感じていた孤立感については、以下のような結果が出ています。
とても頻繁に感じた20.8% 比較的頻繁に感じた18.1% 時々25.0%

そしてその孤独の強さが以下の結果。
非常強い孤立20.8% やや強い28.5% 少しの孤立38.5% 

程度の差はあるものの、大卒後に無業者になった若者は、学生時代に87.7%の方が少なからず孤立を感じていたことになります。この孤立というのは「他者と何らかの群を形成せずに、単独の状態にあって他者とのつながりや助けのない状態にあること(Wiki)」です。大学という集団の中の孤立が、非常に強い孤立やとても強い孤立を生むのだと思います。

参考までに、23年度に実施した現役大学生1,459名に対するどう調査の同質問では、とても感じるろ回答した方が4%いました。これを24年度学校調査の大学生総数の2,560,909人から割り出すと、実に10万人の学生が強い孤立感を持っていることになります。やや感じると回答した14%を足すと、46万人の大学生は少なからず孤立を感じていることになります。

大学生の自殺者が氷山の一角だとしたら、海面に沈んだ大きな塊が46万人の大学生なのではないでしょうか?

大学生についてのアンケート調査を2年間実施させて頂きました。この経験と、調査結果を個人的に総括させてもらうと「ズレ」という言葉に集約されると思います。


それは、「大学生は大学内の大人に頼っていないし、大学は大学外にある社会的リソースを頼りにしていない」というズレと、キャリア支援センターの方々が「来てさえくれれば」と言っていることと、学生から聴こえてくる「声を掛けて欲しい」ということのズレです。

とにかくすれ違っています。いや、ズレまくっているという印象を受けます。このズレが学生の声にならない悲鳴=微弱なSOSとなって様々なデータから聴こえて来ます。以下から無料ダウンロードが出来ますので、皆さんも是非データを手に取り、大学生、若者の自立について考えるきっかけとして下さい。

http://qoul.net/kekka.php

生活保護世帯の人的資本形成支援について。

<生活保護受給者>「冠婚葬祭出ず」7割…民医連調査

調査担当者は「受給者は『もらいすぎ』『不正受給ばかり』などとバッシングされるが、健康で文化的な最低限度の生活ができているとは言い難い。経済的困窮が人的交流の貧しさにつながっている」と話している。


このニュースを読んで、
経済的困窮が人的交流の貧しさを生むのか、
人的交流が乏しいから経済的困窮に陥いるのか、
ひょっとして後者なんじゃないかな、というようなことを考えました。

まあ、これはどちらもあるんだと思います。
どちらもあるんだけど、経済的支援、例えば交友費を上げれば、
人間関係が形成されるのかといえば、そんなに簡単なことえはないと思うんです。

生活保護受給者の方の中には、人間関係を構築できないことが就労を困難にさせたり、
地域や親戚から疎遠になったことで孤立し、
そこから困窮状態に陥った方々が一定層いるように思います。

このような方々には、現状の経済的支援をしつつ、
人と人を結びつける人的資本形成支援というものが必要になるでしょう。
生活保護のような現金支給の経済的支援には限界がありますので、
この人的資本形成支援について、具体策を考えてみてはどうだろうと思うのです。

言ってみればこれは生活保護の出口支援です。
職業に就くための就労支援と、
支え合える仲間や、地域との繋がりを作る人的資本形成支援は、
セットで行われるべきものでしょう。

プライバシー保護の問題等、いろいろと障壁にありそうですが、
考え続けたいテーマだと思います。




さよならアスペルガー〜僕らが今語らなければいけないこと〜

アスペルガー症候群がなくなるというニュースが話題になっていますね。
同業のドーナツトークの田中俊英さんの記事などが、
ヤフー個人ブログのアクセスランキング1位という快挙で凄いことになってます。

なんとなく、モヤモヤと受け止めたこのニュースについて書いてみたいと思います。

まず大前提として、
アスペルガーがなくなっても、その特性(個性)を持つ方がいなくなるわけではないですし、
その特性故の生きづらさが解消するわけではありません。


ではアスペルガーが何からなくなるのかというと、
DSMという診断基準からカテゴリーがなくなるということです。
こちらの社会学者の方のブログ記事によると、今後は
診断されたいか否かは別にして
「社会コミュニケーション障害」という診断名が用意されている。

ということらしいですが、今後どうなっていくのでしょうか。

ていうか、だからなんなのでしょうか?
僕自身のモヤモヤを一言で表現するならこれ、「で?」

僕自身と発達障害やその当事者の方々との関係は、
本を読んだり、勉強会に出るなどの学習経験と支援経験がありますが、
専門家でも詳しいわけでもないです。

発達障害の方の支援の過程で、自己理解を深めていただいたり、
手帳の取得等、医療や福祉との関わりを考えたり、
僕自身やご家族の共感性を高めるために知識があった方がスムースなので、
一応勉強はしているという感じです。

支援の現場では、アスペだろうがなんだろうが、
結局目の前の個人でしかないので、
詳しくなる意味を支援者として感じないんですよね。
理解することはスタートにはなるけど、ゴールにはならないんです。

それは現状の社会福祉制度が、
他者との関係の中で就労をしなければ生きていけないようになっているので、
手帳や診断名を取得しても、
それはゴールではなく“何らか”の就労に向けたスタートでしかないということです。

この“何らか”の就労を、いかに多様に創れるかが支援のキモですし、
私たちが今語らなければならないことであり、目指さなければならないことです。
しかし、DSMをはじめ、医療的アプローチと就労的アプローチと全然リンクしていない。
だから「で?」なのです。

しかし、自分自身が何者なのかもわからず、
ただ闇雲に他者と自分との関係に違和感を持ち、苦悩し続け、
スタートラインにすら立てずに苦しんでいる方々にとっては、
診断名やカテゴライズが自己理解を進め、
周辺が協力的になるためには、どうでもいいことではありません。

そういった意味で、田中さんが書いているように、
(アスペが)せっかく市民権を得たのに勿体ないというのには同意見です。
せっかく引かれたスタートラインが消されたような感覚です。

今回、この話題の盛り上がりで思い出したのは、若者自立塾が廃止された時、
皮肉にも自立塾がもっともスポットの当たる機会となり、
宿泊型の支援の必要性が真剣に議論されたいい機会になったということ。

同様にアスペルガーについても、ホットな話題になっている今、
アスペのような個性を持つ彼らが何に向かったスタートラインに立ち、
何をゴールとして行くことが彼らの幸せであり、
そのゴールの多様さを社会が持つことが即ち社会的包摂だとうこと。
そういう議論を積極的にするべきだと思います。

40代以上の無業者&ひきこもりの方の4つの自立モデルについて。

前回の「40歳以上のまとまった職業経験がない方々がいることを社会は前提としていない。
〜失業者支援と無業者支援について〜」
が、以外と反響がありました。

この話は、過去記事の「ひきこもり ~みんなが知ってる隠しごと~
と、僕の中では繋がっていますんで、是非未読の方はお読み下さい。

わかっちゃいるけど、どうしようもないこととして、
臭いものに蓋をし続けてきた僕らだけど、やっぱここらでしっかり考えようよ、
という問題定義を、反省もしつつしているつもりです。

しかし、前回の尻切れ蜻蛉的エンディングでおわかりのように、
僕にも決定打があるわけではないですし、
試行錯誤はあるものの、これといったエポックメイキングなものは生まれていません。

まだまだ情報やデータがあまりにも不足し判断材料がないので、
まずは実態調査からという意見もあります。

僕が約10年以上前に30代後半の方の相談を受けており、
その方々の大半がまだ支援に繋がっていないと思われることと、
自殺と同じで、相談に現れるケースは氷山の一角だということを考えると、
深刻な自体になっていることは疑う余地がありません。

前回のエントリー後のSNSでのディスカッションで、
以下のゴールイメージが持てましたので、
ここで書きながら、あらためて整理してみたいと思います。
40代以降の無業者の方々の自立モデルとして考えられるものは、
以下の4パターンだと思います(④自立でも解決でもありませんが…)。

①親の資産系
②生活保護系
③就労系
④その他


①親の資産系
これは、親の資産を現金化して生活を繋ぐ方法です。
前回も紹介した斉藤環さんの「ひきこもりのライフプラン」がこれです。
しかし、一体こういうことが出来る人、資産持ちがどれぐらいいるのでしょう?
また、責任を世帯に帰結してしまっていいのか、という意見もあります。
いずれにしろ少数派なのではないでしょうか。

②生活保護系
親の資産に頼れない方が行き着くのが生活保護になるでしょう。
ただし、社会情勢的には“締め付け”になっているので、
長期間社会と隔絶して生きてきたひきこもりの方が自力で受給するのは至難の業でしょう。
また、生保はすべての財産を失って一文無しにならないと受給できないので、
売れる家や資産価値のあるものを所有していては受給できません。

ひょっとすると①で得た財産を使い切った後に、②になるケースもあるかもしれません。
しかし、簡単な手続きではありません。
生活保護運用の規定の変更等がなければ、ハードルはかなり高いのではないでしょうか?

③就労系
②の方が増加すると国の財政を圧迫するので、できるだけ社会保障を受ける側から、
支える側に回ってもらえるルートを作るべきだと誰もが考えるでしょう。
僕は福祉的就労から一般的就労への中間的就労モデルを当てはめて考えてますが、
そもそもの議論の足場として、雇用を創出しなければなりません。

40代以上で社会経験のほぼない方が出来る仕事で、
しかも雇用してくれる企業があるのでしょうか?

この出口を設定できないことが「先送り」の最大の原因と言ってもよいでしょう。
考え方としては②で保障を受け続けるよりは、
ここに社会的投資をした方が結果的には得をするという考え方です。

しかも勝算を持てるソリューションが求められますので、
モデル事業から始まり、
雇用助成金等、受入れ企業のメリットを最大限作らなければならないでしょう。

話が一足飛びになってしまっていますが、彼らと支援者がどう出会うのか?
そしてどのような場所=支援機関に出てきてもらうのか?(出なきゃダメなのかも含め)
福祉的な就労に付く前の体力の回復や、対人関係のトレーニングを誰が担うのか?

やはり③のイメージを考えれば考えるほど気が遠くなります…。
気が遠くなった意識の中で藁をもすがる気持ちで考えると①になり、
資産がなければ②を発想するでしょう。そうやって③が考えられないまま来ているんですよね。
しっかり向き合うと、なぜ先送りされてきたのかが見えてきます。

④その他
今回のSNSでは出て来なかった意見で、僕も翌日の朝、布団の中で考え暗い気持ちになり、
前回のつづきのブログを書かなくては思ったのがこの④のその他です。

その他には「自殺」や「心中」、「孤独死」が入るでしょう。

①〜③という解決策になんの望みもなければ、④を考えるでしょうし、そうなると思います。
そして、今がその“なんの望みもない"状態なのです。

議論をはじめましょう。社会問題化しましょう。
議論には博打のような望みがあります。

でも恐らく望みを感じるであろう多くの当事者の方は、
②へのスムーズな接続に望みをかけるのではないでしょうか。
酷かもしれないけど、僕が望む議論はやっぱり③への接続を議論し考えたいのです。

ここがこの仕事をしていて凄い難しいところなんだけど。
③の方が幸せじゃんて思うんですよね、僕は。
でもこれって僕の価値観の押し付けでもあるんですよね(ですかね?と…)。


結局、前回同様、ここまで書いておいて、
これかよ的な落としどころのないエントリーになってしまいました。

でもまた、これに対する意見やお叱りが次に繋がるんだと思うんです。
最近良く使うメタファーですが、最初のドミノを誰が倒すか。

でも今、誰かが押してもパタパタとは倒れないと思います。
それは社会的なコンセンサスが得られていないからです。
まず議論を始め、コンセンサスを作りましょう。

前回のエントリーで、NPO法人育て上げネットの工藤理事長が言っていて名言だと思ったのは、
「ソリューションなき制度化は混乱を生むだけ」まさに。
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