2013年03月

『バラカン・ビート』でバースデー・リクエストをかけてもらった。



今日は44歳のバースデーでした。
まさか。自分がこんな歳を取るなんて想像もしていませんでした。

たくさんのメッセージをFBでいただきましたが、
こんなにたくさんの方に祝福されたバースデーは初めてで、
43歳という1年の充実を噛み締めることができました。

メッセージをくれた皆さん、ありがとう!

特になんのイベントもない一日で、
そんな日には、のんびり曲作りと、
お気に入りのブルースのCDに合わせてスライドギターの練習を
交互にするのが僕の楽しみなのですが、
今日は日曜日、僕のバースデーが、
大好きなInter FMのラジオ番組『バラカン・ビート』のオンエアの日と被ってます。

誕生日だからリクエストをかけてもらえるかもしれないと思い、
ピーターさんに以下のメールを出してみました。

ピーター

ピーターさん、こんにちは。

今日は僕の44歳の誕生日です。

Bobby Charlesの「Small Town Talk」を是非かけて下さい。

そして英語のわからない僕に、どんな内容の歌詞なのか、

ちょっとだけでいいです,教えて下さい。

いしい まさひろ


今日はリクエストの多い1日だったようですが、
メールを出してから2曲ぐらいでピーターさんに読まれました!
名前を呼ばれたときには感激で飛び上がってしまいました。

リクエストをしたことを知っていた息子もやって来て、
二人で感激して、ピーターさんのトークを聞いていました。

「Small Town Talk」の歌詞についてもちゃんと説明してくれて、
最後には「石井正宏さんのリクエストで名曲中の名曲 Small Town Talk」
と言ってくれました。
そしてなんと、曲が終了後、
「石井正宏さんは44歳になりましたが、ニック・ロウも今日が誕生日だそうです」
と、なんとニック・ロウと同じ誕生日だということもわかりましたw

DJとリスナーの21世紀のコミュニケーションは、
番組HPのメールから始まりましたが、
ラジオでリクエストがかかるのは生まれて初めてです。
(実はリクエストは、同番組へ2回目)

4月から『バラカン・ビート』は,
元の朝の時間の『バラカン・モーニング』に移動になりますが、
僕の長い通勤時間の楽しみになるでしょう。
そして、僕の44歳、25年度のエネルギーとなってくれること間違いなしです。

今日、ある方のメッセージで気付きましたが、
僕は桜の咲く季節に生まれたんですね。

改めて、お母さん、僕を生んでくれてありがとう。
若いあなたが生まれたばかりの僕を抱き、
桜を見上げている姿を想像しました。

さて、44歳。
この間のインフルエンザで健康の有り難みと、
体力が落ちていることを痛感したばかり。
高望みせず、基礎体力作りを心がける1年にしていきたいです。

皆さん、よろしくお願いします!
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就活スイッチの入らない「就活しない系大学生」〜後編〜

昨日エントリーした
「就活スイッチ」の入らない「就活しない系大学生」たちの反響が予想以上に大きい。

その反響の大半は以下のような、現在の就活の狂気に対する共感な気がしている。
ある種、魔法がかからなかった真っ当な人たちといえるのではないだろうか?
「就活しない系大学生」の就活しない理由は「防衛」だといえないだろうか。

一部、「なにいってやがんだ」的な反応もあったけど、
それは「1〜5社も、就活したうちに入らないだろう、という考え方をすると」
という僕の発言に対するものだった。
これ、うちのスタッフからも暴言だと言われちゃったんだけど(苦笑)。
僕としては、リクルートさんの以下のデータが頭にあって。
リクルート

一般的にいうと、大学生の就活といえば、みんな60社ぐらい受けているわけで。
そこと比べて「1〜5社を就活したうちに入らない」はダメなのかなあ。
いや、甘いとかそういうことが言いたいわけではなく、
結局は就活しなかった人と同様、
就活に消極的な背景に「防衛」があるのではないかと思うわけです。

特に一社も受けなかった人と比べ、
就活スイッチを入れて一社受けてみて、
「やっぱ狂ってる」と思った人たちなんじゃないかと思うわけです。
図28

こっちのアンケート結果的には「あまり行わなかった」20.4%の人たちや、
「どちらとも言えない」「少しは行った」にチェックをした人たちだろう。
いずれにしろ大卒無業者になった86.9%の人たちは積極的には就活をしていない。

これは、今日友人がfacebookでたまたま紹介しいてた『就活狂想曲』。


就活の時期になるとみんな急に「就活スイッチ」が入り、
それに乗り遅れた女子大生が違和感を覚えながら、
なんとか就活に食らいつこうという姿を描いたアニメーション。
NPO法人POSSEの調査では7人に1人が「就活うつ」になるというデータもあるが、
就活というドラスティックな変化に馴染めず、就活うつになるのは想像がつく。

僕がこの業界で仕事をはじめて15年近くになり、
多くの就活しない系大学生と出会って来たなかで感じてる印象は「優しすぎる」だ。
他人を蹴落としてまで自分が何かになろうなんてことは考えられない人たちだ。
就活戦線というサバイバルな状況下では、その優しさが弱さに転じてしまう。

こんな就活をいつまで続けるんだろう。
最初にゲームから降りたのが大卒無業者になった彼らだったのではないか?

23年度のアンケート実施時にエントリーした今回の記事と地続きのブログ。
「防衛的先送り」をする大学生たち

就活スイッチの入らない「就活しない系大学生」〜前編〜

平成24年度,大学を卒業した56万人の大学生のうち、
12万8千人は、非正規雇用に就いたとされ、
8万6千人が進路未決定で、
そのうち3万3千人は、進学も就職の準備もしていないニートだという。

12万8千人+8万6千人=21万4千人の大学生の中に、
就職活動をしなかった「就活しない系大学生」がどれぐらいいたのだろうか?
というのが目下の僕の関心事のひとつである。

下のデータは、株式会社シェアするココロが実施した
サポステを利用している大卒無業者へのアンケート結果である。
※今月中にウェブサイトにて報告書をアップ予定(http://qoul.net/)
QOUL
恐らく1〜5社も、就活したうちに入らないだろう、という考え方をすると、
現在、サポステを利用している大卒無業者の方の68.5%の方は、
就活をしていないことになる(実際就活サイトからエントリーしただけという確率は相当高い)。
僕は彼らを「就活しない系大学生」と呼んでいる。

彼らは、キャリア支援センターを「”自分なんかが”行く場所ではない」と自嘲を込めて言う。
彼ら的には、あそこは「就活スイッチ」の入った連中の行く場所で、
自分なんかが行って、余計な待ち時間を作ったら申し訳ないという。

自分たちを客観的に大学の落ちこぼれとして認識しているんですよね。
ただ、「就活スイッチ」を「ON」にしてしまって、
当たって砕けろ作戦を実行したら、自分がぶっ壊れるってことを、
実は一番自分が理解しているようなところがある。

ある種、魔法がかからなかった真っ当な人たちといえるのではないだろうか?

くどいようだが、20〜24歳の死亡理由の半分は自殺である。
魔法がかかって、リクルートスーツを着た戦士となった若者が、
当たってくだけろ作戦で玉砕されている。
そしてそれは氷山の一角であり、亡くなられた方々の足下には、
自殺はしないが自殺年虜を抱えた若者が五万といる…。

「就活しない系大学生」の就活しない理由は「防衛」だといえないだろうか。
この狂った戦いに加わる気がしない。
どうしても「就活スイッチ」が入らない。
その背中を押し切れない保護者がその背後にいる。

なんかまともな気がしてしまうのは僕だけだろうか?

鉄則!企画書は「1枚」にまとめよ(まとめ)

鉄則!企画書は「1枚」にまとめよ The One-Page Proposal
パトリック・G・ライリー著を読んだ。

正直、この1枚で企画が動き出すことがあっても、
現場を動かすことはできないだろうと思ったが、
企画が通り、予算を獲得しなければ現場は動かせない。
よって、こういうキーパーソンの心を動かす企画書は大変重要である。

以下に、企画書の核となる8つのパートをまとめておく。

1.タイトル
1ページ企画書がもっと長いビジネスプランをインパクトや明瞭性、意図を薄めることなく紙1枚に圧縮したものだとすれば、タイトルは1ページ企画書をワンフレーズに圧縮したものだ。企画書を渡された相手は、少なくともタイトルだけは読んでくれる。だから、企画書を言い表す魅力的なタイトルをつけなくてはならない。

2.サブタイトル
タイトルの言葉を受け、そこに色彩を加え、情報や説明を補足する。タイトルがシンプルなふれーずであるのに対し、サブタイトルはむちょっと詳しい説明になる。タイトルを観て疑念が残っていても、多分サブタイトルまでは読んでくれる。ここで読み手の心をがっちりつかんで、先を読まさなくてはならない。

3.目的
「企画意図」と読み換えてもいい。その企画がなにを目指しているのかを簡潔に説明する。「なにをしたいんだ?」「この企画が通ったら、どうなるんだ?」という疑問に答えるのがこのパートだ。

4.サブ目的
どんなプロジェクトでも、目的はひとつだけではないだろう。副次的な目的は、それ単体で企画を動かす魅力はなくても、中心的な目的を補完し、企画のメリットを大きくすることにより、企画書の説得力を高める効果がある。

5.理由
1〜3個のパラグラフで,そのプロジェクトを推進すべき理由とそれが実行可能である理由をすべて語る。リサーチした情報の多くはここに書き込む。読み手の疑問を先取りして、企画の妥当性を主張しなくてはならない。しっかり準備していると相手に印象づけ、あなたの熱い思いをアピールしよう。

6.予算
コストや売り上げ予測などの数字を扱う項目。企画書を読ませる相手に資金を拠出させる要請をするわけでなくても、資金面の状況については頭に入れておいてもらう必要がある。あなたの企画を後押ししたり,誰か力になってくれる人物を紹介するには、財部面を把握しておきたいはずだから。

7.現状
今の状況はどうなっているのか? これまで何が行われ、企画のどの要素がすでに実現し、誰に話が持っていかれ、既に合意に達したものはあるのか? これらの疑問に前もって答えるのがこの項目の目的。企画書を提出する日の時点で企画がどういう状況にあるのかを正確に説明する。

8.要望
「それでどうしてほしいの?」という読み手の問いに答えるのがこの項目。1ぺ−じ企画書でこれまで書いてきたことはすべて、このワンセンテンスの準備と言ってもいい。誰かに推薦してほしい、投資をしてほしい、資金を融資してほしい、プロジェクトに参加してほしいなど、相手に要求する行動を具体的に書こう。

9.日付と署名
企画の最後に、日付と署名を記す。


これは,自分自身のアイデアを社内で共有する際にも使えるものだと思うし、
様々な場面で,自分自身の置かれている現状把握と未来予測に役立つものだと思う。
最後に、とても印象的な言葉を紹介して終わりにしよう。

知っていることを漏れなくリストアップできてはじめて、もう一つのもっと大事なリスト、すなわち知らないことのリストを完璧につくれるからだ。自分がなにをどの程度知らないかを知ることは、リサーチの出発点だ。『企画書は「1枚」にまとめよ』パトリックGライリーより。
posted at 09:47:18





学校は、いつまで生徒を伝書鳩にしたコミュニケーションを続けるのか?

残念ながら、長女と次女にインフルエンザをうつしてしまった。
僕は今日が仕事復帰だったが、まだ感染させてしまう恐れがある時期なので、
在宅ワークでのスタートとなった。

午後、呼び鈴が鳴ったのでインターホンを出ると、
可愛らしい女の子の声で、次女の連絡帳を持って来たと言う。

お礼を言って受け取り、中身を確認すると、
妻の字で、カクカクシカジカのため休みますとあり、
先生の字で、お大事にと、他愛のないやり取りがある。

情報の重要度にあまり関係なく、
先生たちは「お家の人に渡して下さい」と子どもに情報を託す。

だんだんと子どもが成長し、知恵がついてくると、
自分の身に危険が及びそうだぞ、という情報はすべてどこかに廃棄されるか、
或いは「後だし」、または「ギリギリ」となる。
僕はテストも捨ててたなあw

うちの子たちは完全に忘れてることが多いみたいだけど、
これは当然のことだろうと、僕なんかは笑っちゃう。

こんな情報伝達の仕方を大昔から変えずにやってて、
「近頃の保護者は無関心で、保護者会の集まりが悪いんですよねえ」と言っている。

昔と比べて、どれだけ専業主婦が減ったのか?
しかも高校は学区がなくなれば、学校まで1時間かかるなんて家もある。
そのうえ、開催は平日昼間。
おまけに開催を知るのがギリギリか終わってから…。

無関心な親も多いのは事実だと思う。
でも、それだけで片付けるのではなく、
学校側も運営努力ということができることはあるのではないか?

ずっと思っているんだけど、
とりあえず生徒を使った伝書鳩方式をやめにしませんか?
メーリングリストでいいじゃないですか。
※一部、警戒情報のようなものが業者を経由して回るようになって来てるあれの有効活用で十分。

例えば高校。いつか、定時制の教師に、僕はこんな質問をした。
「もしも、保護者ともっと密にコミュ二ケーションが取れたら中退は減らせると思いますか?」
その教員は、迷うことなく「はい」と言った。
これは即ち,教師と保護者の間にコミュニケーション・ロスが生じているということ。

そのロスが日本の社会保障を揺るがすボディブローになっている。

ただこれをすると、教師のコミュニケーション・コストを生むだろう。

しかし、この保護者と生徒についてコミュニケーションを取る時間と、
文科省や教育委員会から求められている書類の作成の時間と、
どちらのプライオロティを国民は上にするべきだと考えるだろうか?

間違いなく保護者だ(のはずだ)。
教師はもっと教師らしい仕事に時間を奪われているべきだと誰もが感じている。

若者のロールモデルになる大人がいない、今という時代というのは、
同時に、その若者の親も、親としてのロールモデルを見失い、
迷いながらの子育てをしているということなのだから、
教師と一心同体となり,子どもを育てたいと願っている親は多いだろう。

まあ、実際に40人学級でどうなるのか、
何の試算もしないで書いているので無責任なんだけど、
今度、もっとしっかり時間とってシステムについても考えてみたいと思う。

インフルエンザでぶっ倒れていました。

インフルエンザで火曜から毎日39℃近い発熱が寝込んでました。
はじめて罹りましたが、ホント、しんどいですね…。
体重計に乗ってみたら3キロも痩せてました。

病気の間は、考えはまとまらないし、思考がネガティブになりがちで、
会社にまつわる様々なことや、
プライヴェートのことをネガティブに考えてしまうのが辛かったです。

ホスピタリティ溢れる小学生の次女が、僕の枕元にベルを置いてくれ、
何かあったらこれで呼んでね、と言ってくれました。

ある時、ベルを鳴らすと息子がパッとやって来てくれました。
どうやら息子しかいなかったわけですが、
腰の重い「立ってる者は親でも使え」が信条のような息子のスピード感には、
驚きとともに感動がありました。

またある時、ベルを鳴らすと、
今度は次女が嬉しそうにやって来て僕にこう言いました。
「ハ〜イ、アイアム◯◯(次女の名前)何かご用?」とポーズを取りました。
可愛いやつだなあと、何かを頼んだ後にふと思いました。

こいつが小5でまだ可愛いくて、俺がまだ動けるからいいけど、
30年後、俺が寝たきりでベルを鳴らし、
やって来たのが嫁に行かない、中年になった次女が面倒くさそうに現れたら…。

俺は今日のことを思い出すのだろうか…。

そんな、もっとも想像したくなかった、一度も想像もしたことないことを想像し、
それが世間一般の少子高齢化+未婚化が進む中では、
実はそんなに珍しくないことだろうなあ、という事実。

みたいなことが、なんか僕をブルーにさせました。

そして、長女にもインフルエンザをうつしてしまって、
彼女のぴんぴんした感じが衝撃的でした。

同じB型でしょ?

これには、残りのビジネスマンとしての20年を、
これでは駆け抜けることができないぞと、自分の体力の衰えを痛感しました。

この機会で減った3キロをキープすることを目標に、
毎日、体力作りに邁進していきたいと思います。

3.11

1

今日は在宅ワークをしていた。

3.11のPm2:46
僕は次年度の自社の計画に没頭し、
黙祷を忘れてしまった。

頭の中にはずっと、
今日が3.11であり、
その時間は黙祷を捧げようとは考えていた。

自分自身は横浜パーソナル・サポートサービスのある、
11階で船揺れのような揺れを経験し帰宅難民となった。

実は3月12日に山形の祖母の3回忌に次女と参列しようと、
民宿の予約もしていたので、
一日ズレていたら僕も次女と東北にいたのだ。

そんな他人事ではない僕も、
自分自身がこの先をどう生きて行くかで頭がいっぱいで、
Pm2:46をスルーしてしまった。

正直、過去を追悼する余裕が僕にはなかった。

きっと、被害の規模とかは関係なく、
それよりも、今の僕自身の余裕だろう。
その時僕は弊社スタッフ全員とスカイプでつながっていたので、
弊社スタッフも、恐らく全員黙祷をしていない。

いや、できなかった。
それほど“今に”集中してしまっていた。

一分にも満たない黙祷の時間を、
被災された皆さんのために捧げることで、
自分たちには何の影響もないだろう。

しかし忘れた。

人は同じ過ちを繰り返すという。
3.11の被害も、過去の津波の教訓を忘れていたことにある。

僕らは精一杯今を生きることと、
それでも大変なのかもしれないという未来への不安で
いっぱいいっぱいで、
過去を鎮魂し、教訓化する余裕がないのかもしれない。

単純に、自分の身内が死ななかったという、
他人事のなせることなのかもしれない。

それにしても忘れていた自分に自己嫌悪なう。

なんにもない日なんてない

なんにも書きたくない日は実はある。
なんにも出てこない日も実はある。
それでも毎日書いていると、
「なんにもない日なんてない」んだと思うようになる。

「何気ない今日をありがとう」

そんなキャッチコピーを僕らは目にする。
平穏な一日への感謝を、
では「誰(なに)にありがとうなのか?」と思考を一歩進め、
その思いを行動に変えること。

そういうことが大事な気がする。
ツイートして終わりでは駄目なんだよ、
その愚痴や不満や希望なんかを行動に変えないと。

ときどき、
驚くほど丁寧なお礼状やメールが
会社届くことがあるんだけど。

感謝を一歩押し進め、
行動に変えると、例えばこういうことになるんだろう。

「あなたが無駄にすごした今日1日は
 昨日死んだ人が生きたいと切実に願った1日」


なんて心に刺さる名言もある。

日々を噛み締めて生きていこう。
3.11を前に、新たにこのブログにそういう意味を加えようと思う。

困難を抱えるお子さんを持つ保護者の前で僕が緊張する理由。

困難を抱えるお子さんを持つ、
保護者のためのセミナーの講師を務めてきた。

僕は誰も信じてくれないが人見知りで、
とても緊張するタイプなんだけど、
中でも特に保護者セミナーと保護者の相談がとりわけ緊張する。

とんでもない状況を子どもと過ごしているのかもしれないので、
ジョークを入れて和ますことがいいことなのか?
今日も保護者同士のワークショプは、嫌がられないか緊張した。

そんな緊張感が、常に自分の中ではこの2つの仕事にある。

自分も子どもを持つ親として、
どこにも逃げられない抜き差しならなさを感じるのだ。

そしてどこかに、
自分の話を聴いたって、何も変わらないのではないか?
という現場主義の自分が、
どこかで講師という自分を嘲っているような気もする。

自分を鼓舞する思いはただひとつ。

保護者が僕ら支援者のチームに入ってもらえなければ、
或いは逆に、僕ら支援者を家族というチームに加えてもらえなければ、
僕らのMissionを達成する可能性はぐっと下がる。

だから保護者へのエンパワメントは重要なことなのだ。

僕は訪問販売という仕事をしていた時期がある。
(昨日も昔話しだったなあ…。年を取るというのはこういうことか?)

高額の商品を訪問し、欲しくもない商品を欲しくさせ、
買ってもらう、それが訪問販売。

そんなものもが売れるはずがないと誰もが思う。
しかしそれが売れる。しかも僕はトップセールスマンだった。
今ならもっと売る自身がある(笑)

訪問販売には、
一定期間、説明不要で無条件で申込みの撤回または契約を解除できるクーリングオフがある。

これは何か?

買った時にかかった魔法が解けたのだ。

僕も何度かクーリングオフをもらったことがある。
商品を引き取りに行くときの無念さは、
別れた女の部屋に荷物を取りに行くような気分だ(そんなことはしたことないけど)。

話が脱線しそうなので元に戻そう。

保護者セミナーは、
エンパワメントというある種の魔法をかけるイニシエーションかもしれない。

キャリアのある支援者の成功事例を聞いていると、
何か自分の家族の問題も解決しそうな気がし、
これまで先送りしてきた問題に向かい合おうと思う、
という気持ちになる。

しかし、クーリングオフという稀有な経験を持つ僕が想像するに、
家の玄関をくぐり、靴を脱ぎ、荷物を置き、
リビングのソファーに体を預けた瞬間に魔法は解けているだろう。

それではこのMissionは成立しない。

そのためには支援者と離れていても
保護者の皆さんにエンパワメントし続ける仕組みが必要だ。

そんなことを思うと、
今、保護者の前に立つ自分が、今果たすべき役割が何か、
そんなことを考えれば、緊張しないわけがないのだ。

『月給制の壁 』〜移動できない日払い労働者たち〜

俺は27歳までフリーターだった。

ライフラインが料金未納で全滅し、
バイトしてた横田基地沿いのガソリンスタンドに、
当時の彼女(今のワイフ)と水を汲みに行ったり、
ある時はガスが止まってダルマストーブの上でお湯を沸かしたり…。

今思えば、とんでもなくワイルドな生活をしていた。
それにしては、不思議と食えなくて腹を空かしていたという記憶が全然ない。

考えてみれば、俺はそんなにグルメじゃないから、
一食抜いてでもレコード1枚買いたいガリガリの若造だった。

そういえば俺も日払いのバイトで食いつないでいたなあ、
と思い出す話を今日聞いた。

人は、今の境遇や地位から移動できないとどうなるか?

努力をしなくなるのだ。
いや、努力ができなくなると言った方が適切だろう。

今日、俺に話を聞かせてくれた方は、
「負け癖がつく」という言い方をしていた。

日払い派遣で食いつないでいる若者たちが、
日払い派遣から抜けられない理由はいくつかあるだろう。

その一つが『月給制の壁』だという。

その日暮らしで所持金数万、或いは数千円の状態から、
月給制の会社(バイト)に務めた場合、
最大で30~45日間給料が入らないことになる。

これを考えると、月給制の仕事に移行することができない。

なるほど、そういえば俺もそうだったような気がする。

途中で金が尽きて、キャッシングに手を出してたりして、
結局そのバイトもケンカしてクビになってドツボにハマった…。

そして、俺にはギターのローンが常に付きまとってたから大変だった。

今は、いいことか悪いことか、
俺の時よりお金は借りにくくなっているようだ。

専門性があれば低スキルの仕事に滞留する必要はなくなると、
識者皆さんは言うが、月給制の壁が立ち塞がる以上、
その専門性を獲得をすることはできない。

求職者支援訓練も、
ひと月の出席状況に応じて支払われる仕組みである点と、
そもそも独り暮らしの日払い労働者は、
10万円の生活給付では、仕事を辞めてトライすることはできない。

税金に対して大変失礼であるが、
そんなものじゃ、彼らのインセンティブにはならないのだ。

前払い制の生活給付がなければ、
或いは、給料前払いの仕事がなければ、
彼らは日払い派遣から抜けることはできない。

そんな働き方をしている労働者の平均年齢が30代だという。

そんな移動不可能な若者が、
いったいどれだけこの国にいるのだろう?

そして、そんな彼らもいつか、さらに安い外国人労働者に仕事を奪われてしまうのか…。

気が重くなる話だったが、
これがこの国のリアルだ。

これが何を意味しているか皆さんおわかりだろうか?

もはや就労支援だけでは支援にはならないということだ。

俺たちは何をゴールに支援をしていけばいいのか…。

「ツン押しデレ引きモデル」と「ツン引きデレ押しモデル」について

今日の帰りがけ、
弊社で僕とは違う形で、高校連携している織田鉄也と、
女子生徒のツンデレにどう対応するべきか、
という話で、瞬間盛り上がった。

僕らはこう見えて、
日本の最先端ともいえる学校連携支援の第一線で支援をしている。
今このノウハウを今後学校連携しようとしている支援者の皆さんに、
ご提供できるよう、準備を進めている。

(以下、なぜか鬼教官風。心して聞いてもらいたいw)

まずはツンデレについて整理しておこう。

ツンは、ツンツンとしてトゲのある感じだ。
気が立っていて、心を閉ざした状態であり、
何を言っても「別に」でかわされる。

それでも声を掛け続けていると、
「うぜぇよ」、「消えろよ」とキレる。

近くに投げられる硬い物がないか、
俺のような上級者は注意を怠らない、おまえらも忘れるな!

要はツンというのは話にならない状態だ。

もうひとつのデレ。
何があったのか知らないが機嫌が良く、
自分から近況報告などをしてきて、
ずっと楽しそうに話している。

こちらが熱心に聞いたわけでもないのに、
最後に「聞いてくれてありがとう」などと、
大人を泣かすようなことを言いやがる…(泣)。

ここで惑わされてはいけない。
今は嵐の前の静けさとでもいうべきデレなだけなのだ。
また躁状態ではないかだろうか?
という冷静な目線も忘れてはならない。

これが同一人物かと思わせるのがツンデレだ、わかったか!

さて、俺たち支援者は、どちらの時に押し、そして引くべきか。
このマトリクスを見ながら聞いてほしい。
つうでれ2
まずはバイタルやメンタル面から、このツンデレを考えてみる。

実は、攻撃的なツンの方がバイタルやメンタルは落ちている。

落ちる何かがどこかであったのだ。

家庭から引きずっている問題か、
学校で何かがあったのか…。
こういうことは、先生方はよく把握しているので、
あとで情報交換しておくとよいだろう。
家か学校かで支援計画は大きく変わってくる、覚えておけ!

助けが必要な状態はこのツンなのだ。

しかし、迂闊に近づけば「キモい」と一蹴され、
それなりにこちらもダメージを食らう。
柔な支援者ならこれで心が折れるだろうが、おまえらは違う!

このことからわかるのは、
初心者は「ツン引きデレ押しモデル」を使うべきである。
おまえらが学校に入ったら、まず実践してみるのは、
この「ツン引きデレ押しモデル」だ、わかったか!

もしも、その生徒に言いたいことがあるならばデレの時がいい。
しかし、これは覚えておいてほしい、
その約束はツンになると反故となる可能性が高い。

約束の成立はむしろツンの時だったりする。

しかしそんなドラマチックな展開はレアだ。
夢見てんじゃないぞ!これはテレビドラマじゃないんだ、現場なんだ!!

これは一握りの優秀な教師たちの特権的エリアで、
俺たちはそれをサポートするために学校に入っているんだ。

しかし、時間をかけてラポール形成(信頼関係構築)がなされた後もなお、
「ツン引きデレ押しモデル」ではダメだ。

一進一退を無用に続け、卒業というタイムリミットがきてしまう。
支援者なら今一度、何のためのラポール形成か考えてみてほしい。

おまえを好きになってもらうためか?違う!

おまえが嫌われてでも、生徒を自立させるのがおまえのミッションだろう。
しかし、そんなおまえを生徒が嫌うはずがない。それが生徒たちだ。
そう信じるんだ、わかったか!

ラポール形成されたと感じたら、
思い切って「ツン引きデレ押しモデル」を捨て、
「ツン押しデレ引きモデル」で迫ってみてほしい。

いいか、このことをおまえの、胸に刻んでおけよ。
本当におまえに会いたくなければ、
おまえの前に姿を見・せ・な・い。
いいか、わかったか!

では、なぜデレの時に引くのか?

すまん、そこまで考えてなかったw

おわり

このブログをふざけて書いていると、織田から真面目なメールが届いた。
なるほど、説得力があるので、そのまま紹介させてもらう。


ょっとまじめに考えてみると、

「ツン引きデレ押し」は、相手のペースに自分のペースを預けることだと思います。
このやり方が提供できる関係は一定の距離で関わってくれる「安心感」だと思います。
つまり対人不安が強かったりして人を試してくる生徒にこそ有効だと感じます。

一方で
「ツン押しデレ引き」は、相手と対等な立場で関わろうという姿勢だと思います。
このやり方は、お互いに相手との関係そのもので遊んでくれる「戯れ」だと思います。
つまり刺激や本気で向き合ってくれる相手を求めている生徒にこそ有効だと感じます。

織田鉄也

拝啓 ハローワーク高卒求人ご担当者様

キュユ人
※求人票はクリックで拡大します。

突然のブログ失礼致します。

以下、日本の若年者の雇用問題解決の一助になると思い、
図々しくも、ご提案させていただきたいと思います。

さて、社会人経験豊富な大人たちの求人票と、
社会人経験ゼロの高卒求人の求人票の体裁が、
ほとんど変わらないのはなぜなのでしょうか?

御社発行の求人票は、分かって当たり前という前提を強く感じますが、
社会人としての最初のハードルになるというミッションをお持ちなのでしょうか?

ご担当者様は、
昨今の「ユーザーフレンドリー」という言葉をご存知でしょうか?
或はユニバーサル・デザインでもいいです。

御社の求人票が、もしも高校生にとって、
もっとユーザーフレンドリーで、
ユニバーサルであったことを想像してみて下さい。

何が変わるでしょうか?
それが、この国に何をもたらすでしょう?

ご担当者様は、
高校生と会い、会話をしたことがあるでしょうか。
私たちが思っている以上に子どもであったり、
逆に大人だったりしますが、
御社が発行している求人票へのリテラシーはほぼゼロです。

思い出してみてください。
裏返しのテストを、合図とともにひっくり返すあの感じを。

ご担当者様は思い出すことはできるでしょうか?

それが求人表に必要だとは、私にはどうしても思うことができません。

彼らがわかるのは給料が高いか安いか、
残念ながらたったそれだけです。
しかし、それもボーナスや昇級等を鑑みて、
高いか安いかなんて考えられず、月給比較しかしません。

月給比較で,
今のバイトよりも安いと思った高校生がどのようなことを考えるか、
どうか想像してみて下さい。

「俺、フリーターでいいや」そうなることは想像し易いですよね。
それがこの国に何をもたらしているか?

リテラシーのない高校生にとっては、
御社発行の求人票には、だったらフリーターの方が得だと思わせるものがあるのです。

もしよろしければ年収を掲載してみてはいかがでしょうか?
可能なら10年間の職業人として生きた時の年収の推移なども。

彼らが御社発行の求人票から、頭の中にどんなイメージを膨らますのか、
想像したことがあるでしょうか?

残念ながらあれでは何も想像できないんです…。

それが彼らの怠慢、或は教育の不備だと思いますか?

もしも、ご担当者さまが18歳の高校三年生ときに、
御社が発行する求人票で、就職活動をしたとして、
その求人票に、ご自分の人生を託せられる情報があると思いますか?

学生ではなく、依頼している企業側を考えた場合、
これらはクライアントから情報を預かる提供会社としていかがなものでしょう?

クライアントである,中小企業のご担当者様は、
うちの会社の魅力がこれっぽっちも伝わらないと、
がっかりしていないのでしょうか?

御社に情報提供するため、或は基準を満たすためにどれだけの労力が使われているか、
想像したことがありますか?

もしもそこに徒労感があった場合、
日本の経済界にどれだけの損失を与えているのでしょうか。

これは、大学生の就職活動が「リクナビ」さんと「マイナビ」さんに、
占拠されていることと地続きであることを、
ご担当者様は考えてみたりしたことはあるでしょうか?

クライアントにとって御社に求人を出すメリットはなんでしょうか?

ここを疑い、
御社に求人を出さない求人はこの国にどれぐらいいるのでしょうか?

それが、
あったはずの出会いをどれぐらい打ち消す、
アンマッチングを生んでいることを、
どうか想像してみてください。

お願いです。高校生に分かる求人票の作成をご検討下さい。

最後に一言だけ。

それにより何が変わるでしょうか?

あまりこういうお願いはしたことがないのですが、
RTをしていただけると嬉しいです。
僕らの民意で,高卒求人のあり方を変えましょう!

新入社員の皆さんに贈る、コミュニケーションが必要な本当の理由。〜「ホウレンソウ」のツナギには「ウカガイ」を〜

ビジネス・コミュニケーションの基本中の基本とされている。
言わずと知れたホウレンソウこと「報告・連絡・相談」。

しかし、小さな会社や現場では、
いきなり報告されても「おいおいそれならそうと言ってくれよ」的な、
聞いてないわけじゃないけど、
そんなんだったっけ?ってことが常に発生する。
(まさか、弊社だけじゃないよね?)

ここのアジャストに様々なロスが生じる。
例えば、時間やコストもさることながら、
モチベーションや各々の評価とか…。

ホウレンソウだけではこのロスをカバーしきれない。
「そのための連絡だろ!」というお叱りが聞こえなくもない。
例えば、ここのサイトにはこんなことが書いてある。

連絡とは、簡単な情報を関係者に知らせること。そこに自分の意見や憶測は入りません。

これに対して、自分の意見や憶測を入れていいのが「ウカガイ」なのだ。

「あの〜ちょっとこれ見てもらっていいですか?」
この時の「ちょっと」というライトさが大事。
あくまでも「相談」や「連絡」ほどではないのが「ウカガイ」なのだ。
「ヨウスミ」でもいいかもしれないw

新入社員になる皆さんに考えてみてほしいのは、
この「ウカガイ」や「ヨウスミ」の
「あの〜ちょっと」ができるために必要なものはなにかということ?

それは、信頼関係に基づいたコミュニケーション・スキルなんだよね。

企業が求めるコミュニケーション・スキルとは、
実は、こういうインフォーマルな「ウカガイ」や「ヨウスミ」ができる、
同僚や先輩、或いは社外のパートナーたちとの
ビジネス・コミュニケーションが取れる人を指している。

「ホウレンソウ」だけで会社は回ってるわけじゃないんだよ。

この「ウカガイ・スキル」を高めるためのポイントは、
日頃からのコミュニケーションは当然のことながら、

1.相手の意見を聞き入れる素直さ。
2.別角度からの視点を受け入れる柔軟さ。
3.自己実現に拘らない利他的感覚。
4.絶対に成し遂げるというプライド。

よく、4のプライドが1〜3を邪魔している人を見かけるので注意。
そのプライドがあるから、1〜3が受け止めれるんだということを忘れずに!

「いるいる」を「やるやる」に変える「ソーシャル・ムーブメントに参加してもらう6つの条件」

大学の教授や高校の先生方、企業さんでも、コミュニティでも、
僕が取り組んでいる若年者問題について説明すると、
皆さんの反応は大抵が、そういう若者がうちにも「いるいる」だ。

そして「実はね」などと小声で話が始まる。

皆さんの思いは共通してて、
この「ひきこもり ~みんなが知ってる隠しごと~」に書いたように、
気にはかけてて、なんとかしてあげたいけど、
手出しができないでいる感じ。

だから「いるいる」で終わってしまい、
「やるやる」にはならない。

しかし、皆さんのワクワクとした期待感を含んだ「やるやる」がないと、
社会は1ミリも前には進まない。

就職希望高校生のための有給職業体験バイターンには、
現在40社の企業様にご登録いただいている。
40人の経営者の方々が「やるやる」と言ってくれたということだ。

皆さん、趣旨説明のイマドキ若者事情の段階では「いるいる」という状態。
これが、バイターンという仕組みを説明し終わったときには
「やるやる」に変わっているのだ。

この「いるいる」が、どうやって「やるやる」に変わるのか?

ここにマルチ・ステークホルダーを巻き込んだ
ソーシャル・ムーブメントを起こすヒントがあるのではないか。

登録企業の皆さまのこと及び、
よこはま若者サポートステーションから若者を数多く職場体験先として
お引き受けしている弊社の体験も踏まえ、ポイントを整理してみたいと思う。

「ソーシャル・ムーブメントに参加してもらう6つの条件」

1.自分の得意分野や類似成功経験で関わることができる。
2.自分の業務時間内に関わることができる。
3.誰かがやらなければならないルーチンワークがある。
4.若者が育ち上がれば自社の財産となる。
5.雇用関係という責任が、明確な達成値を決定する。
6.何かあった際のヘルプの出しどころが明確である。


特に5.などはバイターンに特化した条件かもしれないが、
拡大解釈することで見えるものがきっとあると思うので、
そういうポジティブなフィルターを通して、是非読んでみてほしい。

1.自分の得意分野で関わることができる。
慣れないことで無理してやったことでは、役に立てる自信が持てないが、
自分の本業(得意分野)に巻き込むことでなら、できると思える。
事業でなくても,趣味や特技で参加してもらうことはできないだろうか。
自分の中にある成功体験は、自然とハードルが下がるものだ。

2.自分の業務時間内に関わることができる。
自分の出来上がったライフワーク・バランスを崩すのは誰でも抵抗はある。
OFFタイムではなく、ONタイムでのアクションを促す。
例えば、通勤時間等の活用などで考えられることはないだろうか?
これは週末イベントで終わらせないためにも重要なことだと思う。

3.誰かがやらなければならないルーチンワークがある。
若者を受け入れるために、わざわざ仕事を作るのは大変なことだ。
時間のある誰かがやらなくてはならないルーティンワークをやってもらいながら、
若者が傍観者として職場にいられる時間こそが、中間的就労成功の秘訣だと思う。
受け入れ側も、若者も気を使わずに過ごせる時間があること。

4.若者が育ち上がれば自社の財産となる
世のため人のためという利他的な要素だけで構成するのではなく、
明確な自分のためという利己的なモチベーションが持てることは重要な要素である。
「誰のためなのかわからない」というウインウインな状態を作り出すこと。
またサスティナブルに関わり続けてもらうためにも、
間接的なロイヤリティという発想も忘れてはならない。

5.雇用関係という責任が、明確な達成値を決定する。
ソーシャルな関わりは時としてゴールが見えない。
やってもやっても課題が残り続けるという底なし沼状態となり疲弊を生むが、
雇用関係になれば明確な達成値が設定でき、
達成できなかった場合の想定も可能となり、これがある意味で保険となる。
やるべきことと、やれなかったときのことを明確に設定することで、
人は動き出せるのではないだろうか?

6.何かあった際のヘルプの出しどころが明確である。
達成値が明確であると同時に、クレームも含めたヘルプの出しどころが明確且つ、
顔の見える関係であることを約束していることの安心感が大きいと思う。

以上、僕自身も随分考えながら書いてみたが、
僕自身が異ジャンルへのイマジネーションが深まらないというのが正直なところ。
もしよろしければ、これらを参考にディスカッションしてみてほしいし、
機会があれば、僕も参加して考えてみたい。

また、バイターンの受け入れ企業皆さんとも懇親を深め、
ディスカッションをしていきたいと思う。

キャリア支援センターに来ない潜在的なウォンツ学生を、どうすれば明確なニーズ学生に変えられるのか?

起業する前に、
きっと読んでおくべきことだろうと感じて読んだ
マーケテョングの本を久しぶりに読み直している。

やはり実践を踏まえた後に読むと、
ひとつひとつのセオリーが実際のプロジェクトや、
セミナーのネタとしてくっきりとイメージの輪郭ができる。

その中から大切な気付きを紹介したいと思う。

マーケティングでは、
潜在的な欲求をウォンツ、顕在化した必要性をニーズという。

購買行動では、なんとなくいいな程度のウォンツの段階では購買には至らず、
これを何らかの仕掛けにより、必要(ニーズ)だと思わせてやっと購買行動に移る。
よって、マーケティングとは潜在的なウォンツを刺激し、
どうやってニーズを換気させるかを考える仕掛けといえるだろう。

例えばこれを、大学のキャリア支援センターに置き換えて考えてみよう。
サポステでもまったく同じことが言えるので、参考に読んでみてほしい。

キャリア支援センターに足を運ぶ大学生は、
たとえ主訴が曖昧だったとしても、
明確なニーズを持っているから来所しているといえる。

逆に言えば、
潜在的なウォンツではキャリア支援センターに相談には来ない
これは、どんなに腕のいい窓口対応の相談員でも、
このウォンツの状態の大学生に会うことはできないことを意味している。

キャリア支援センターのボトルネックは間違いなくここにある。

例えば弊社の調査事業「QOUL|大学生の生活満足度調査」では、
キャリア支援センターでの相談ニーズを満たしていない学生は、
全学生中55%以上の過半数であるという結果が出ている。

しかし、同調査からは、
大学生の52%が将来ニートになる不安を抱えている調査結果もでている。

大学生は将来に不安を抱えている。
潜在的には誰かに相談したいというウォンツを持っているのは明らかだろう。
しかしそのウォンツを具体的な危機感としてのニーズに変える仕組みを、
ほとんどの大学が持っていない、といえるのではないだろうか。

では、相談員はどうやって、この若者に出会うのか?

手前味噌ながら、僕が神奈川県立田奈高等学校の図書館で行っている、
交流型の相談事業『青春相談室田奈Pass』を紹介したいと思う。

『田奈Pass』は、
学校図書館内に何の気なしに相談員である僕が本を読んだりしていて、
何の気なしに現れた生徒とお弁当を食べたり、お喋りしながら交流をしている。

この時、生徒に明確な相談の意思があるわけではなく、ウォンツ状態といえる。

『田奈Pass』は、ウォンツの状態の生徒と出会い、
交流の中からニーズを顕在化させ、相談がはじまるのである。

そのニーズがスク−ルカウンセラーだったり、
このブログでも何度か紹介しているバイターンの場合もあり、
『田奈Pass』がハブとなり、
様々な学校内外の支援とのコーディネートを果たしているともいえる。

『田奈Pass』の革新性は、担任も本人も気付いていないウォンツを掴むところにある。

そしてこの微弱なSOSともいえるウォンツは、
図書館という磁場に吸い寄せられるようにできているのではないか?
僕は大学図書館が、より顕著に強い磁場になっているのではないかと推察している。

次年度は、大学内でのウォンツを掴む交流型の相談事業というのを
模索していきたいと考えている。
ご興味をお持ちいただいた大学関係者の方、
まずはディスカッションからはじめてみませんか?

是非、お気軽にご連絡下さい。お待ちしております。

アンリー・ルソーと僕

ルソー

ルソーが大好きだ。

過去にもルソーについての評論を読んだことがあるが、
改めて『世界の名画』で、ちゃんと大好きなルソーのことを知った。

ルソーへの大好きさの中に、
自分自身の支援者のアイデンティティとの重なりを感じ、
またまた大好きになってしまった。

ルソーは正規にアカデミックな教育を受けていない。
そのせいか、ルソーはあらゆるルールを無視している。

そのシカトな感じが大好きなのだ!

同じシカト感をジャズピアニストのセロニアス・モンクや、
ストーンズのキース・リチャーズ、デッドのジェリー・ガルシアなんかにも感じる。
僕はそういう、邪気のないアウトサイダーたちに強く惹かれる。

この有名な自画像からも様々なシカトが見て取れる。

遠近法の無視。ルソーは大き過ぎ、遠くの人は小さ過ぎないか?
陰影や三次元的な重さや質感の無視。遠くのタワーのテキトーさやルソーの平面感。
重力性の無視。このルソーも若干宙に浮いている。
人物画に顕著な正面性の強調、固有色への固執。
ドミトーン(中間色)の欠如…。

このようなルソーの絵画は見る者に稚拙な印象を与え、
当時は随分と馬鹿にされていたようだ。

それは、古典的な「アカデミック」な権威や構えに対し、
ある種「プリミティブ(原始的)」なカウンターカルチャーである。

ヒッピーにも通じる、
単純で確信に満ちた態度で、芸術が取るべき道をルソーは示した。

ここまで大げさに書いて、自分と似ているというのは、
いささか気が引けるが(^^;;

僕が出会う若者たちって、
アカデミックな権威に馴染めなかったり、
つまはじきにされてきた人たちなんだよね。

そんな彼らに小手先の資格や専門性で向かい合ったって、
それはそれでしかないじゃないかと。
もっとパーソナリティで、人としてプリミティブにぶつからないと、
はじき返されてしまう。

しかし改めてルソーの絵を見よう。
『眠るジプシー女』や『蛇使いの女』もそうだが、
ルソーの空気には色があり、陰がある。
アカデミックとは言えないのかもしれないが、
そこにはテクニックがある。

凡百の素朴画家とが一線を画す個性がそこにある。

自分はそんな支援者として、
一人の大人として、若者たちと向き合っていきたい。

ちなみに雲が日本の形をしていることに気づきましたか?

夜の卒業式が素敵過ぎだった件。

僕が相談員をさせていただいている高校の、
卒業式に出席させていただいた。

今年で2回目の涙だった。
ここしか知らないけど、
ここのほんと泣ける温かな卒業式だ。

そして今年は、
先生方による、夜の卒業式にも出席させていただいた。

そこは先生方の聖域なので、
と実は遠慮したんだけど。
この学校のチームの一員としてお誘いしていただけたことが嬉しく、
お言葉に甘えさせていただいた。

今回の33期生を担当された、
担任の先生方(担任団と呼ぶらしい)の話は、
とても感動したし、
担任団を支えていた生活指導の先生や、
途中で離任された先生の話など、
どれも涙を誘う話ばかりだった。

ここに笑いの散りばめ方が絶妙なのが、
この学校の夜の部なんだけどね。

僕は素直に思った。
「こんなに感動的な職場があるだろうか?」
「先生って、本当に素晴らしい仕事だな」と。

当然、外部の僕が知らない、ご苦労や気苦労も多いことだろうけど。
そういうものも水に流れるのが、
この卒業式ってものなんだろうなと想像する。

僕は、教師という職業を嫉妬する思いで、先生方の話を聞いていた。

特に、担任団の先生方が口を揃えていう「担任っていいですね」という言葉が、
しみじみと胸を打ったし、

それは、来年度からはじめて担任を持つ新人の先生方への
励ましとなっていた。

丁度、僕の隣の席の若い女性の先生が、
来年度からはじめて担任を持つことが決まっているらしく、
期待と不安はどっちが大きいのですか、と聞いてみた。

「この学校だから期待が大きいです」と、笑顔でお答えいただいた。

それは、夜の卒業式のムードそのものの、笑顔だった。

先生方の挨拶で心に残ったものをご紹介したいと思う。

1年生を迎える前に、生徒がいた中学校に行き、
引継ぎのようなことを自主的にしているという。

その時に、中学校の先生から言われた一言が忘れられないという。

「中学の先生が、あの子は中学校で一度も主役になれなかった子なので、田奈高校では是非主役になれるようお願いしますと言われ、自分の仕事は切り捨てることではなく、引き上げることなんだと自覚した」

この言葉は、この間のエントリーで書いた、
モーニングコールをしていた先生の
「切り捨てるのは簡単なことですか」と重なる。

そして、生活指導の先生が言ってた言葉。

「今日は中退した◯◯(生徒のフルネームを噛みしめるように)や、◯◯、◯◯が来てました。そして、学校の外では◯◯がバイクで走り回ってました。今日はあいつらにとっても、卒業の日であり、あいつらなりにケジメを付けに来てるんだと思う」

生活指導という立場をおもんぱかると、泣けたなあ。
これを書きながらも泣けてくる。

こんなに素晴らしい、情熱を持って仕事をしている現場には、
全然スポットが当たらず、
ほんの一握りの不祥事だけがクローズアップされている。

この人たちの心が折れず、
頑張ってこれているのは何か?

生徒がいるからだ。

夜の卒業式。
こっそり生徒たちに見せてやりたいと思った。
おまえらのことをここまで考え、
涙を流す大人たちが、
おまえたちにはいるんだぜって。
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