2012年12月

高校無償化に所得制限はありだけど、先生たちに取り立てなんかさせるのやめようよ。その2

昨日のエントリー
「高校無償化に職制限はありだけど、先生たちに取り立てなんかさせるのやめようよ。」
の続き書いてみる。

自民政権による、高校の所得制限付き有償化に伴い、
授業料の未納問題が必ず浮上する。

それが先生の負担になるし、様々な課題も孕んでいるので、
その回収をNPO法人に委託したらどうだろう、というアイデア。

前回「取り立て」という言葉を使ったから、
誤解を与えてしまったようなので、断っておくと。
このアイデアは授業料を回収することが主目的ではない。
目的は世帯の状況調査のようなもの。

保健所が密かに行なっている、ひきこもり青年へのアウトリーチには、
同居している祖父母への面会を理由に家庭に入り込むという手法がある、とよく聞く。
これと似たような感じだ。

「授業料を納めていないようですが、何か事情がおありですか?」
こんな感じで、取り立てるのではなく心配だから来ました、というスタンス。

支援の中で、家庭に行く「訪問」というのは非常に難しい。
特に、普通に学校に来ていて、大きな問題を起こしたわけではないけど、
今後、非常にリスキーな状態になりそうな生徒の保護者と支援者が会うのは困難だ。

家庭訪問してみたら、ひょっとすると、授業料の免除手続きを言葉の壁で行えない
外国籍のお母さんがいるかもしれない。

仕事につまづき、一家心中を考えている抑うつ状態のお父さんがいるかもしれない。
そしてそれらは、彼らは知らないだけで、何らかな手続きで免除されるものや、
負担が軽くなるケースもあるのかもしれない。

そんなアドバイスをしたり相談に乗りながら、困りごとを解決していく。
これがこのアイデアの主目的である。

授業料の滞納は、「微弱なSOS」のひとつだと考えるべきなのだ。

まあ、本気で提言していくつもりはなく、ブログでゆるく言ってみてるだけなんだけどw。
こういう小さな点の積み重ねが線でつながると、
イノベーションが生まれるんじゃないかって僕は信じてる。

一昨年から学校内で相談員を始め、学校や先生の事情が見えてきてるので、
これからも、いろいろと学校や先生が抱える問題を解決するアイデアを考えていきたい。

ということで大晦日。
皆さん、よいお正月を!
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高校無償化に所得制限はありだけど、先生たちに取り立てなんかさせるのやめようよ。

高校無償化が実施された当時、ある定時制高校の先生が、これで授業料の取り立てをしなくて済むと喜んでた。えっそんなことしてるんだと驚いた。困窮エリアで滞納世帯を多数抱えており、相当なストレスだったと言ってたの思い出す。所得制限には賛成だが、このことを考えるとお気の毒でならない。



今日は、なぜか今月27日にツイートした上記が、
朝からじわじわとリツイートされたり、お気に入りに登録されていた。
誰か、フォロワーの多い方がRTしてくれたのだろうか。

僕は、高校無償化に所得制限を設けること自体は、
所得のどこに線を引くのかという議論は置いといて賛成している。

でも、そのことにより先生たちの負担が増えるということを知っている人は
あんまりいないんじゃないかと思い、これをツイートした。

先生たちに取り立てなんかさせるのやめようよ。

単純に、先生たちに学問に集中してほしいということもあるけど、
「あそこの家の子どもじゃしょうがないな」
なんていう、世帯に対する面倒な気持ちが、
間違いなく生徒への対応に影響するだろうという心配もある。

それに、“取り立て”なんてことが、
一番苦手な人たちなんじゃないかな、先生って。

例えばこの取り立てをNPO法人の仕事にさせるなんてのはどうかな?

滞納する世帯には何らかの経済的課題を持っている世帯であり、
そのことが、子どもの進路に何らかの影響を及ぼしていることは、
教育関係者なら、想像に優しいだろう。

アウトリーチのいい口実にもなる。
思いつきなので、乱暴に感じる部分もあるだろうけど、
これはちょっと面白そうなアイデアではないかな?

谷川文科副大臣の「いじめ防止に武道家の先生を」発言

つい最近話題になっていたのは、
政治家を育てる質問──「池上彰の総選挙ライブ」といいものだったが、
よく日本のマスコミは批判ばかりで政治家を育てないということが言われる。

政権が交代したら1年ぐらいは様子を見てあげなくちゃ、なんていう人もいて、
このことには僕も同感であり、僕らのためにも少し静観していよう、
なんて思っていただんだけど、残念なニュースが届いている。

文部科学副大臣に就いた谷川弥一衆院議員は27日、記者会見の場において「いじめを防止するためには、先生としてボクシングや空手といった武道家が必要だろう。いないのであれば警察OBを雇う」といった趣旨の発言をした。


この谷川文科副大臣の「いじめ防止に武道家の先生を」発言には、
ちょっと黙っちゃいられない。

この発言の裏には、
「昔はそういう先生がいて、今のようないじめはなかった」
ということが前提なんだろう。

しかし、いじめはそういう先生がいよういまいと昔も今も変わらずある。
変わったものは何か?
それはメールやSNSにより、いじめが24時間体制になったことだ。

昔は、学校でどんなに嫌ないじめっ子がいても、
学校を離れれば、いじめっ子からは開放されていた。
それが、今はMIxiやLINE、メールにより、
それこぞインターネットの最大のメリットである、時間と距離に関わらず、
いじめっ子は、誰にも見られることなくいじめを行うことができる。

これが自殺をするまでにいじめられっ子たちを追い込んでいるのだ。

武道家先生か…。リアルでの力による監視が強まれば、
そのエネルギーはネットという闇の中で爆発するだろう。

これを自民党の右傾化、或いはヤンキー化というつもりはない。
しかし、もう少し教育リテラシーの高い方を選べなかったのだろうか。

2012年 仕事納め

仕事納め

本日は仕事納めで、午前中を使って、スタッフ全員で本年の振り返りをしました。

「あっ!」という間に駆け抜けたような1年で、
すでに記憶から抜け落ちてしまったような出来事も多くあるので、
それら一つひとつをもう一度思い出し、2013年の目標を考えようという企画でした。

やってみると、担当しているプロジェクトの目線の違いから、
出てくるエピソードが微妙に違い、「あぁ、そうだったねえ。大変だったよねえ」と、
しんどさを共感し合えたのは、やって良かったなと思う瞬間になりました。

スタッフ一同、今年の手応えを感じていて。
でもそれは種まきした種の芽が出たね、という喜びで。
2013年の抱負が、まだまだ言語化しきれていないけど、
収穫の年にしたいという気持ちでいっぱいの会議になりました。

それでは皆さま、寒さも一段と厳しくなってきていますが、
お身体をご自愛し、よいお年をお迎え下さい。
来年も、社員一同、何卒よろしくお願いします。

[株式会社シェアするココロ 代表取締役/石井正宏]

デコボコラボがなくす、就活の2つの「なんか違った」

でこぼこ

くだらない雇用慣習をぶっ壊すというミッションの下、
「デコボコラボ」という新たな人材マッチングサービスが開始している。

おお!こいつは凄いぞ、と思っていたら仕掛人の一人が友人の納富さんだった。

リンクしたサイトをご覧いただければ何がしたいのかは一目瞭然だが、
端的に言えば、リクルートスーツ、面接、エントリーシートを取っ払った、
着飾らない、有りのままの自分を評価してもらえる仕組みによる、
雇用ミスマッチの解消を狙う取り組みだ。

この仕組みから生まれた採用者が企業内でどんどん活躍をしていけば、
デコボコラボのミッションはコンプリートされるかもしれない。

早期離職者の離職理由は、給料が低いだの、職場のストレスだの、
残業が多いだの、仕事が面白くないだの、JILPTの「前職の離職理由」データにはあるけど、
要するに若者側の言い分は「なんか違った」のである。

ちょっと想像してみよう。
きっと採用側の人事担当者も、面接のときの印象と「なんか違った」と思ってるはず。
管理職を長くしてきた経験上、
ミスマッチは、大抵の場合一方通行ではなく双方向であることが多い。

東京商工会議所の調査では、新卒採用のコストを単純平均で算出した場合は、
一人当たり 308,513円というデータがある。
不適切な言い方だと承知で言えば、30万円の買い物が「なんか違った」って凹むよね。
それが1年保たずに早期離職していく痛さ…。

デコボコラボのサイト内の文章を引用させてもらえば、
「みんな同じ服装でやってくる」「みんな同じ話題から口にする」わけで。

(実際マニュアル通りやって受かるような企業は少ないと思うが)
上手くネコが被れた者が採用されていくような雇用慣習が生むミスマッチによる、
この国の経済的損失は、そこに乗り切れなかった若者も含め、計り知れない。

企業と学生双方が気付いている馬鹿バカしさの中で空気を読み合っている就活。

こういう同調圧力に耐えられない若者がいるのはよくわかる。
昔、東京ビッグサイトの就職フェアに潜り込んだことがあるが、
自分が大学生なら、この黒ずくめ集団の一人に自分が絶対なりたくないと思った。

その正常なフィーリングを表現すればドロップアウトしかない。
ドロップアウトした者の敗者復活の道がないのが日本。
だからマニャアル通りのネコを被り企業に内定をもらい「なんか違った」が生まれてる。

だからデコボコラボ取り組みを応援したい。
まったく新しいことなので、まだまだ走りながらの部分もあると納富さんは言ってたが、
そこを一緒に走る大学生の目が輝いていくのが目に浮かんだ。

「エビデンス・ベースド」と「ナラティブ・ベースド」

「エビデンスベースド」evidence-based(証拠に基づく/科学的根拠のある)
「ナラティブベースド」narrative-based(個々の体験に基づく)

今日、NPO法人育て上げネットの理事長の工藤啓さんがツイートしていて知った言葉。
エビデンスもナラティブも知ってたけど、こういう使い方は知らなかった。
その後のやり取りで大事な言葉だなと思ったので、今日のエントリーにしたいと思う。

ちなみに僕は、小説書きを目指していた頃の癖で、
知らない言葉を出会うと必ず調べるようにしている。
これはいい癖だと思うが、同じ言葉が二回続くとまず覚えるが、
それっきり出会わない言葉だと忘れてしまう。
この言葉(ニュアンス)、実は昨日今日と3回出会ったので、これはばっちり覚えた。

そのひとつが、今朝話題になってたブログエントリー
「ソシャゲへの反感はワインの方程式が生んだ反感と同じ -ゲームと心理学(2)」

この中で紹介されている、訓練を積んだ専門家の主観的な印象に基づく「臨床的予測」と、
ルールに基づく数項目の評価・数値化(アルゴリズム)による「統計的予測」の成果が、
「統計的予測」の方が60%が当たり、残り40%は同じになるという。

この記事はちょっとニュアンスが違うかどこかこの話に符合していると思う。

そして昨日、ある方とランチで話していた時にも、
データで語る人(エビデンス・ベースド)がこの業界にはいないし、逆に軽蔑される。
経験値(ナラティブ・ベースド)の人たちがもてはやされる、
職人気質な業界だよね、と話したばかりだった。

ここはどちらがいいではなく、バランス良く使い分けれるのがベストである。

行政マンはエビンデスベースドじゃないと困っちゃうけど、
話をしても情が移らないから「だから?」とか「なるほど」で終わってしまう。

数字やデータから共感を呼び起こし、アクションに繋げることは難しい。

しかし、ナラティブベースドだと情景が見えるし、
自分の経験との共感などから「だよねえ~、どうしよっか?」が始まる。

しかし、共感だけでは、予算を引っ張り出すことはあり得ない。

この「どうしよっか?」で、必要になる予算を引っ張る時には、
やはりエビンデスベースドじゃないと難しくなる。

行ったり来たりできる、バランス感覚が必要なんだと思う。

間抜けなサンタとフリーミアム

次女のクリスマス・プレゼントのリクエストはマリオだった。

次女は今も、昔からあるWiiのマリオで毎日のように遊ぶ、マリオ・ファンなのだ。

小5で上に二人兄姉がいるし、もうサンタがパパだということは知ってる。

でも、プレゼントは枕元に置いてほしいと、まだまだ可愛げのあることを言う。

子どもたちが寝静まり、ラッピングされた一番新しいマリオを、可愛い寝顔を見ながらそっと置く。

親にとって至福の瞬間かもしれない。

朝になり、子どもたちの騒ぎで目が覚めた。

どうやら、新しいマリオは、新しいWiiでしか遊べないことが判明したらしい。

なぬっ!

夫婦の作戦会議が始まる。ソフトだけあって遊べないマリオ。あんなに大好きで、あんなに欲しがってたのに…。

結局、Wii本体も買うことになった。

う~ん、任天堂は商売が上手いな。

ちょっと前に流行った『FREE』という、無料から有料を生む、フリーミアムということを書いたベストセラーがあった。

その本の一番最初に書いてあったフリーミアムの最古のビジネスモデルとして紹介されていたのが、替え刃式の髭剃りの話しだった。

無料で髭剃りをワンセットだけプレゼントする。その便利さにユーザーたちは喜ぶが、やがて刀は切れ味を失い、ユーザーは髭剃りの替え刃だけを購入する。これが無料から有料を生み出すフリーミアムの起源。

何かに似てないだろうか?

Wiiは髭剃りのボディ、替え刃はソフト。

高額のWiiであるが、本体の販売では恐らく儲けを度外視しているだろう。儲けを生むのはソフトである。

こんなに高額な本体を買って、マリオしかしないバカはいないだろう。きっと、次の誕生日もWiiのソフトで間違いない。

上手い。

しかし、本当に上手いのは次女ではないか?ふと、そう思う。

彼女は、本体とソフトを同時に欲しいと言ったら間違いなくダメと言われるとわかっていた。

そこで、親が無知で、古い本体で遊べると信じ込んでることを知りつつ、何も知らないふりをして新しいマリオをねだった。それだけでは遊べないことがわかっていて…。

んなことないかぁ ( ´Д`)y━・~~

若者が洋楽を聴かなくなった本当の理由

いつの間にロック少年は「洋楽」を聴かなくなったのか?DrillSpin Column(ドリルスピン・コラム)

こんな記事が話題になっていた。

記事の中のダイノジの大谷ノブ彦さんのブログ引用から
(この人がそんな活動をしてるなんて知らなくて、ちょっと好きになった)

「かっこいい音楽がどうかっこいいのか、どう聴いていったらいいのか、ガイドが本当に不足しているのが原因なのは明らかだ」


ということに原因を見いだそうとしてるが、
結局、何が原因なのかは読んでもよくわからなかった。

僕は、80年代から洋楽を聴き始めた世代として異を唱えたい。

今は本当に情報=ガイドがあるということ。
僕らはFMラジオのラジオの前にかじり付き、
カセットテープにDJの声がかぶらないように必死に録音していたエアチェック世代だ。
愛読雑誌は『FM STATION』だったあ、懐かしいが、この思い出は省略。

時間と場所を選ばずには音楽は聴けなかったし、
情報を入手してから購入までの手続きは今では想像を絶するほど大変だった。
当時、葛飾区で悶々と青春時代を過ごしていた石井青年は、
秋葉原の石丸電機に行かなくては、輸入盤のレコードは手に入らなかった。
ほかにもきっと売ってたんだろうけど、そんな情報すらなかった。

ガイド本の類いも、お金を払わなければならない情報源で、
「このアルバムのギターは誰?」なんて疑問を解消することができず、
少ない情報の中から推理するしかなかった。
しかし今は、Amazonのカスタマーレビューを見れば、だいたい知りたいことは出てるし、
個人的には2004年に開始したMixiのマニアックなコミュニティでの、
コアな情報のやり取りには衝撃的だった。

僕からすれば、これだけ情報があって、
気になったアーティストから深堀しようと思ったら、
どこまでも掘り下げられる時代に、若いリスナーは深堀しないよなあという思いが強い。

また、僕のようなルーツロック好きじゃなくても、
Youtubeやアーティストのサイトで新曲をいくらでも試聴することができるので、
アーティストとリスナーの出会いのチャンネルは格段に増えている。
(これでお腹いっぱいになれるっていうのも要因ではないかとも思う)

だからガイドはあるのだ。

でも、若者の耳は日本語を求めている。

僕の仮説はこうだ。

人はしんどい状況のとき、母国語で共感し励ましてもらいたいものである。

悲しい時、僕なんかはイーグルスのデスペラードや、
トム・ウェイツの悲壮感漂う曲なんか聴いて、
一度どっぷりとその悲しみのムードの中に浸りながら、
やがてアホらしくなり、悲しみの底から這い出てくる、なんてことをする(笑)。

でも、本当にしんどい時は、日本語のロックを聴く。
その時の僕は、共感できるワードや励ましを求めている。
個人的にそれは佐野元春であることが多い。

その“しんどい時”が日常化しているのが今の日本じゃないか。
そしてその中でももっともしんどさを実感している購買層なのが、
日本の若年層なんじゃないだろうか。

だから、邦楽を聴きたくなる。
これはある意味での音楽的ナショナリズム、つまり右傾化じゃないかな。
ついでに言えば、古いロックしか売れないのは、
古き良き時代への逃避なのではないか。

今日はクリスマス・イヴですね。皆さん素敵なクリスマスを!

俺だけは大丈夫という正常化の偏見(normalcy bias)

昔よく、車で走っていた道をドライブしていて、
経営者目線なのか、こんなことを感じた。

「誰が何をやっても流行らない立地というものがあるんだなあ」

今日通ったらステーキ屋(?)だったお店、
以前はうどん屋で、その前は鳥料理専門、その前はなんだっけなあ、というテナントなど。

すべて居抜きなので、そんなに大きな設備投資はしていないのかな、
とも思えるが、それにしてもどうなんだろう。

もしも、自分が出店計画を立てて物件を探してたら、
前の商売がどうしてここでダメだったか?を真っ先に考えるはず。

こういうことが連続していくきっかけとなってる心理は、
「俺は前のヤツらとは違う、俺なら必ずヒットさせてみせる」

もしも、オーナーや経営会社が一緒だとしたら、
「今度こそ絶対流行るから、もうひと勝負してみよう」

しかし、全部外してる。
それはきっと、その人(そこ)が提供しているサービスに問題があるのではなく、
そもそも立地に問題があるはずなのに、なんで気が付かないのか。

なのに、サービスに問題を求めて、総入れ替えして失敗し続ける…。

う〜んわからない…。
なんなんでしょう、この「自分だけは大丈夫」いう心理から、
失敗を重ねてしまう経営行動は。

ちょっと調べてみたら、
「自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性」を指す、
正常化の偏見(normalcy bias)」というのが見つかった。

ひょっとして、自分も陥っていないか、チェックしておかないとな。
いや、待てよ。呪われてるって可能性もあるな…。

半径数メートルの助け合いの大切さ。

今日、仕事が休みで家に一人でいたら、インターホンが鳴り、
若い男の声がこう言った。

「◯◯◯号室の◯◯ですが、鍵がなくて家に入れなくて電話を貸して下さい」

ニキビ面が初々しい若者が、
母たちを見送りに家を出たら鍵がかけられてて、家に入れないという。

聞けば息子と同年齢の高校生だった。
途中で引越してきて、元の学校に通ってたので僕は知らなかったようだ。

しかし、電話番号がうる覚えで繋がらない。

ほんの少しの見送りのつもりなので、
裸足にローファー、上はトレーナー1枚。これが気まずそう。
息子と背丈も似ているので、息子のダウンジャケット着させた。

結局、母とは電話が繋がらないまま、
どうしようかと話していると、家内が仕事から帰って来た。

事情を説明すると、◯◯さんは去年、自治会の会計だったから、
同じときに委員だった◯◯さんに聞けば電話番号を知っているはずだと言う。

結局、そこでもわからなくて、
近所の友人の家に避難することになり、自転車を貸してあげた。
1時間後、母と一緒にお礼に現れ、一件落着した。

困った時に助けを求められるこの感じ、
職業柄、「おまえ、なかなかやるじゃん」と思う。
こういう困った時に助けを求められることが、
自立の一歩であると思うので、この行動を高く評価しつつ、
うちの子たちだったらどうするかと考えた。

家内も家内で、「ちゃんと近所付き合いしてて良かったと思えた」という。

3.11以降、僕らは非常事態にどれだけチームになれるのか?
ということを課題にしていかなければいけないはずなのに、
相変わらず、そういうことができていない。

義務的なものではない、インフォーマルな仕組みで、
こういうことが、知らずに鍛えられるといいなと思う。
それは「お祭り」に他ならないと思うんだけどね。

田奈Passの「なんかいいな」の秘密。


12月19日エントリーの、「田奈Pass」の光景には「なんかいいな」が、確かにあった。

なんでいいのか、時間が経ってわかってきたので、書いてみたいと思う。

あそこにいた大人たち(司書さん1名、支援者3名、うち1名は見学者)に求められていた成果や評価は、目の前で勉強してる女子生徒に対して、短期的な成果を求められていない人材だったのだ。

当然のことながら、見学者の辻ちゃんにはな~んの責任すらない大人。僕は、こういう大人を図書館に投入していきたいという、学校には図書館の市民図書館化ということを考えてるんだけど、それはこちら

むろん、そんなことを意識してそこにいたりはしないし、明日の面接のために一緒に緊張したりするんだけど。

僕らの成果は、彼女がどこの大学に入るかとか、どんな会社に就職するか、という短期的な成果ではなく、

社会に出て、どのように(納税者として)自立して生き、(非納税者にならないよう)何か困ったときには「助けて」と言える人になる、みたいな中長期的なものなのである。

評価はどうなるのか、今はまだわからないが、大きなリターンをもたらすかもしれない、という非常におおらかなものである。

ここをムキになって、SROIみたいなことを言い出すんだろうけど、それは短期的な評価に対しての、手応えのない成果の見せ方でしかないので、その戦いはやめた方がいいと思う。

僕が気がついた問題は、教師も養護も、スクールカウンセラーも、学校には短期的な成果を求められている人材しか配置されていないということだ。

逆に言えば、学校を出たあとの中長期的な評価は受けない。まあ、ここは問題にするのはやめておこう。

田奈Passのいいところは、短期的な成果を求められた、今、目の前のことに集中せざる得ない大人集団の中に、その輪から外れた大人が学校に、ほんわかといることだと思う。

「なんかいいな」の秘密は、ここにあるんだと、僕は確信した。

これらをサスティナブルに実現させるためには、中長期的な社会的投資の意義を理解したステークホルダーが必要なんだけど、ここがムズイ。

このテーマはまた今度。今夜は、田奈高校の忘年会だ。先生たちのいい話をいっぱい聴きたい。

中間的就労は若者を救うスモールステップ

中間的就労ってなに?

これまで厚労省を中心に議論をされてきた「生活支援戦略」が、
自民政権になってどのように扱われるのか、
若年者の就労や生活の支援をしている支援者にとっては、大きな関心がある。
もっと言えば、厳しい目で自民党政権を見ている。

その中で、特に個人的に「中間的就労」というものが、
どのように認知度を上げ、社会インフラ化出来るのかということが関心事であり、
実は、僕個人のミッションだとも思っていたりする。

説明はこの図を見ればわかるだろう。
一度社会からドロップアウトしてしまった若者や、
社会に出にくい状況にある学生たちを、
社会に繋ぐためのスモールステップが中間的就労である。

それが、ひょっとしてなくってしまったりしないだろうな、と見ている。

これまで、教育、福祉、労働がバラバラに動いてきたために、
これらの隙間に落ちて、這い上がれなくなった若者を多く見てきたので、
生活支援戦略の下、一丸となって支えられる仕組みになるよう願うばかりだ。
(※生活支援支援戦略には生保受給者の首を絞めかねない流れもあり要注意)

最後に個人的なことを言えば、
「中間的就労」なんてよくわかんない言語で語ってる以上、
これは上手くいかないだろうという思いから
僕は「バイターン」という言葉を発案したということを付け加えておく。

人が伸びる仕組みの原点を見た

昨日の田奈Passでの一コマ。

司書室で数学の勉強を始めた三年女子生徒に、自分自身にムキになって教えてる司書さん。

忘れてしまってる自分が許せないようだ。

田奈Passの相棒も、たまたま大阪から見学に来てた、NPO法人淡路プラッツの辻ちゃんも、代わる代わる、時にはみんなで考え、やさしく教えてる。

優しいかどうかは、横で教えることができずに冷やかしてた、僕の主観なんだけど、あれはやさしかった。

いや、温かかったの方がしっくりくるかも。

女子生徒が問題につまづくと励まして、できるとみんなで拍手して、凄いすごい!なんて言って。

数学のわからない僕でも、みるみるできるようになってるのがわかるような、成長っぷり。

生徒も「こんなに大勢の人に褒めて貰えてチョー嬉しい。なんかやる気でて来た」と言って、いつまでも勉強してた。

ここにはそういう人を成長させ、自己効力感を上げるマジックがあった。

第一に、個人的達成。できないと思ってた問題が、苦労して解けた。しかも、繰り返し!

第二に、周りの大人たちの「私もやったなあ~」とか、ちょっとやらせて、なんて言って解いてみたりする姿を見る代理学習。

第三に、褒める、励ますの社会的説得があった。

これは、伸びるよなあ~。

まさに山本五十六の例の名言の実践のようだった。

「やってみせ、言って聞せて、やらせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」

面白かったのは、一通り仲良くなって一息吐いたときの生徒の一言。

「ところでここで何をしてるんですか?」

そういう誰なのかとか、意味や機能をぶっ飛ばして学校の中で出会えちゃってる感じが、ああ、これぞまさしく田奈Passだあと、しみじみとストーブにあたりながら、思ったなあ。

ユースワーカーにとって大切な5つの力



この5つの力は、ユースワーカー研究会が3回のワークショップで辿り着いた結論。

それを僕が勝手に自転車に当てはめたのがこの図。

自分自身の整理のためにも、ちょっと説明してみたいと思う。尚、ユースワーカーはYWと略。

【マインド】ユースワークを行う上での気構え。スタッフ一人ひとりが違くていい。経験値に応じて変化するもの。ハンドルにしたのは、ユースワークを行う上での判断に大きな影響を与えるから。個人で持つミッションともいえる。

【ミッション】マインドという個性を束ねるものが、団体のミッション。マインドが変化するものに対して、ミッションは普遍である。サドルにしたのは、個人のセンスやスキルがここに座る(所属する)団体により、発揮の仕方が変化するため。

【センス】YW個人の持って生まれた、或いはこれまでに培われたセンス。ユースワークを行う上で、大きな武器となる。センスは磨かれるものである。前輪にしたのは、ハンドルと直結した個性であるため。

【スキル】ユースワークを行う上で、身につけておくべき技術や手法、テクニックのこと。スキルは向上し、高めるもの。後輪にしたのは、後付けで身についていくものだから。

【社会性】他団体等、マルチなステークホルダーと連携し、協力し合える力。また、経営基盤を支える寄付や収益性を考え、ユースワークの持続可能性を高める力。ペダル、或いはチェーンやギアにしたのは、これがなければ前に進めないから。

個人的には、非常に納得感の高いものになっているが、今後さらに、ユースワーカー研究会のメンバーたちとブラッシュアップし、5つの力の獲得方法や、高め方などを考えていきたいと思う。

次回のユースワーカー研究会は、年明けの1月25日(金) 19:00~21:00@代々木オリンピックセンター。

若者に何らかの形で関わる方、今後、関わりたいと思っている方は、是非ご参加下さい。参加費は無料です。

【申込・問い合わせ】国立青少年教育振興機構
指導主幹 北見
連携協力係 桑代、辻
03-6407-7687
honbu-renkeikyouryoku@niye.go.jp

ユースワーカー研究会忘年会

かなり前、とある定時制高校の評議委員というものを務めさせていただき、授業見学をさせてもらったことがある。

話を聞かない生徒たちに、大声で語りかける先生、集中してない生徒にワザと答えさせたりして。

それはそれは見るからにハードワーク。

一緒に見学していた評議委員の方が、ボソリと僕に言った言葉が、忘れることができない。

「あの先生たちは、誰が支えているんでしょう?」

僕はこの言葉にハッとした。

それまで、生徒の自立ばかりを考え、先生のことなど、批判はすれど気にすることがなかった。

批判ばかりされ、誰にも支えられていない先生たちが、急に気になりだした瞬間だった。

シェアするココロのミッションに、先生支援というものがある。それは、この時、ご一緒させていただいた評議委員の一言があったからだ。

同じように。まだまだ社会的ステータスの低いユースワーカーたちは、一体誰に支えられているのか?

若者たちの「ありがとう」や、笑顔なのかな?

これらは大切なエネルギー源ではあるけど、もっと日常的な支えが必要だと思う。

シェアするココロのミッションには、もうひとつ、支援者支援(ユースワーカー支援)というものがある。

ユースワーカーがイキイキと働く世の中は、きっといい世の中だ。

そう、思いませんか?

そんなモチベーションで、随分前からユースワーカー研究会というものに、コアメンバーとして関わらせてもらっている。

今夜は、ユースワーカー研究会の忘年会だ。

自分たちがサスティナブルに活動を続けていくために。みんなで労をねぎらい合いたいと思う。

ではでは。

政治が変わる前に僕らが変わらないと何も変わらない。

日曜の午後、Inter FMの「BARAKAN BEAT」を聴きながら書いています。

photo.jpeg

先ほど、投票をしてきましたが、午後2時現在での推定投票率は27.40%で、
2009年の前回衆院選に比べ7.79ポイント下回っているとのこと。

SCCT(社会認知的キャリア)理論では、
人が何か行動に移す時には、必ず「結果期待」というものをいだき、
「行動目標」を決めているという。

この時、結果期待が低ければ行動目標がネガティブなものとなり、行動を躊躇させるし、
結果期待が高ければポジティブなものとなり、行動を後押しする。

ではこの結果期待には、何が影響を及ぼしているのか?

それは個人的だっやり社会的な学習経験で作られた「自己効力感」。
これは、自分が何かをした時に効力(影響)を発揮できるかという気持ち。

さて、本題。みんなが投票行動に気持ちが向かないのは、
投票に行っても「結局何も変わらないだろう」という結果期待の低さであり、
その背景には学習経験として、「政権交代したけど何にも変わらなかった」や、
「沖縄から基地はなくならなかった」という、政治への絶望や諦めがあるんだと思う。

それもわかる。わかるけど、
自分のフィーリングに合ってる政党を探して投票をしようよ。
主体的に自分たちで、自分たちの未来を選択していこうよ。

政治が変わる前に僕らが変わらないと何も変わらない。

主体的に行動することで、僕らの国民効力感はきっと上がっていく。

若者よ、他人事を自分事に変えて選挙に行こう! 

今朝読んだニュース。
日本の投票率下落を主導する、若者の低投票率|ダイヤモンド・オンライン

学園・安保闘争の頃の若者の投票率は6割を超えてたそうだ。

それが、バブル崩壊以降、若者たちの投票率は一気に下がり、
2003年には3割台にまで下がった。
ちなみに、直近の衆議院選挙では5割近くまで上がってる。
出典:財団法人明るい選挙推進協会「衆議院選挙 投票率の推移」

僕はこの持ち上がりは「期待」ではなく「悲鳴」だと思ってる。

若者たちよ、選挙に行こう!

と、大人たちは言うけど。

就職氷河期にグローバルの嵐が吹き荒れるなか、
国単位の物語で経済を語れなくなったカチカチの後期民主主義の世界で、
若者たちは、政治への手応えと期待感を失ってる。

政権交代でたいして世の中が変わらなかったのも痛い。

若者よ、選挙に行こう!

と、言われても、何を政治に期待しろというのか。
これが、若者の本音だろう。

身体が反応しない感じもよくわかる。

僕が初めて選挙に行ったのも、恥ずかしながら30歳になってからだった。
子どもが産まれ、若者たちの支援をする仕事に就いて、
親が歳を取ってきたとか、子どもの将来とか、自分の年金とか、
いろいろなことを考えるようになってからだったような気がする。

僕の中の変化は、「政治が他人事から自分事に変わった」んだと思う。

一番下にリンクを貼らせていただいた、NPO法人フローレンスの駒崎さんのブログから引用すると、

>高齢者が我々の2倍選挙に行っているがゆえに、
>日本の公的支出比は高齢者:子ども(家族)が、11:1、というトンデモないことになっているのです。

このように、社会保障のほとんどが人生後半に充てられているなかで、
政治を他人事から自分事に変えるって、相当難しいことだろうと思う。

でも、このバランスを変えていくことこそが、
若者よ、選挙に行こう!という意味だと思う。

若者よ、NPO法人フローレンスの駒崎さんのこちらなんかを参考に、
選挙に行ってみてはどうだろう?
子育て支援NPO代表が斬る、衆院選子育てマニフェスト比較

さあみんな、国のための準備はできてるか?

「その他大勢から一歩抜け出す方法」から「その他大勢の力で課題解決する方法」へ。

トイレで読んでる、“かなり前”に流行ったビジネス書の帯に書いてあったキャッチがこれ。

「その他大勢から一歩抜け出す方法」

もう読み終わりそうなこの本の帯に、今朝はじめて目が停まり、なんだか複雑な思いがした。

資本主義社会の中で生きるジャパニーズ・ビジネスマンたちの琴線に、このキャッチは相当アピールしたわけだけど。

今の世相を反映した、市民の一員としての僕の感情と、支援者としての職業的な本能が、ギュッと殻を閉じるように、拒んだ感じがした。

その拒否感が、経営者としても生きてる自分に、フィードバックしてきたからどうにも複雑なのだった。

いや、何が言いたいかって。

これが、“かなり前”のベストセラーで、グローバルな、一人勝ちの嵐が吹き荒れてたんだよなあってこと。

まだまだグローバルだ、成長だって言ってる人たちはいっぱいいるけど、少なくとも僕は、過去の風潮として整理してしまっている。

「シェアするココロ」なんていうおかしな社名も、グローバリズムに対するカウンター・カルチャーとしてつけられたものであると、ちゃんと言っておきたい。

この本は“かなり前”のベストセラー。

そんな本をトイレでちびちび読んでる自分も、なんだかゴメンな話ではあるけど。

今なら、「その他大勢の力で課題解決する方法」の方が読んでみたいと思うだろう。

Think globally, act locally

「地球規模の視野で考え、地域視点で行動する」いい言葉です。

ふたご座流星群

長女と二人で流星群を眺めていた。
一番辛抱できなそうな二人が残ったねと長女。

BGMなんていらないというワイフと次女が部屋に戻ったので、
iPhoneでピッタリ来る曲をセレクト。

それがこれ。

早く大人になって自由になりたいと言う長女。
ソフトテニス部で厳しい先生がいて大変みたい。

今、いろんな経験をしている君は、
弓矢の弓をちょっとずつ引っ張ってるんだよ。
嫌なことがある度に、
ちょっとずつ弓が引かれてるんだよ。

そんな経験をしている人が、
大人になって解き放たれたとき、
きっと誰よりも遠くまで飛んでいけるんだよって話した。

「うん、嫌だなって思ったら弓が引かれてるんだって思うよ」
と長女が言った。

流れ星が流れて「カネカネカネェ〜!」と言った。

僕は4つ〜5つぐらい流れ星を見ました。


Massa Nova Dialy はじまります。

起業前の心の揺れを記録しておくことを動機に開始し、5年間書いてきたブログにお別れし、新たに『Massa Nova Dialy』を開始します。

マサノヴァ・ダイアリーと読みます。

あぁ、またかと思う方も多いと思いますが、Bossa Nova が語源の造語です。

意外に思われる方もいると思いますが、僕はネーミングを考えだしても、いつも、何も思いつきません…。

そんなときには、決まってビートルズの詩集なんぞに手を伸ばすのですが。

既存のヒントになりそうなレファレンスを眺めているのがとても嫌なんです、クリエイティブじゃないから。

だったら新しく作ろうって。

だから、僕のプロジェクトはハマトリアム、バイターン、クォール、すべてが造語なんです。

これって、タブ譜を眺めて完コピを目指すことが苦痛で、オリジナルを作りはじめた僕の音楽活動とまったく同じ展開、性なんですね。

無から有は生まれないと、ビジネスの書ではよく言われています。

でも、有と有を繋ぎ合わせ生みだす作業には、何かに似ていたり、すでに使われていたり、クリエイティビティに制約がかかり、無駄な遠回りを強いられることがよくあります。

だったら無から有を生み出した方が、ときとして効率的な場合があります。

そもそも無なんてないんだよ、とも言えるところに、有から有の本質があるのですが、“あえて”みましま。

これはモノづくりにおける態度であり、スタンスの問題です。

終わりに、意外と知られてないかもしれないので書いておくと。

Bossa Nova の意味は、新しい感覚、潮流という意味があります。

僕、イシイマサヒロの中で起こる新しいノヴァな潮流を日々徒然に書き留めていくのが『Massa Nova Dialy』です。

では、よろしくお願いします。
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