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もうひとつの9月1日「もうすぐ学校が始まるよ」

9月1日は、子どもたちの自殺がもっとも多い夏休み明けの日。

明後日、その9月1日を迎えるので、ネットでは子どもたちに「学校に行かなくたっていいんだよ」とか、「図書館に逃げて来な」といった大人たちからのメッセージが飛び交うようになっている。

学校は行かなくてはならないところ。という親たちの常識が子どもたちを追い詰めていることは、あなたのお子さんは、『イジメ皆勤賞』ではありませんか?で書かせてもらったが、徐々に社会はその認識を変えて来ていることが感じられる。

この傾向はとても良いことだと思う。しかし、一方で学校で救われている子どもたちがいることも想像してほしい。

虐待等を受け、夏休みは「家(親)地獄」だったりする子どもたちがいる。そんな子どもたちは、早く夏休みが終わって、「学校がはじまらないかな」って思っているだろう。そして、そんな子どもたちにとって、学校は「学校」という名の大きなシェルターという機能を果たしている。給食が食べられることも重要なことだと思う。

学校から逃げて命拾いしたサバイバーな大人たちからは、「早く学校が始まって欲しいよね、もうすぐだよ」というようなメッセージは発せられることはない。しかし、学校で命拾いしている生徒たちもたくさんいるのだ。

問題は、これらを子どもたちが選択できないことであって、決して学校が子どもたちにとって最悪な場所ではないことも知って欲しい。あなたの住む町の中に、学校でしか優しい大人に出会えない子どもたちがいることを想像してみてほしい。

きっと多くの(学校司書のいる)学校図書館は、生徒たちの逃げ場であり、そんな生徒同士の出会いの場になっていると思う。「図書館に逃げて来な」は、学校の外の公共図書館員からのメッセージだと思うけど、学校の中にも逃げ場や隠れ家があると、生徒たちは安心するだろう。

その「安心空間」を、ぼくは総じて「溜め」と呼び、ぼくが代表を務めるNPO法人パノラマの取り組む「校内居場所カフェ」が広がることは、学校の中の溜めを広げるひとつの作戦だと考えている。

そして学校の中には「溜め」の機能を果たしている先生たちや司書さん、養護教諭がいる。早く、学校が始まって、そんな先生たちに抱きしめてもらいたいよね。安心したいよね。ということ、「学校に行かなくてもいいんだよ」のメッセージだけではなく、伝えたいなと思う。

学校開始は随分と前倒しの学校も多いけど、9月1日には、こんな裏ストーリーもあることを知ってほしいと思いました。

学校に行かない選択、行く選択、どちらもできるようになること、学校に来なくなった生徒を学校が把握でき、社会的自立の可能性を下げないための連携。そこをつなぐソーシャルワーク。そんな世界を見据えていきたい。

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フジロックで思い切り仕事しようと思う。

今年、フジロックのNGOビレッジで28日と30日のトークショーに登壇させてもらえることになりました。憧れのフジロック、腰が重たいアラフィフのぼくは、そこまでして観たいアーティストもなく、なかなか身体が動かずここまで来てしまったんだけど、こんな形で初参戦させてもらえるのは本当にありがたいです。

せっかくなので、一生に一度かなと思い、27日の前夜祭から最終日までフル参戦することにしました。そして、今朝の今朝まで、せっかくだからこの3泊4日は仕事のことは一切忘れ、思いっきり楽しんで来よう! どうやったら仕事のことを忘れられるだろうか? なんて考えていました。

でも、朝のコーヒーを一口啜ると気が変わり、フジロックで思い切り仕事してみようと思います!
なんで気が変わったのかは、起業家の性としかいいようがありませんが、そうと決まったら、決める前よりフジロックが楽しみになってきて、以下のルールを決めました。

①今溜まっているタスク処理には絶対に時間を使わない。
②これまで取り組んだことのないソリューション・モデルまたは進化系だけを考える。
③PCは使わずノートと鉛筆で考える。

これ、ちょっとワクワクです( ^ω^ )

毎日①のタスクに追われている日々から頭を解放して、②のためだけに頭を使うことができる!これだけでも贅沢な時間なのに、それが苗場の大自然の中、しかも素敵なアーティストたちと同じ空気を吸い、音楽に満たされる三日間の中で考え続けられるんです。

公私混同をモットーとするぼくにとって、仕事に遊びを持ち込むのと、遊びに仕事を持ち込むのは当然のことだったりするので、仕事を忘れる努力をするより、フジロックで仕事を楽しんできたいと思います。どんなアイデアが自分から出てくるのか楽しみです。

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昨日の“けしからんジャンパー”についての投稿について1日経って感じていること。

おはようございます。昨日のブログの反響が大きくて、誹謗中傷めいたものもあり、朝からなんか疲れています。個人ブログのちょっとしたコメントでこうですから、ヤフー等のメディアで発信されている同業の皆さまの気苦労や勇気に対して改めてエールを送りたい気分です。

冷静にコメントを見てみると、現場感覚のある方と、ない方で随分違うなという感じがします。端的に言うと、現場感覚あり派は、腑に落ち方のスピード感に違いはあれ、ピンと来てくれているようですし、強い共感や感謝もありました。

現場感覚のない派の方々は生活保護世帯の強い味方のようで、ぼくのブログを単なるワーカー擁護として読み、ぼくを差別主義者のように受け取ったようです。

生活困窮者の支援に携わる機会のあるぼくとしては、ぼく自身も生活保護世帯の強い味方でありつつ、不正受給はダメでしょという立場です。そして、(ここがすごい重要だと思うんですが)この立場はきっと「なめんなよジャンパー」の人たちも同じだと想像するわけです。

いや、多分ぼくよりももっと強い気持ちで、生活保護世帯の強い味方だったんじゃないかとも思ったわけです。まあ、実際に会って話を聞いたわけではないので仮説に過ぎませんが。ついでに書くと、ヤンキー的精神というのは共同体意識の強い人たちであり、地元、家族、友だちをこよなく愛する人たちです。逆に言うと、共同体の外側の人たちは「自分らの価値観を理解しない」敵になる可能性があります。

ヤンキーの共同体の内側に入り込んだ人たちと、その外側にいる人たちで、ヤンキーの印象はまったく違うものになることはよくあることですが、このケースワーカーたちにとって、自分たちの受け持つケース(世帯)は共同体の内側の人たちだった。そして、不正受給する人たちは、共同体の外側の人たち、つまり敵だった。

そこに対峙する際に必要だったのが、彼らにとっての特攻服である「なめんなよジャンパー」だったと。ちなみにぼくはこのジャンパーを肯定はしていません。むしろ、何かの折に小田原の福祉事務所に行き、担当者がこれを着て出て来たら「こんなの着ちゃダメでしょ!」とお説教すると思います。

この辺、同じミッションを背負いつつ、文化的背景が違う中で、“けしからんジャンパー”が生まれたという、ミッションである目的には共感しつつ、手段については批判しているんですが、そこが理解されづらかったようです、すみません。

まあ、残念なんですが。結局これは現場で培った経験を想像力としてどこまで落とし込めるかの差なんだろうと思います。ですが、現場感覚がない方々は想像力がないということではなく、彼らなりのメディアを通して育んだ想像力がそのコメントを生んでいるんだということを考えるべきだなと思いました。

そして、そのメディア情報を意識的にしろ、無意識的にしろ選択的に獲得した結果としての批判コメントなわけで。もうこれは何を言っても想像の地平を同じ方向に広げることは出来ないのかな、とも思うわけですが、対話を続けるべきであることは間違いなくて。

ただ、ネット上で個別に議論を深める時間もありませんし、有意義な議論ができるフォーマットではないとも思うので、このような形で、敢えて公開してみようと思います。また、昨日のブログに届いたコメントもすべて公開にしました。

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「保護なめんな」ジャンパーはケースワーカーの特攻服

小田原市職員「保護なめんな」ジャンパーで受給世帯訪問というニュースについて、ぼくなりに思うところを書いてみたい。

その前に。ぼくもいろいろなケースワーカーと連携したり、公私を超えた付き合いをさせてもらっているけど、みんないい人たちだ。だから、ケースワーカーを十羽一絡げに批判するつもりはないし、それは間違っている。

さて本件。エンブレムのデザインや、黒地にゴールドというカラーリングの趣味感、バックプリントの英文メッセージ、「生活」「保護」「悪撲滅」「チーム」の頭文字をからなる「SHAT」という略語感、トドメの「なめんなよ」のローマ字化。

もう、ヤンキー臭がぷんぷんして、ゴミ箱に入れて蓋をしたいくらいだ。ぼくなら、まだカーキや紺のドカジャンを選ぶだろう。これは恥ずかしくて着たくないし、ましてやお金を出して買うなんて!と思った。

このブログ投稿のモチベーションは実はここにあって。なんとなく、このジャンパーをカッコいいと思うか、思わないかに、ヤンキーかそうではないかの境界線があるような気がしてならなかった。

そして、なぜこの福祉事務所がヤンキー的選択を取ったのか? あるいは(恐らく無意識的に)取らざるをえなかったのかについて思いを巡らしてみたいと思う。

なぜ、誰も注意しなかったんだろうか?

この件は、けしからんジャンパーを着て生保世帯を訪問したことで批判されているが、このジャンパーのデザインを起こした2007年の時点で、その精神性はなんらかの異常性を孕んでおり、それが10年間の歴史を持ってしまった、はたから見たら非常に異常で微妙な出来事だ。

なぜ、誰も注意しなかったんだろうか? あえて仮説的に言えば、ヤンキー的連帯感がそこに生じていたからに他ならないような気がする。

このジャンパー、もともとは2007年のワーカー切りつけられ事件で、士気の低下した職場の「気分を高揚させ、連帯感を高める」ために作られたという。そう、このジャンパーはある種のワーカーたちにとっての「特攻服」だったのではないだろうか。

士気低下の問題は多かれ少なかれ、どこの職場にもあり、さまざまな解決策が試みられ続けているわけだけど。この福祉事務所の取った解決策が非常にヤンキー的だったことと、それが了承され、歴史を持ったことは、考えるになんらかの功を奏していたに違いない。

たぶん、これを着ることで「気合」が入ったんだろうな、ということと、生活保護のケースワーカーという業務が「気合」を要するものなのではないかと、ぼくは推測する。

「気合」を入れなければ立ち向かえない現場がそこにある?

ぼくはここに関心がある。例えば、ぼくが週に一度勤務する横浜市内の社会に出づらい若者が利用する居場所事業所。オフィス機能は一階にあり、二階が居場所になっている。さて、ぼくは二階に行き若者と対峙する前に「気合」を注入しているだろうか? 

まあ、していない。

あるいは、同市の別機関での月に二度、相談員を務めているが、相談者と会う前に「気合」を入れているかといえば、やはり入れていない。

しかし、過去に10年間務めたNPOでの、ひきこもりの若者に対する家庭訪問支援時には、「気合」を入れていたような気がする。

自分には「気合」という言葉は馴染まないが、全身の神経を研ぎ澄まし、どんなことにも対応できるようにしていた。ヤンキー的リアリズム言語で言えば、やはり「気合」入れて取り組む仕事だったように思う。

ハズレくじで就いたケースワーカーたち

実はぼくも、都内某区で生活保護世帯の若者に対する家庭訪問支援をしていた時期が3年ほどある。この3年間の間に、ぼくは新人ワーカーの初任研修の講師を務めたり、定期的に開かれるケース会議への出席、そしてケースワーカーとの訪問支援を行っていた。

この時に驚いたのは(もう10年近く前なので今は違うかもしれないが)、ワーカーたちはみな一般職で入職し、配属がたまたまケースワーカーになった人たちだったことだ。まるでハズレくじでも引いたかのような生気のない研修態度がそれを物語っていた。

そんな彼らが福祉事務所の配属を「懲役4年」と言っていたのが未だに思い出される。

4年我慢すれば、本庁で仕事ができる、それまでの我慢。それはムードとして、ワーカーがまとっていたオーラとなっていた。中には、定時制高校の教員を好んでやるような先生たちの感覚に近い、良くも悪くも職人気質な感じのワーカーもいたが、恐らく全職員の中では変わり者の部類だったんじゃないだろうか。

ある時、いっしょに訪問に行ったワーカーが、団地の一室の扉を5回、内側にいる人間に対する思いやりを一切感じさせないような、棘のある叩き方でノックをした。そこには福祉的なマインドが微塵もなかった。そんなワーカーが担当になってしまった世帯も気の毒だが、今思えば、やりたくもない仕事に配属されたワーカーも気の毒だ。

ぼくの持論はこうだ。ワーカーをしっかり育成し、ワーカーを今の倍にする。一人当たりの担当ケースを半分にする。倍になった人件費よりも、ケースワークの成果により、保護を必要としなくなった人たちに払わずに済む保護費、彼らが納税者となって納める税金は上回る。

ケースワークのできないケースワーカー

彼らは二つの意味でケースワークのできないケースワーカーだった。ひとつはマインドを持ち合わせていないこと。ここの教育を端折られた未熟さ。あるいは誰にでも出来る仕事だと考えているトップの発想。そしてもうひとつは彼らの抱える世帯数が80世帯を超え、多い場合だと120世帯ものケースも抱えているワーカーもいた。要するに正しくケースワークするキャパを越えてしまっているのだ。。

ベテランのワーカーに「何世帯くらいがケースワークができる限界なのか?」と質問したことがあるが、その答えはうっかり失念してしまった。確か、30〜40世帯だと言っていたような気がする。

そもそもケースワーカーは足りていない。目をつぶってやり過ごしてしまうか、「気合」を入れなければできない仕事になっているのではないだろうか。

ここでジャンパー事件に戻るが、この「気合」が必要だったワーカーは、面倒臭いことに目をつぶってやり過ごすタイプの人たちではなく、「気合」を入れて、コトに取り組んでいる、ある種の真面目さを持った人たちだったのではないだろうか。

この真面目さをヤンキー的リアリズムで表現したとき「HOGO NAMENNA」に行き着き、命を賭した特攻服に身を包んでママチャリで町に出ていたのではないだろうか。

この問題は、生活保護世帯の膨張と、その対応に遅れを取っている福祉行政の狭間で、死に物狂いでケースワークをしようとした結果だった。そこに土地柄なのかはわからないが、日本のマジョリティであるヤンキー(斉藤環『世界が土曜の夜なら』)の気質を持ったケースワーカーがいたってなんら不思議ではない。

彼らにとっては、そんな状況で不正受給をする、つまりヤンキー的リアリズムで言えば、ハンパなことをして連帯を崩すごく一部の人たちが許せなかった。その結果があのジャンパーなのではないだろうか?

グレート・イミグレーション〜偉大なる移民たち〜

Radikoの破壊的イノベーション「タイムフリー」が出来てから、ぼくはラジオばかり聴いている。とは言え、ラジオを聴けるシチュエーション(主に移動時)の総時間と、聴きたい番組の総時間を考えると、聴いている番組はほぼ限定されるんだけど。

そんな番組のひとつに、J-Waveの『JAM THE WORLD』がある(FM東京の『TIME LINE』の方がメインで、ぼく的にはこっちはサブ。どちらも日替わりのナビゲーターが各自の専門性やキャラに応じて番組が構成される類似番組)。

『JAM THE WORLD』の中に、「LOHAS TALK」という、ソトコトの編集長、小黒一三さんがナビゲーターを務め、毎回多様なゲストとおしゃべりするというコーナーがあって。その日は、「グレートジャーニー(アフリカで生まれ人類が世界に拡散した軌跡を辿る旅)」で有名な探検家で医師の関野吉晴さんがゲストだった。

そこで、大変興味深い話を聴いた。ちなみに「興味深い」いうのは、異ジャンルのまったく自分に関係のないことが、何かの拍子に、一気に自分ごとになった瞬間、つまりただの知識が、自分の中で「考え」や「哲学」に消化されることがぼくにとっての興味深いということだ。

なぜ、最初の人類は旅に出たのか?

人類の起源がアフリカにあることに異を唱える学者はいない。しかし、なぜ人類はアフリカを離れ世界中に拡散するに至ったのかについては様々な説があるらしい。

小黒さんがこんな質問をした。「なぜ、旅好きのヤツと定住型に分かれたのか?」と。

関野さんは、好奇心と向上心の強いヤツが生まれた土地を離れ、グレートジャーニーをはじめたのだと最初は考えていた。しかし、「最初はそうだったのかもしれない、でも時代が進むと弱いものが追い出されたということがわかってきた」。どうやら、この話にはエビデンスもあるらしい。

強い者、つまり既得権者は土地に残り、食べ物の不足等で弱い者が村を追い出され、グレートジャーニーはトボトボと仕方なくはじまったのだ。

そして、村を追われた弱者であるぼくらの祖先が、世界の各地でフロンティア(新天地)を発見し、パイオニアになる。ほとんどの人々は滅びていったが、そこに順応しながら強者となって生き残る者がいる。そして人口が増えてくると、またそこに弱者が生まれ、村を追われ新たなグレートジャーニーがトボトボとはじまる。

グレートジャーニーの軌跡は、好奇心と向上心で拡散したのではなく、弱者追放の繰り返しによって拡散したというのだ。ぼくにとってここが興味深かった。何が自分ごとにつながったのか?

グレートイミグレーション〜偉大なる移民たち〜

明治時代の日本の移民は、ほとんどが農民で、長男は土地をもらって日本に住み続けるけど、それ以外の兄弟は土地を離れるしかなく、中には満州やブラジルに渡った者がいる。この人たちは弱者である。これは上述したエビデンスになると関野さん言う。

或いは、強い土地持ちの中国人は秋葉原で爆買いし、日本で豪遊し、中国に戻っていくが、弱い中国人は、大久保辺りに残って働いている。これは、ブラジルから来る移民も同じ構図だ。このことを考えると、「グレートジャーニー」は間違いで、本当は「グレートイミグレーション」だったんだと最近では考えているという。

この話って、強者や弱者の定義や程度が全然違うにしろ、会社の転職や退職、或いは独立企業の話に似ていないか? 既得権者である組織内強者が会社に残り、弱者はそこを離れるしかない。自分自身の独立企業の背景にもそんなことが多かれ少なかれあった。そして、横浜にフロンティアを見つけ、今、パイオニアになろうともがいている。

適者生存

人生はよく旅に例えられる。「グレートジャーニー」が人気を博したのも、視聴者たちはどこかで自分の人生を重ね合わせて観ていたからじゃないだろうか。

ぼくを含めたキャリアについての相談を受けるカウンセラーは、人生=旅というメタファーを何度となく使ったことがあるだろう。そんなカウンセラーにとって、この話は、イマドキを象徴する、メタファーを強化するよいエピソードではないだろうか?

好奇心と向上心の強いヤツがフロンティアを発見したのではない。村を追われた弱者がフロンティアを発見し、新たな環境に柔軟に適応できた者がパイオニアになったのだ。「グレートジャーニー」なんてカッコつけたこと考えなくていい。「グレートイミグレーション」を目指せ。

この話はまさに、ダーウィン(じゃない説もあり)の「強い者が生き延びたのではない。変化に適応したものが生き延びたのだ」という適者生存の話なんですね。

その日の放送はここで聴けます。






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